「去年僕が担任して時はいい子だったのに」という言葉に違和感。
「去年僕が担任して時はいい子(現在初任の子が担任しています)だったのになあ」
ということを思ってました。。
僕はですが、学校帰りに運転している中で
「いや!!そうじゃない!それ、自分で『教育に失敗しました』って言っているようなものだぞ!」
と急に思いました。
教育の目的って、子どもが自立できるようにすることですよね。それを考えた時に、
”特定の先生の時だけはいい子”
っていう状態はある意味、「教育に失敗してしまいました」という敗北宣言なんじゃないかと思ったのです。
僕たちが目指す、自立のとある一面を見た時に、「規律や道徳心が内在化している」状態と言えるのではないかと思うのです。
去年もったあの子は「規律や道徳心が内在化」していなかったのだと思います。僕がその初任の子よりちょっとだけ怖かったから、僕が外部から与えた「規律や道徳基準にしたがっていた」だけなんだと思います。
僕はある意味、その子の自立に寄与するのに失敗したわけです。
とはいえ、自立というのは長いスパンでみるものです。僕だって自立しているか怪しいです笑
子どもは外部から与えられたものを内在化する途中なので、そりゃあ担任が優しくなったりすると、それに甘えてタガが外れてしまうこともあるでしょう。
でも・・・それでも、
「去年僕が担任して時はいい子だったのに。(現担任を批判するニュアンス)」
この批判は初任の子に向けるのではなく、「自立を促せなかった」僕に向けるべきでした。もう思わないようにしようと思いました。
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