見出し画像

ごちゃ混ぜ記事


 ⚠️この記事は当初「自分の中に『観』」をもて」というタイトルで書き始めたものでしたが、途中で何を書いているか分からなくなりました。没にしようと思いましたが、新しい記事を書く気力も無く、投稿することにしました笑
 いつもながら、脈絡のない、分かりにくい記事になっております。それでも読んでくれるという方は、ぜひお付き合いください。


 では、思考の迷宮ツアーをお楽しみください!!

 


 「自分の中に『観』をもて。」

  去年のちょうど今頃。

  初任校が決まり、初めて学校に訪問した時に当時の校長先生に言われたことです。

 

 僕は今、この言葉の重みを痛感しています。

 
 
 今年一年、僕は子供からの信用を失い続けました。

 「みんな先生のことを恨んでいる。」

 「笑顔が気持ち悪い。何を考えているのか分からない。」

 もうすぐ学級が終わる三月になって、そんな言葉をかけられました。


 その最たる原因は何か。

 技術不足でしょうか?

 愛情不足でしょうか?

 僕の人格の問題でしょうか?


 違うと思います。


「観」がブレブレだった。

 軸がなかった。

 自分を信じることができなかった。

 これに尽きるのではないかと思います。


 だから、僕は「観」を再考していきたいと思います。

 自分はどんな子どもを育てたいのか、どんなことに価値を感じるのか、どんなことが許せないのかを整理していきたいと思います。

 それではよろしくお願いします!!



 まず、僕がなぜ先生をやっているのかから考えていきます。

 僕のオリジンは小学校一年生の時です。当時の担任から「先生に向いている」と言われたことがきっかけでした。

 そこからなんとなく「先生になるのかなあ」って思いながら過ごし、気づけば教育学部に入学していました。

 大学での勉強や子ども食堂での経験を経て、自分の力を生かせるのはここだと確信し、去年晴れて先生になりました。

 「自分の力を生かせるのはここだ!」 

ここが僕の願望が最も表れているところだと思います。

どうやら僕は、

”自分の優れているところを生かして認めてもらいたい”

”人かどの人物になりたい”

という欲求が強いみたいです。

よって、僕がなぜ先生をしているかというと、ここが一番自分の強みを発揮し、認めてもらえる場所だと思ったからです。

 自己実現ができるところだと思ったからです。


 かなり自分本位な理由で先生をやっている僕ですが、実はもう一つ理由がありまして。

 僕は自分の強みを発揮したいという欲求があるのと同時に、他人にも強みを発揮してほしいという欲求があるようです。

 だから他人が自分の強みを発揮できずに自信を失っているところを見るとなんだか悲しくなります。やきもきします。

 「あなたには価値がある」

 そう伝えたくなります。

 これが子どもだったら尚更です。

 子どもの時点で自分の限界を察知し、自分を卑下したり、非行に走る子どもを見ると、とても辛い気持ちになります。

 だから、僕には子どもの良いところを伸ばしてあげたい。

 

「自分はできる。何者かになれる。」


 そう思わせてやりたい。

 そんな思いがあり、先生になりました。


 だから僕が育てたい子どもは、

 自分は将来何者かになれると信じて、努力できる子ども

 なんだと思います。




 そんな僕でしたが・・・

 現場に入ってみて、現実の厳しさに直面しました。

 ”子どもの良いところを見つけて褒めてあげれば良い”

 としか考えていなかった僕は、その通りに学級を経営しました。

 しかし・・・それでうまくいくほど先生という職業は甘くありませんでした。

 まず日々の授業。僕の技術が拙いことには、子どもの「できる」体験を増やしてやれません。

 「できない」ことが増え、「叱られる」ことが増え、子どもの自信はどんどん失われていきました。

 次に学級経営。僕が忙しさを理由に放任することが多かったせいで、子どもたちが人間関係をうまく結べないことが増えました。

 心理的安全が保障されていない集団で子どもの成長は望めません。

 子どもたちの不安と不満は2月くらいになって僕にも降りかかってきました。

 暴言吐かれたり、児童の問題行動の対応に追われたりと、広辞苑の「因果応報」の例文にも載せて良いくらいの経験をしました。

 そして結果的には子どもも、そして自分自身も自信を失い、成長意欲を失う。

 理想とは真逆の状態になってしまいました。


 このことから学んだ教訓はシンプルなものです。

 授業と学級経営が上手くならないと、理想には近づかない。

 




 話がめちゃくちゃそれました。

 これはなんの記事だったかというと、自分の教育観を再考する記事でしたよね。

 自分の軸を作る記事でした。


  ”自分は将来何者かになれると信じて、努力できる子ども”

 を育てたい僕は、

 「社会の成因としての子どもを育てる」

 といった意味合いの教育にさほど関心がありません。

 なので規律性を重んじる教育に嫌悪感に近い何かを感じています。

 



 だから失敗したんです。僕。

 


 人間にとって、「個人」と「社会」は切り離せないものです。だと思います。

 どちらかに過度にフォーカスを当てすぎると両方ダメになります。

 学校だって小さな社会です。「学級」と「子ども」は切り離せません。

 

 では「個人」と「社会」を結びつけるものは何か。

 それが「法」、学級で言えば「教師」です。

 この考え、以前の僕なら嫌悪していたと思います。

 「教師個人が法になるなど、合ってはならない。そんなもの独裁だ!」

 って叫んでいたと思います笑

 でも、現実問題として、子どもは大人の判断をもとに善悪を判断します。

 
 善悪の判断を子どもに委ねるとどうなるか。

 


 「力の強いものが勝ぁつ!」

 


 世紀末になります。

 



 僕のクラスそうなりましたもん。

 
 だから、先生が法として一貫性をもっていなければ、子どもが不安定になってしまうんです。

 
 じゃあ、先生はどうやって「刑」を執行するか。

 「叱り」と「褒め」

 です。

 「どこで叱って、何を褒めるか。」

 これが一貫することで、子供が安心できる教室になるのではないかなと思います。

 ここに軸を作りましょう。

 
  まずは「叱る」からいきます。

 「叱る」って僕にはすごい難しいことで・・・。

 なぜかと言うと僕自身の規律性がひっくいからです。

 すぐに「これくらい良いじゃん」って思ってしまいます。

 なので、感情的には叱りたくないけど、先生として叱らなきゃいけないって場面が多いです。

 ただ、ここをおろそかにすると学級が荒れるんですよね。

 そして結果的に「秩序が保てなくなる恐怖」から感情的になって叱ることが増えます。

 なので、多少無理してでも年度はじめに秩序づくりを頑張ることは子どもにとっても、僕にとっても大切なことなのかなって思います。

 

 

 
 叱る基準はなるべくシンプルにします。

 「思いやりがない行動をした時」

 とかですかね・・・?

 人を傷つける

 いじめをする

 失敗を笑う

 などは言語道断ですし、

 時間を守らない→周りの時間を奪っている。周りに対して思いやりが足りない。

 教室を走り回る→周りの安全を奪っている。周りに対して思いやりが足りない。

 ルールを破る→先生や友達との約束を破っている。周りに対して思いやりが足りない。

 などとも言えます。

 こういった行動に対しては、毅然として「ダメです」と言えるようにします。

 まあ・・・まずは自分が態度で示せるようにしないといけないですね!

 

 そして、褒める基準ですが・・・

 これは素直に「すげえなあ」って思ったことを口に出せば良いんじゃないかなって思います。

 ただし、特大の「すげえ!」は用意しておきます。

 それは

 「成長しようとしている姿」

 「自分の力を人のために使っている姿」

 そして、

 「影ながら努力している姿」

 です。

 前者二つは派手なので見つけやすいんですが、三つ目はなんとも見つけづらい・・・・。

 でも、自分自身の体験としてこの三つ目が一番大事だと確信しています。

 僕はミスが多いってことで叱られることが多いです。

 でも、叱られるたびに再発防止のために改善策を実行しているんですよ。

 そういうちょっとした努力を(本人は「ちょっとした」のつもりではないです)少しでも見て声をかけてくれたら、どんなに嬉しいかって思います。

 なので、来年度は子どものちょっとした頑張りをなるべく多く見つけてあげたいなって思います。



 来年度僕は「分かりにくい先生」から「分かりやすい先生」になります。

 子どもが

 「Pu先生は○○な先生だよ」

 って即答できるようにします。

 「Pu先生は、思いやりがない行動をした時に叱って、小さな頑張りも褒めてくれる先生だよ」

 って言ってもらえるようにします。

 相当子どものことを見てあげないとできないことです。

 そのために、仕事の優先順位をつけなくてはいけません。子どもがいる時間であれば、

 1授業・授業準備

 2子どもの話を聞く

 3子どもを観察する

 4事務作業

 これを来年度は絶対に崩しません。

 よく、「まずは学校全体のこと、次に学年のこと、最後に学級のこと」って言われますが、それはなるべく子どもがいない時に計画的にやります。

 子どもとの時間を削ってやりません。



やばい。自分が何を書いているのか分からなくなってきた・・・。

これ多分没ですねえ。

一応今回書いたことをまとめておきますかね・・・。


・僕が育てたい子どもは自分は将来何者かになれると信じて、努力できる子ども。

・そんな子どもを育てるために、授業力と学級経営力を高める。

・叱る基準は「思いやりのない行動」

・褒める基準は「自分を成長させようとする行動」、「人のために自分の力を使う行動」、「小さな頑張り」

・仕事の優先順位は
 1授業・授業準備
 2子どもの話を聞く
 3子どもを観察する
 4事務作業

 


 ・・・。

 


 全然教育観を語る記事になってない・・・。

 これじゃ、ごちゃ混ぜ記事ですね・・・。

 タイトル変更。

 

ごちゃ混ぜ記事!!!!!


最後まで読んでくれた方々。すいませーーーーん💦




 最後に・・・。ご協力いただきたいことがあります。

 先輩方は指導に一貫性をもたせるためにどんな工夫をされてますか・・・??

 もしくは、何を軸に指導されていますか?

 お忙しいと思いますが、回答いただければ幸いです。




 


 



 


 

 





 

 



 

 

 



 

 

 

 



 

 

 

 



 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?