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「モネとマティス―もうひとつの楽園」をみて考える、表現者の能力の話。

ポーラ美術館で2020年6月1日(月)~11月3日まで行われている「モネとマティス―もうひとつの楽園」をみてきました。

僕はアートに関しては、不定期に美術館に行く程度でそれほど造詣が深いわけではありませんが、曲がりなりにもマジシャンという表現者をやっていまして、この展示から一表現者として多くの気付きや刺激がありました。表現者視点から感じた事を文章として残しておきます。

まず、この展示では絵画作品の背景にある「楽園づくり」が一つのテーマとなっています。「鉛筆をとるために、庭を造った。部屋を飾った」というキャッチコピーから分かるように、自らの創作の為に、モネは庭園を、マティスはアトリエを作り上げました。その自ら作り上げた制作環境をこの展示会では「楽園」と表現しています。

絵画制作の上での理想的な環境という「楽園」を追い求めたモネとマティス。舞台装置を設えるように、自身の描きたい空間をまずは現実の世界に創りあげたうえで、絵画に描いています。風景と室内を主題としたふたりの画家に共通する作品制作の背景に迫ります。https://www.polamuseum.or.jp/sp/monet_matisse/o_20200403_03/

展示を見ていくと、彼らがどのように、どんな楽園を作り上げていったのかがわかり、その規模感や執念に圧倒されます。絵を描くために、そこまでやる必要があるのかと。

極端なリソースを注いで作られる楽園と、その楽園から生み出された彼らの作品を見ていくと、そこまでやる必要があったのだろうな、と感じます。彼らの作品群はやはり、その楽園がなければ作りようがなかった。

ついつい僕達は表現者の技巧やメッセージ性ばかりに目がいってしまいます。そして、自らが表現をする場合も、自身の技巧やメッセージを他の表現者との差異として受け取ってほしいと思ってしまう。ですが、表現者の能力というものはもっともっと広く捉えるべきであるし、一般にコアではないと考えられている能力こそが表現者としての差異になりやすいのかもしれないと感じました。

ある程度絵が描ける画家はたくさんいる。その中で、庭園を造れる画家がどれくらいいるのか。庭園を造る為には知識と費用と情熱が必要なので、圧倒的な差異になり得る。また、多くのモデルと良好な関係を築きながら、モデルに合わせて部屋の装飾を変えていく事も、絵を描くのとは違う能力が必要になります。

もちろん、彼らは差別化としてこのような楽園を作ったわけではないのだと思います。自身の作りたい物を作る為にただ必要な作業だったのでしょう。しかし、彼らの楽園づくりを見る事は、僕にとっては多くのヒントがありました。

技巧が簡単に身に付き、メッセージをいくらでも発信できる現代において、表現者は何を武器にしていくべきか。その答えの一つが徹底的に美しく、いるだけで創作意欲が溢れ、他の誰にも作れない自分だけの楽園をつくること、なのかもしれません。

展示そのものもモネとマティス、そして二人に関連した作家の作品が一挙に公開されており、大変に見ごたえがあります。特に目玉の一つでもあるモネの代表作、「睡蓮」の連作7点は圧巻です。

なかなか外出しずらい時期が続きますが、何かの表現を行っている方にはとても刺激になる展示だと思いますのでおすすめです。

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