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自己紹介的に20年間の学びを振り返る

こんにちは。こちらの記事にたどり着いていただいてありがとうございます。
私は北の大地の中小企業で、自社Webサイト周りのアクセスやらデータやらと日々格闘しながら本業とは別に社内勉強会、最近だと企業内ラーニングコミュニティと言われるものを運営している40代半ばの人間です。
私が運営している社内勉強会が先日で丸2年となり、計20回開催することができまして、そのことをnoteに書こうと思ったのですが、その前に現在まで自分と学びはどのようなきっかけや距離感で至ったのかを振り返ろうと思い、自己紹介的に学びのバックグラウンドを書き綴ってみます。

特に本は好きじゃなかった【学生時代】

私は学びのベースが本なので、周りから「昔から読書してたんですか?」と聞かれることが多いのですが、学生時代はほとんど本は読まなかったです。記憶にあるのは姉が好きだった星新一さんの小説を読んでたくらい。あー、ズッコケ三人組は好きでしたね。小学生の時、図書室に借りに行ってたな。
大学時代は経営学部で会計学のゼミに所属していましたが、決して積極的に勉強に取り組む学生とは言えず、本は教科書以外で年1~2冊読んでたくらいだと思います。
そんな私が社会人になって、強制的に本や学びに向き合うことになります。

長期休暇時は読書感想がノルマだった前職【20代前半】

私は新卒で入社した前職が大手と呼ばれる企業で営業職でした。フルフレックスタイムでとにかく忙しい会社だったので、本を読んでるヒマなんてない…と思っていたのですが、まぁ上司や先輩が勉強するんです。ビジネス系雑誌はすべて目を通すし、特に本(ビジネス書)を読む。机に積んである。日常会話でその内容が飛び交うような環境でした。
上司・先輩が読むのはそりゃそうだよな、なんて思っていたら配属された部署では、新人含めて社歴関係なくGW・お盆・年末年始はビジネス書を1冊読んで休み明けの営業会議で感想を言わなければならないということがわかり。
数字の報告だけでもしんどいのに、本を読む習慣がない私が読んだ上にアウトプットなんて。楽しいはずの長期休暇が、遊んでいても「本を読まなければ」という強迫に近い思いが頭によぎり続けるというイマイチリフレッシュできない時間を休みのたびに過ごしていました。何を読んでいいのかわからなかったので、先輩に勧めていただいた本を読んで感想を述べていましたが、今考えると内容をあまり理解していなかったと思います。
その会社では4年ほどお世話になっていたのですが「社会人って本を読んだりして勉強するんだな」と思ったというか、それが当たり前の環境で何も疑問がありませんでした。

転職で今までの当たり前が当たり前じゃなかったことに気づいた【20代後半】

色んな理由があって26歳の時に転職をしたのですが、そこで今までの当たり前が当たり前ではなかったことに気づく一言に出会うのです。
「ビジネス書を読んでるんだぁ。意識高いね」
え?意識高い??前の会社ではみんな本を…と言いかけましたが、転職先で前職の話をするのは禁句とどこかの雑誌に書いてあったので、コーラと共に飲み込みました。ただ、当時の衝撃は20年近く経った今も体が覚えています。様々な統計データで日本人は社会人になって学ばなくなると言われているので、学ばない職場環境のほうが多いんでしょうし、今考えれば驚くことではなかったのかなと思います。
ただ、学びに取り組んでいる人にとって「意識高い」という言葉は殻にこもるキラーワードなんですよね。入口の蓋も閉めちゃう。いい意味で使われてないもんね。そうなると誰にも言わず孤独に学びに取り組んじゃうんです。かく言う私自身が孤独に勉強をしていた人間でして。アウトプットですか?そんなことしたら「アイツの意識は羊蹄山並み」なんて言われちゃうから絶対しないですよね。
あーごめんなさい。北の大地感でちゃった。羊蹄山は蝦夷富士と呼ばれる高くてきれいな山です。

読書はすでに自分の中で当たり前になっていた

環境が変わったものの、読書はやめなかったです。前職の先輩・同僚はホント仕事ができる人ばかりで、その裏付けとして本を読む、勉強するというところをいやというほど目の当たりにしていたのでやめる理由が無かったんですね。あと同期もめっちゃ勉強する人たちで、転職後もたまに会ってたのですが「最近なに読んでるの?」なんて会話を居酒屋さんでするのが普通だったので、読んでないって言えなかったし。
会議で読書感想なんて当時の新人の私にとっては「うえー」って感じだったわけですけど、いい意味で強制的にそのような状況に置いてもらっていたことがいつの間にか習慣となり、読まない、あるいは学ばないという選択肢がなくなっていたんだと思います。
そう、読むか読まないかの二者択一ではなく、読むの一択、読まないという選択肢がなかったんですね。この経験はその後のキャリアにおける自分の学びに対するスタンスを作ってくれました。

社労士の勉強を続けたけど合格通知が届かなかった5年間【30代前半】

一般的に転職の波が来る30歳前後。御多分に漏れず私の周りも転職する人が増えていたんですけど、当時の私はこれまでのキャリアで一番悩んでいる時でなかなか先が見えない中、人材業界にいることもあり社会保険労務士を資格を取得しようと一念発起しました。今考えるとこの選択がより自分を悩ませた決断でしたが…。
当時二人の小さな子供を抱えていたものの、自分の将来を本気になって考えた決断だったので妻に相談して独身時代の貯金を切り崩して「本気になったら××」の専門学校に1年間、毎週土曜日に通いました。9:30~17:00だったかな。ここで一番刺激的だったのが、同じクラスの中で自分より年上の人たちが一生懸命勉強してるんですよね。50代・60代の人も。資格の勉強ではありますが、意識高いと言われて殻にこもっていた私にとってこの刺激はすごかったですね。やっぱ勉強するのって普通だなって。
ただ、勉強内容は想像以上に大変でした。科目で8種類の法律を横断的に学ぶし、今の法律内容だけではなく、法律ができてから幾度となく法改正されたものを過去の改正内容などさかのぼって学ばなければならず、また毎年細かい法改正も入り、再チャレンジのたびに覚えることが増える。
結局学校に通った1年目は不合格。さすがに金銭的に厳しいので2年目からは書店でテキストを買って独学しました。8月末に国家試験なんですが、9月だけは休息期間として勉強せず、それ以外の11か月間、平日は仕事後に毎日1~2時間、土日は朝早めに起きて3~4時間勉強しました。家族との時間を考えるとこれが精いっぱい。結局、5年チャレンジして全て不合格通知が届きました。
5回目に限界を感じてそれを最後にしました。34歳の時ですね。周りからはもったいないとか、あきらめたらそこで試合終了だよとか自分が考えた言葉のように言う友人もいましたけど、サンクコストになっているような気もしていたのと、その時間を他に充てるほうが賢明だと判断しました。
当時は無駄な時間だったのかもしれないと思ったこともありましたが、この必死に勉強した経験はのちに自分を助けてくれたし、今も助けられています。

知識ゼロの部署へ異動になって勉強に助けられた【30代後半】

社労士にも受からず10年携わっていた営業職にも限界を感じていたので異動希望を出しました。といっても部署を指定したわけではなく、分析思考が強いのを自覚していたので活かせる部署をという希望で今のWebサイトに関わる部署に異動になりました。分析思考とか言いましたけど、当時はExcelもsumとaverageくらい、グラフもちょこっと。みんなiPhone持ってるのにガラケー保持者。アプリってなんですか?というド素人での配属。
ただ、焦りはあまり無かったです。というのも「勉強すればいいや」ってなんとなく普通に思ってました。経験はなかなか埋めにくいけど知識は自分でなんとかなると。
実際はいろいろ大変でした。仕事自体も2年くらいは勉強が仕事みたいな日々でしたけど、当然業務は動くので失敗も多かったし、周りの人との知識レベル差に悩んだし。でも「くっそ勉強してやる。今に見てろよ!」って気持ちを、作り笑いの裏側で思いながら乗り越えてました。それはここまでの環境や、自分なりの意識、社労士資格の勉強など学びに対する積み重ねがあったからそう思えたんだと思います。
だから、勉強会に来てくれる後輩たちには「学びを続けることは、いつか自分を助けるから」と伝えています。キャリアや人生において大きな変化が来た時、助けになるのは学びだと確信しています。後輩のみんな、見てる?

40歳の焦りという内発的動機で参加した社外勉強会【40代前半】

35歳で社内キャリアチェンジをして、足りない知識を勉強することで補いながら日々の仕事に向き合っていたのですが、業務外の学びはあまりできておらず、友人からは「もっと勉強しろ」と会う度に言われてました。「クッ…」と下唇を噛みつつも、仕事も学びもレベルの違う友人たちなので何も言い返せず。
また業務の性質上、外部との接点がほとんどないまま40歳を迎えて人間関係を作る機会も、外的な刺激もなく急に焦りを感じ、会社の代表をやっている友人に焼き鳥屋さんで「平社員でも参加できる勉強会とか何か集まりがあったら教えてくれー」と人生で初めて食したハツ串(塩)を頬張りながらお願いしました。今振り返ると、この一言がラーニングコミュニティを運営するスタートラインでした。

その後まもなく紹介してもらった、異業種の方が集まる勉強会に月1回ペースで参加しました。
中心になってる方々は私よりも少し年齢が若かったのですが、独立している方や経営層の方も多く、自分の視座の低さを痛感しつつ、参加するたびに学びのシャワー…というか滝に打たれているような感覚でした。自分もそれなりに取り組んでいたつもりでしたが、上には上がいる(参加している方は上とか下とか思っていなかったでしょうけど…)ことを肌で感じました。
また、行く前は「緊張するなぁ。うまく話せるかなぁ」と毎回不安な気持ちで参加するのですが、翌日には「学びも気づきもめっちゃあって行ってよかった!」と前日の不安を白々しく忘れるくらいに満足していました。学びのコミュニティでは結構あるあるかもしれないですね。
コロナ禍をまたいだ2年弱の期間でしたが、参加していなければラーニングコミュニティを立ち上げることはなかったと思います。特に管理職でもなく、また私のような職種の人はいなかった中で受け入れていただいたこと、また出会いに大変感謝しています。ほんとあの時いろいろカミカミですみませんでした!

ここまでの学び人生まとめ【46歳】

ざっと20年ほどを振り返ったつもりでしたが、あっという間に文字数が増えていき、20年を一度に語るって大変ね、なんて思いつつ、改めて自分の学びへの取り組みを振り返ってみると「環境」がポイントだったと感じます。たまたまの環境もあれば、自ら飛び込む環境もあったりと身を置いた背景はいろいろですが、学びへの意識と環境は密接に結びついている、少なくても私は密接でした。
そして、自分はたまたま学びの環境にいたけれど、そうじゃない人もたくさんいるのではないか?この環境を誰かのために自分でも作れるのではないか?そう思い、考え始めたのが企業内ラーニングコミュニティの立ち上げでした。そのコミュニティをどのように立ち上げ・運営しているのかは、次の機会に書きたいと思います。


本は読むか読まないかの二者択一ではなく、読むの一択。
社会人になって学ぶことは意識高いのではなく、当たり前。
選ぶものでも迷うものでもなかった「学び」。


そんな20数年を振り返りました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。


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