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◼︎ 玉城按司兼松金の墓 ◼︎

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奥武島にある「玉城按司兼松金の墓」に行ってきました。14世紀中頃、玉城グスクの落城により奥武島に逃れた玉城大屋子(うふやく)と新垣大屋子の祖父である玉城按司兼松金(かにまちがに)の墓です。兼松金は玉城王と思樽金(うみたるがに)の子供です。

琉球開闢伝説によると…
玉城城は、琉球を創造した神・アマミキヨがを築き、その子孫が城主となったとされています。ですが、築城年代や城主については不明とされています。兼松金は、英祖王の四代目・玉城王の跡を継ぎ、五代目の王位に就いた「西威王」とも言われています。

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この墓は奥武集落の発祥に関わる重要な史跡とされ、清明祭の時には両門中が拝み、5年ごとの「山嶽(さんだき)拝み」のときには集落で礼拝するそうです。

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