マガジンのカバー画像

沖縄の史跡

192
沖縄には「御嶽(うたき)」や拝所と呼ばれるウガンをする場所がいたるところにあります。観光地ではないので紹介されることはありません。場所によっては不思議な雰囲気をかもしだす御嶽や史…
運営しているクリエイター

#写真好きな人と繋がりたい

■ 豊見瀬ウタキ ■

豊見城市にある「豊見瀬ウタキ」に行ってきました。何度か探していたのですが、たどり着くことができず半ば諦めていました。どうやら空手会館の建設のため立ち入ることができなくなっていたことが原因のようです。久しぶりに訪れてみると、すっきりしたこともあるのか、遠目からでも場所がわかるようになっていました。 豊見瀬ウタキは豊見城グスクの中にあり、戦前はアーチ状の門構えで入口は木戸だったそうです。中に入れるのはノロとそのお供の2人だけだったそうです。 ここはハーリー発祥の地とされ、毎年

■ 戦後の竜宮神 ■

馬天のクジラ公園内にある「戦後の竜宮神」に行ってきました。明治時代、馬天は海軍の貯炭場や給水タンクが整備され、港は国頭からの山原船による木材・薪炭などの移入港として栄えたそうです。また、大東諸島との航路となったことから移住者が増え、海岸近くはハマヤーと呼ばれる小集落ができたそうです。 なぜ「戦後」と付くのは分かりませんが、戦前はナーチャミーモーの近くにあったそうです(ナーチャミーモーについては後日)。戦後は、旧久高船のチケット売り場の南側や漁業組合事務所の東側に移り、現

◼︎ ウミナイ御墓 ◼︎

大里城趾付近をウロウロしていた時に見つけた御墓です。崖のようなトコロに案内板があるのを偶然見つけ、周辺の御嶽とまとめて撮影しました。「ウミナイ」は「妹」という意味で、かつてこの周辺を治めていた島添大里按司の妹の墓だといわれてます。 14世紀頃… 島尻地域を支配した島添大里按司によって島添大里城が築城されました。大里・佐敷・知念・玉城地域を支配下に置き、中国の明王朝とも盛んに貿易を行い、大きな勢力を誇っていました。しかし、初代琉球王朝の国王となる尚巴志によって攻め落とされ

◼︎ 松尾御嶽 ◼︎

南城市大里地区にある松尾御嶽(まちゅーうたき)に行ってきました。この辺りには多くの拝所・御嶽があり松尾御嶽もその一つです。アーチ橋を模したような形をした御嶽となっています。僕の写真ではツタに覆われ分かりづらいですが、アーチの上には宝珠があり、両側には灯篭が置かれています。 琉球国由来記には「松尾ノ嶽」、神名「松尾森御イベ」と記されているそうえす。松尾御嶽は遥拝所だそうですが、どこへの遥拝所なのかはっきりしたことはわかっていないそうです。ちなみに僕が訪れた時は雑草が多く分

◼︎ ザズンの殿 ◼︎

沖縄の南部をドライブしている時に見つけた拝所です。百名公民館の前にあり、かつては「ヂャチュンノ殿」・「茶屯之殿」とも呼ばれていたそうです。ザズンの殿は、御嶽の山に鎮座する祖先神を村落内にお招きし、おもてなしをする祀りの場所だそうです。殿には、火ヌ神が祀つられ、この火ヌ神から各家庭に火種を分ける行事も行われたそうです。 かつては、旧暦2月3日の麦のウマチー、5月6月の稲のウマチーに盛大な祭祀を催し、村建ての神様に感謝をささげ、農作物の豊作を祈願していました。沖縄戦で破壊さ

■ 宮里公民館周辺の拝所郡 ■

今日紹介するのは原付で沖縄市をウロウロしている時にみかけた拝所群です。いろいろ調べてみたのですが、何もみつかりませんでした。 ちなみに調べている時に、Googlemapを見ていると、マップが古かったようで、トプ画にある白い祠?はありませんでした。きっと最近建てられたものだとおもわれます。

◼︎ 手登根殿 ◼︎

南城市の手登根集落にある「手登根殿」に行ってきました。以前、案内板通りに探してみたのですが、見つからず諦めました。調べてみると農園の裏手にあることが分かり、再度行ってみました。以前は、農園の木に隠れて発見できなかっただけでした… 手登根殿について調べてみたのですが、何も見つけられなかったのですが…「殿(とぅん・とん)」について書いておこうと思います。 「殿」とは、集落や御嶽に接している広場のことです。かつての沖縄では「殿」より上(丘)に御嶽やグスク、「殿」より下に村が

◼︎ 唐の船御嶽  ◼︎

八重瀬町の長毛集落にある「唐の船御嶽」に行ってきました。 昔々… 中国の貿易船が港川沖で難破し、船員はこの辺りに上陸し洞窟で住み始めました。彼等は食糧がなく、芋や野菜、にわとりや豚を盗んで食べていたそうです。激怒した住民は、このことを番所に訴え出ました。番所では遭難した船員に同情し、番所が食糧を分け与えました。 さて船員達はこの地に祠を設け、媽祖(まそ)と呼ばれる航海の女神を祀りました。彼らは故郷の中国へ帰れるよう、航海の安全と健康を祈願していました。やがて中国へ帰れるこ

◼︎ フスミ御嶽 ◼︎

原付でウロウロしている時に見つけた「フスミ御嶽」です。ずいぶん前に同じ名前の御嶽を紹介していますが、こちらは南城市にあるフスミ御嶽です。「フスミ」とは「へそ」を意味し、集落の中心とされています。 フスミ御嶽は、入り口近くに拝所があり、奥の方にいくと土帝君があります。かつては旧暦の3月3日には、海に行くかわりに「浜下り」という行事をここで楽しんだそうです。この拝所と土帝君を合わせてフスミ御嶽と呼ばれています。

◼︎ イークン御殿 ◼︎

宮城島にあるイークン御殿に行ってきました。イークン御殿は「ウドゥン(お宮)」とも呼ばれています。 琉球三国時代… 尚巴志に滅ぼされた他魯毎(タロマイ)の四男・宮城按司はこの地に逃れ隠れました。その後、宮城按司の二代目・宮城大主は、上根家の娘を妻として娶り、その子孫が祀られているのがこの拝所です。 イークン御殿は、池味と上原の2集落の神事の中心となっている場所で、現在も上原集落の神女は、最初にこちらで拝みを終えてから、各地に点在する拝所での行事を行いながら巡るそうです。

■ 新里ノ殿 ■

南城市の新里にある「新里ノ殿」に行ってきました。ここは新里大主の屋敷跡と言われ、その子孫や集落の人達が拝んでいるそうです。 元々の御嶽は地滑りによって消失してしまい、新里集落の拝所「イビの森」へ合祀されました。

◼︎ 龍神碑 ◼︎

八重瀬町港川にある龍神碑を撮影してきました。豊漁と安全祈願、海難者の慰霊のため、昭和2年に建立されました。5月の港川ハーレーの際にも、ここで御願を行うそうです。

◼︎ 安座間の拝所郡 ◼︎

安座間に撮影に行った時、その帰りに寄り道をした時に見つけた拝所です。安座間の公民館の周辺に拝所が多く、見つけた分を撮影してきました。アップの際に調べてみたのですが、見つからなかったので写真のみ紹介となります。 ちなみに安座間のことを調べていると、安座間は歴史ある集落であることがわかりました。安座間では終戦直後には発電機が整備され、各家庭に電気が通っていたそうです。 かつての安座間はイカ漁が盛んで、戦前・戦後は馬車軌道が通っていたそうです。馬車軌道とは、馬で線路上の車を

◼︎ 比屋根の大殿 ◼︎

沖縄市へ買い物に行った帰り、寄り道しながら撮影してきました。この辺りは「オシアゲ森」と呼ばれ、そこに比屋根の大殿はあります。現在は集落の行事として毎月御願が行われているそうです。