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もう少し,生きていたくなりました

 最近色々な変化があって,「もう少し生きていたく」なった。

 長く続けてきたことが実を結び始めたり,とんでもなく素敵な人に出会ったり,その人に評価してもらえたり……。あなたがこれまで苦しんできたことの意味は今ここにあるよと言われても納得してしまいそうな日々。(本当はもう少しだけ報われてもいいかなと思ってるけど。)

 もともと希死念慮があるわけでもなく,厭世的な考え方があるわけでもない。でも積極的に「生きたい」とも思っていなかった。


 あまりにも生きづらいから。

 鼻づまりで苦しくて目が覚める。頭が痛い。口が臭い。胸のあたりが何となく気持ち悪い。起き上がって点鼻薬をさす。肺に空気が入る,少し楽になる。歯を磨く,少しだけスッキリする。

 物心ついたときからずっと周りの人の顔色を伺っている。いつも歯を食いしばっているから顎が痛い。

 小学校の時,給食の牛乳が飲めなかった。周りの目を盗んでトイレの洗面台に流す。鏡に自分の(キライな)顔が映る。なんとも情けないし恥ずかしい。でも当時の自分はそうするしかなかった。

 何歳になっても器用にこなせなくて叱られる。すぐにお腹が痛くなってトイレの個室に逃げ込む。少し安心する。でもいつかは出て行って元の生活に戻らなきゃいけない。苦しい,ひたすらに苦しい。

 布団の中,今やっていることから逃げることばかり妄想する。妄想の中で復讐する。妄想の中でレールから逸れてやる。皆びっくりするだろうな。

 『もっと苦しい人たちもいるよ』……うん,知ってるよ。『そんなに恵まれてるのに何が不満なの?』……うん,あなた達から見たらそうかもね。でも僕は絶対的に苦しかった。少なくとも生への執着が生じないほどには。

 確かに自分の周りの人たちは「生きていたい」と思っているし,「死にたくない」とも思っているように見える。それが当たり前だと思っているらしいが,僕には理解できない。


 でも最近,もう少し生きていたくなってしまっている自分がいる。

 ずっと歩いてきた,長くて暗いトンネルの出口が見え始めた。それだけではなくて,トンネルを歩いてくる間に手に入れた経験が人の役に立ち始めた。さらに(信じられないことに)これまでトンネルを歩いてきたこと自体が評価され始めた。

 悪いことは続いて起こるが,良いことも同時に起こる。

 自分の(キライだった)容姿が,『悪くないよ』と言ってもらえた。自分の書く文字や文章が(ほんの,たまーに)他の人に評価されるようになった。自分の存在が必要だと言ってくれる人が現れた。

 生きてていいんだと思った。人生の歯車が噛み合い始めた。


 明日も生きていたい,できればもう少し長い間生きていたい。こんな感覚は初めてだ。しかしそれは自分のためではない。自分を評価してくれている人のため。その人のために,自分はまだ死ぬわけにはいかない。

 もちろん生への執着が無いのは良いことではないだろうけど,ラクではあった。「長く生きたい」と思うと,やらなきゃいけないことが増える。健康にも気をつけなきゃいけないし,お金の心配もしなきゃいけない。

 でも今はそれが楽しい。

 そんなことすら楽しく思えるほど,自分が肯定されている今が幸せだ。


 少し後の自分はこの文章を見てどう思うかな。恥ずかしくて仕方ないかな,それとも古き良き時代を懐かしむかな。いずれにせよ,少しは幸せな気持ちでいてくれたら嬉しい。

 足元をすくわれないように。この信条だけは今も昔も変わらない。


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