中国古典では、全生物をこのように、5種類の動物に分類している。
羽虫(長は鳳凰)
毛虫(長は麒麟)
甲虫(長は神亀)
鱗虫(長は龍)
裸虫(長は聖人)
「孔子家語‐執轡」
「羽虫三百有六十、而鳳為二之長一、毛虫三百有六十、而麟為二之長一、甲虫三百有六十、而亀為二之長一、鱗虫三百有六十、而龍為二之長一、裸虫三百有六十、而人為二之長一」
大戴礼記 曾子天円
我々人間は裸虫。
つまり、聖人以外は、単なる虫の裸虫。
五虫(動物)の長とは、その霊威を示すことが出来る存在。
霊威とはカリスマ的な威力である。
各々のグループの長同士は対等であり、理解し合える関係だ。
つまり、
聖人であれば龍と語り合うことが出来、
龍と対等に付き合える。
龍は鳳凰と対等であり、
鳳凰と麒麟は対等、
つまり、聖人になれば、
龍とも麒麟とも、神亀、鳳凰と付き合えることが出来るのだ。
逆に、人間は、聖人にならない限り、
対等に付き合えるのは、
羽虫、毛虫、甲虫、鱗虫だけ。
聖人になるか、裸虫になるかどちらかしかない。
聖人になる方法
それでは、聖人になるにはどうすれば良いか。
人類の中には生まれ持った聖人もいるが、
ほとんどが裸虫として生まれる。
そのため、意識しながら
仁義礼智 四徳を備えることが大切で、
四徳を備えた人物は、
自然に信 周りから信頼される人物になる。
この自然体であっても周りから信頼される人物こそが聖人である。
聖人にならない限り、裸虫から脱出できない。
これは、『論語』に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる
孔子家語に書かれている説話だ。
少し子供向けの話だが、
論語』に漏れているからこそ面白い。
お前は虫けらだ! 虫が好かない!と
人間を虫に置き換えた言葉は多くある。
その語源となっているのが、この説話。
その視点から「虫」に関する言葉を拾ってみよう。
小の虫を殺して大の虫を助ける
一寸の虫にも五分の魂
苦虫を噛み潰したよう
虫も殺さない
虫の息
虫が好かない
虫の知らせ
虫の居所が悪い
私たちの中には、
聖人と裸虫 両方の要素がある。
生まれつき聖人の人もいるけれど、
多くの人は裸虫。
だからこそ、人間教育が必要なのだ。
聖人になるための教育書として、
四書五経
それを提唱したのが儒教であり、
聖人になるため教育書として、
仏教経典
それを提唱したのが仏教だ。
一般社団法人数理暦学協会
山脇史端
※自分を知って、人間力を高めよう。
私たちは、東洋哲理という先人達からの智慧を、現在のビジネスシーンに取り入れて生かして戴くことを目的に活動しています。サポート戴ければ幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。