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2. 社長の横田です 3.地域活性化について

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トヨタケ工業株式会社の社長の横田幸史朗です。まずは簡単に自己紹介を。

2011年にトヨタケ工業に入社するまでは新卒で入社した大手製造業(トヨタケとは全然関係ない)で12年勤めていました。名古屋にある本社の情報企画部門にいて、途中2003年から2010年の6年半の間はイギリスの地方都市マンチェスターに駐在していました。イギリスにいる間にリーマンショックや平成の大合併があったりと、帰国すると様変わりしていて逆カルチャーギャップに悩みました。もともと高校生の時にもアメリカに高校留学に行っていたりしたので、外国かぶれっていうのもあったかもしれません。。。

2011年4月から実家が営むトヨタケ工業で働こうと思い前の会社を2月末に退職したのですが、3月に東日本大震災が起きましたね。4月は会社が動いていないところから始まりました。稲武が職場になりました。

前回の金島さんの記事に会社の紹介がありましたが、ホームページにも詳しく載ってますので是非そちらもチェックしてみてくださいね。ニュースのリンクなどもありますよ。

なぜ地域活性化事業か?

さて、このNoteではトヨタケ工業の製造業としてのモノづくりの話ではなく、地域活性化事業についてポストが続きます。なぜでしょうか。
2015年から地域活性化事業を始めた経緯はおいでん・さんそんセンターのこちらの記事をお読みください。

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お分かりいただけましたでしょうか?

簡単に言うと、「中山間地における過疎高齢化という地域問題が、会社の将来の人手不足の問題と同質」ということです。つまり、会社の人手不足に手を打っていこうとするならば、一緒に地域の課題に取り組む必要があります。会社として地域活性化に取り組まないといけないのです。この記事の最後にちょうど始まった、として書かれている「INABU BASE PROJECT」は2016年以降今日まで発展してつながっていて、最終的会社に若手を呼び込む仕組みとなりました。これによって地域にも若手が入ってきて新しい息吹を吹き込んでくれているのです。

INABU BASE PROJECTについては、移住者の若者が書き連ねてくれる別のNoteがあります。是非そちらもチェックしてみてください。なぜ私のプロフィール写真がマウンテンバイクなのかもわかります(笑)

このような活動によって2015年、記事の書かれた当時のシミュレーションとして10年後は成り立たない絵になっていたものが…

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この5年間の取り組みで下記の様になりました。

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ベテランの方も頑張ってもらいながら、若い人も増え健全なバランスを当面は維持できることになったのです。地域の資源を価値化し魅力として訴え続けた事で、地域に希望が見え、そこに人が集まるようになったのだと考えています。希望があれば人は増える、逆に人が増えないのは希望が感じられないからだと思います。その希望を作り出すこと、それが地域活性化の神髄だとやってみてあとから思いました。

さて、次は地域活性化から始まったもう一つのプロジェクト「ファブカフェプロジェクト」についてもご説明いたします。(横田)


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