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旧西市銀座通り

説明

 下関市役所豊田支所から豊浦橋を経て南に伸びる街道は、かつて西市銀座通りと呼ばれた賑やかな商店街でした。その中心部には短いながらアーケードが設置され、歓楽街の様相を呈していました。そのアーケードも2010年ごろ撤去され、現在営業している店もわずかとなりました。閉店した店のシャッターが繁栄していた頃を偲ばせます。(F)

沿革

 街のはじまりは江戸時代初期(1600年代)にまでさかのぼります。中世まで(1200年頃~1600頃まで)豊田には2つの市が立ち、それぞれ東市、西市と呼ばれていました。それらは両方木屋川の東側にありました。ところが木屋川は度々氾濫し、市場に被害をもたらしました。木屋川の東側の土地が水害に遭いやすいのに対し、西側の土地は当初荒れ地でしたが少し標高が高いために水害に遭いにくいことから、西市の商人が次第に木屋川の西側へ引っ越しはじめ、今市と呼ばれるようになりました。その後もひきつづき次々と商人が引っ越したため、今市が西市と呼ばれるようになり、現在にいたっています。その頃の街道がそのまま現在の商店街の道となっています。
 江戸時代の豊田は萩藩の所領と長府藩の所領に分けられましたが、西市は長府藩所領の商業の中心地となりました。一方山田川の北側は長正司と呼ばれ萩藩の所領の商業の中心として発達しました。
 繁栄の頂点は大正時代から昭和の中半にかけて(1920年頃~1970年頃)と言えましょう。長門鉄道の開通、また美祢地域での炭坑の発展が西市に収益をもたらしました、しかし1970年の美祢炭田の閉山、県道バイパスの開通による商業の中心の移転が商店街の衰退をもたらし、地域の過疎化が追い打ちをかけました。(F)

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かつてアーケードがかかっていた道

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2021年時点で営業しているスナックフジ

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2017年に閉店した松田金物店

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2021年時点で営業している田中書店

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通りに面した慶雲寺

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慶雲寺側から見た街道、江戸時代にはこの辺りに恵比寿神社がありました

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場所

〒750-0423 山口県下関市豊田町大字西市35−3

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