豊田町観光協会

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最近の記事

溶岩焼き 鳥瀬

説明 城戸の県道沿い、関所跡の近くにオープンした石板焼肉屋さんです。幾つかのコースが選べ、野趣あふれる肉料理が楽しめます。石板は鉄板や網とくらべると温まるのに時間がかかるので、板が温まってからじっくり焼いて食べます。2022年8月ごろからうどんや丼物も出すようになりました。ご飯や味噌汁、副菜などがバイキング形式で食べられます。 料理バラエティーセット 自由にとれる副菜 店内の様子店の外観場所〒750-0455 山口県下関市大字城戸11

溶岩焼き 鳥瀬

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    2022年春、豊田のさくらスポット

    2022年春、豊田のさくらスポット

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    江良 大津霊瑞の碑と地蔵堂

    説明 江良から崋山に登る登山道の入り口付近でわき道の縁に石垣で小高くした区画に石碑と地蔵堂が並んでいます。(F) 大津霊瑞の碑 神上寺第61世の住職である大津霊瑞氏は1815年(江戸時代後期)、山口市秋穂の生まれで、本名は藤村善十郎と云ったそうです。藤村家が代々大津屋と称したのが名前の由来だそうです。当時付近では数年おきに凶作にみまわれていましたが、備蓄した米穀を村に寄贈し、策を講じました。村民はその公徳を讃え、石碑を建立したそうです。碑文は豊田神社宮司の成瀬嘉貞氏が作成さ

    江良 大津霊瑞の碑と地蔵堂

    城戸の関所跡

    説明 菊川町から豊田町に向かう県道に山と川が迫る場所にかつて関所がありました。地名の城戸もそのまま関所の意味です。この地では関所を「せっしょ」と読みます。現在それを記念する石碑と案内板が道路わきに建てられています。  実際に関所があった時代は平安時代後期から鎌倉時代を経て南北朝時代にかけて、豊田氏がこの地域を治めていたころです。西暦でいうと900~1300年頃です。当時菊川町側は大内氏が治めていました。外部から不審者が入り込まないように警戒していたようです。関所には片山という

    城戸の関所跡

    豊田東八幡宮で観察できる植物

    説明 現在の豊田東八幡宮は1888年に造成されたので、それより古い植物は見られませんが、初期に植栽された木は樹齢100歳を超えます、また豊かな自然に恵まれて、自然に生えた植物もあり、植物観察に適しています。  境内に見られる植物は、植栽されたものとして、スダジイ、ゴヨウマツ、トガ、モミ、イチョウ、オガタマノキ、サカキ、ソメイヨシノ、ノダフジなどがあります。  自然に生えた植物にコシアブラ、ノグルミ、リョウブ、コバノミツバツツジ、サンヨウカンアオイなどがあります。(F) 画像

    豊田東八幡宮で観察できる植物

    おやつ亭 春夏冬中

    説明 ショッピングセンター ラピールの入り口にあるテイクアウト専門の食品店で、たこ焼きと太鼓饅頭を売っています。太鼓饅頭は小豆餡だけでなくカスタードクリーム、チョコクリーム、キャラメルクリームなど、多彩な味のものが買えます。買い物の前に注文して帰りに買って帰るのがお勧めです。  太鼓饅頭とありますが、豊田で生まれ育った私(F)の記憶によれば、昭和の時代、太鼓饅頭という呼び方は少数派で、回転焼きとかお焼きとか呼んだように思います。  この店の入る前にはこのばしょに小僧寿しがあり

    おやつ亭 春夏冬中

    西長野の六地蔵(八地蔵)

    説明 西長野の集会所の後ろにトタン屋根をはった地蔵堂があり、8体の地蔵菩薩石像が安置されています。そのうち6体は同じ大きさの船形地蔵で、六地蔵だったと考えられます。その中央に少し大きい立像が挟まれ、向かって右下に小さな船形の立像が安置されています。内山田洋とクールファイブみたいな状態です。おそらく数か所にあったお地蔵さまをひとつのお堂にまとめたためと思われますが、六地蔵の中央に大きめの仏像をはさむ並べ方は、神上寺にもみられ、特別な意味があるのかもしれません。  また、お堂の左

    西長野の六地蔵(八地蔵)

    旧白石公園

    説明 かつて豊田中央病院のわきから庭田に通じる道を登り切った峠のわきの丘の頂上に美しく整備された庭園がありました。そこは白石公園と呼ばれ、豊田西八幡宮の下にあった白石呉服店というお店の店主が私財を出して整備されていたそうです。1960~1980ごろ、西市幼稚園や西市小学校の児童の遠足の目的地としてしばしば利用されていたので懐かしむ方もおられると思います。白石呉服店は1980年頃本店が火事で失われ、多くあった支店も次々と閉店し、現在ラピールのなかの小さな店が残るのみとなっていま

    法道寺橋跡

    説明 楢原の祇園社の下に、木屋川を渡る板橋があり、法道寺橋と呼ばれていました。1975年ごろまで存在し、殿敷部落と楢原部落をむすぶ生活道路として利用されていました。その後県道34号線バイパスが建設され、近くに立派なコンクリート製の橋がかけられた頃に撤去されました。  私(F)の記憶に寄れば、木屋川の中央に直径2m程度の岩が突き出ていて、それを橋脚として利用し、幅30㎝、厚さ5㎝程度の木の板が都合2枚かけられていました。左岸側の木板は長さ4m程度で川面から1m程度の高さにかけら

    楢原、祇園社下の地蔵堂と庚申塚

    説明 楢原の旧街道沿いの集落の端、また旧法道寺橋から続く肥中街道との合流点だった場所に小さな地藏堂があり、3体の地蔵菩薩が安置されています。左に花崗岩で作られた立像があり、右には砂岩で作られた坐像、中央は砂岩製の小さな坐像です。どのお地蔵さまも右手に錫杖、左手に宝珠を持っておられます。看板によれば、お地蔵さまは1726年に奉納されたそうです。左手の脇には小さめの庚申塚が建てられています。法道寺橋は1975年ごろまで残存していましたが、県道バイパスが新しく建設されたころに撤去さ

    楢原、祇園社下の地蔵堂と庚申塚

    楢原 祇園社

    説明 楢原の北海道(小月から仙崎にぬける道)から緩やかな坂を20mほど上ったところにある小さなお宮です。神仏習合のお宮によくある拝殿と本殿が一体となったお堂のような形状で、赤瓦葺き入母屋造り妻入りの、壁のない開放的な建物です。本殿の手前一段下の平地には、摂社の石祠もあります。すでに座が落ち始めていますが、参道や境内は綺麗に清掃されており、丁重にお世話されていることが分かります。神秘的な空気の漂う、秘境のお宮と言えます。(F) 沿革 創建の年代等は分かりません。位置からすると

    レストラン万作

    説明 道の駅、ほたる街道西の市の中にあるレストランです。かつてバイキングで人気を博しましたが、現在はやっていません。食券を買い、店内に入ると、席に案内されます。テーブル席と座敷があります。野菜市と同居するためか、どの料理も野菜がふんだんに使われています。またジビエ料理を出すのも特徴です。(F) 料理猪ハンバーグ定食 店内の様子食券販売機 テーブル席 入り口付近 場所〒750-0441 山口県下関市豊田町大字中村876−4

    レストラン万作

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    様々な地点から見える崋山

    様々な地点から見える崋山

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