碓氷第三橋梁(めがね橋)


2024.04.13
明治25年(1892年)12月に完成した日本最大のレンガ造りのアーチ橋として知られる旧信越本線に残るめがね橋こと第三橋梁にやってきた。ここには、2020年5月に初訪問をしていたから4年ぶりの訪問であった。


この碓氷峠は、横川駅は海抜387メートルですが、峠を越えた先にある軽井沢駅の海抜は939メートルで、このすさまじい高低差を登っていくため、牽引する機関車はアプト式車両となり、2本のレールの真ん中にギザギザのあるラックレールを敷き、車両の床下に設置された歯車と噛み合わせて、急勾配の線路を登っていくというシステムであった。


さあ再び階段を上りめがね橋上まで登っていこう。ここめがね橋付近は、まだ春は遠かったようで、木々の芽吹きまでもう一息と言ったところであった。


この初期の信越線トンネル群も運行を開始すると、苦難の連続であり、トンネルが連続することで、蒸気機関車から出る煤煙が乗務員を苦しめ、吐血や窒息する者も現れたことから機関車の電化が急がれた。


そこで新線を建設しながら同時に横川駅付近に火力発電所が建設し、電化を急ぎ、1912年に日本で初めての幹線電化が実現することとなっていった。仕様は第三軌条方式(架線ではなく給電用レールを敷設する方式)の直流600Vでした。


現存している橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りとなっていて、1993年に国重要文化財に指定されていた。


中でも特にこの形を採用したのは、日本でもこのめがね橋が最初で、高さ31m、長さ91mと我が国最大のもので使用されたレンガは200万個に及んでいた。

安中市松井田町と軽井沢町との境にある、標高956mの碓氷峠は かつて勾配がきつく「交通の難所」と呼ばれ、鉄道を通す際に日本で初めてのアプト式鉄道が導入されていた。


だが、現行の保存方法がこれでいいとは思わない、何か活用する方法はないものかと思っていたら、2025年にはこの区間で使用されていた電気機関車ED42やEF63を模した電動のレールカートが「とうげのゆ駅」から「熊ノ平駅」まで運行されるニュースを耳にし、これは面白そうだと納得してしまった。


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