日光二荒山神社 参拝記


2024.04.02
栃木県にある「日光山・輪王寺」で行われる「強飯式」を見にやって来たが、観覧料が3千円もかかるため止めてしまっていた。次は、日光東照宮へやって来たものの開店時間前であった。気を取り直して、日光二荒山神社へ行こう。東照宮から二荒山神社へ続く参道は、2社の気が合わさる「パワースポイット」になっています。東照宮から二荒山神社へ歩いて行く際は、なるべく東照宮側を歩くと、強エネルギーの恩恵を受けられます。この杉並木を、歩ける幸せを感じ神様のご加護に感謝しましょう。東照宮から二荒山神社に向けて右側の参道を「上神道」(かみしんみち)と言い、帰り道にはその反対側の道を「下神道」(しもしんみち)と言います。男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光市内にある二荒山本社の中間にあるのがこの日光二荒山神社中宮祠であった。


願掛け大国様がにこやかに参拝者を出迎え、お腹だけに限らずフルコースを撫で撫でさすりました。


傍らには、麻があり、栃木県鹿沼市永野産の麻が使われていて、手触りが良かったよ。


白ウサギは、正に大国様の象徴でもあった。


二荒山神社の主神は、招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと、大国様)で、現在では良縁・開運で大人気のパワースポットであり、下野国一宮でもあり、1200年以上前、勝道上人が開いた日光山、二荒山神社は日光山信仰の始まりとなった古社で、二荒山(男体山)をご神体として祀っている。

日光二荒山神社境内には、ご神木のほか、この夫婦杉のような巨木があります、他にも親子杉、縁結びの御神木と見ごたえのある巨木が多く、思わず合掌してしまいます。



この黄金のうさぎは、縁結びの神話にちなんで2022年9月に拝殿前に設置され、正式名を「良い縁うさぎ」像と言い、鋳造 金箔きんぱく 仕立てで高さ60センチ、重さ50キロで、両手には幸運と成功をもたらすとされる鉱石「ラピスラズリ」を持っている。

ここ神楽殿では、毎年1・5・9月の各28日に、二荒山神楽が奉納され、舞の数は全部で18あり、かつてはそのすべてが奉納されていましたが、現在は猿田彦の舞、岩戸の舞、稲荷の舞、恵比寿の舞、大黒の舞など13種が演じられるそうです。


拝殿の近くにある良い縁狛犬ですが、どう見てもライオンにしか見えません。狛犬は獅子や犬に似た想像上の生き物とされているのだという話が看板に書いてあり、狛犬の起源は古代エジプト・メソポタミアの神殿を守るライオン像らしい。

飛鳥

時代に伝来した当初は左右共同じ形をしており、口が開いている状態だったそうで、後に左右が異なる今の形の狛犬になったそうだが、通常、左右一対を合わせて「狛犬」と称するが、向かって右側は「獅子」であることをご存じだろうか。


多くはまるで吠えるかのように口を大きく開けた姿で造られ、これは阿吽の「阿形」とされ、口を閉じている左側を狛犬と呼ぶ。2像と合わせて「阿吽」を表現し、阿吽の阿は口を開いて最初に出す音で、吽は口を閉じて出す最後の音だそうです。


これは人の一生をも表し、おぎゃーと生まれて、んーと死んでいく様を表しているとも言われ、宇宙の始まりと終わりを意味する仏教の真言だそうです。


良い縁狛犬の祈願法があり、良縁を願うなら頬を、頭がよくなるにはたてがみを、金運・仕事運を願うなら足を、健康を願うものは背を、幸運を願うなら耳を触る。そして幼子を背に乗せると健全に育つという内容の祈願法でした。


この先、神苑エリアは2019年に訪問していたため今回は見送っていた。


神苑は有料であった。


弥生祭りのポスターが掲げてあった。日光に春の訪れを告げる華やかな伝統行事である、弥生祭は1200年の歴史を誇りる由緒ある祭りで、格式どおりに行事を進める中で、ひとつまちがうと町内単位の 「ごた=トラブル」になることから別名「ごた祭り」とも呼ばれています。


4月16日は宵まつりが執り行われ、見所と言えば、何といっても、16日と大祭当日の17日に付祭として、日光地区の東西11ヶ町の花家体(やたい)が繰り出される「各町家体繰出し」であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?