旧北陸(北国)街道 今庄宿 重要伝統的建造物群保存地区

2023.12.31

福井県にあるJR今庄(いまじょう)駅に2020年9月以来3年ぶりにやって来たら駅の近隣は北国街道の宿場町である今庄宿であることは前回訪問をしていた際に知り、今回はより深く今庄宿を徘徊することにした。


まず、北陸街道は中山道の関ヶ原または鳥居本から分かれて琵琶湖東岸を北上、栃ノ木峠を越え、鯖江・福井を通り、大聖寺・小松・金沢を通り高岡・富山から海岸沿いに親不知おやしらずの難所を越えて直江津・柏崎を経て新潟に至る約500キロの旧街道で、俗に北国街道とも言われている。


北国街道は佐渡の金銀を江戸へ運ぶ事を目的に、中山道の追分宿(軽井沢)から上越、出雲崎に至り佐渡への道であった。北陸随一の難所を間近に迫る今庄は、いつの時代においても、峠越えの道がすべて集まることから旅の準備のために栄えました。


細く曲がりくねった旧街道は、開発の波から外れ昔の面影を残し、素朴な雰囲気を漂わせています。


ここは脇本陣で、案内板によれば江戸時代、本陣の予備として建てられた宿泊施設であり、本陣が使用中の場合利用された。規模の点では本陣には及ばないが、門構え、玄関付の本陣に準じるものもあった。この脇本陣は特に加賀の殿様が利用したので、加賀本陣と言われた。とあります。今庄宿は山中峠、木ノ芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠を控えていた事から、参勤交代で利用する諸大名は今庄宿で宿泊する例が多く、本陣以外に複数の脇本陣が必要となりました。脇本陣は北村新平家が勤め、一時期福井藩の御札場も行っていたそうです。


この昭和会館は、昭和5年に田中和吉氏が、私財を投じ脇本陣跡に社会教育の拠点となる施設を建設しました。当時としては画期的な鉄筋コンクリート3階建ての建物は、宿泊できる研修の場として多くの団体に利用され、現在は公民館や地域交流の場として幅広く利用されています。


ここは、旧京藤甚五郎家住宅で隣家からの火事を防ぐ卯建があがりひときわ異彩を放っている。正式ではないがもう一軒の脇本陣とも言われていた。建物内には、幕末の国学者・歌人の橘曙覧などの書が所蔵され、また、水戸天狗党の一行が宿泊し、刀傷をつけた柱が残っている。


脇本陣前にあるのが、今庄宿本陣跡の公徳園で、1878年(明治11年)10月8日、明治天皇は今庄宿本陣後藤家に宿泊されたと石碑が建っていた。


敷地奥にある明治殿は、江戸時代初期よりの福井藩本陣で、その後明治天皇の行在所となった後藤覚左エ門家住宅の一部を昭和8年に再建・保存したものであった。


ここは、旅籠屋の若狭屋で、武士や町人が宿泊した旅宿である。


今庄宿には、往時は55軒の旅籠屋があり、そのなかでも若狭屋は大きい旅籠であった。


こんなにも古い建物などが現在も残っていると思ったら2021年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。


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