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試験は落ちてもいい

試験は落ちた方がいい、は言い過ぎだから

本当は、

「試験は落ちたほうがいい」というタイトルにするつもりでした。

しかし、これを書いている今、まさに大学・高校受験、あるいは資格試験に向けて頑張っている人が私に周りにもたくさんいます。そんな中で「試験は落ちたほうがいい」なんて書くと、あまりにも無神経で非情だと言われかねないので、少し柔らかくして、「落ちてもいい」という表現にしました。

「納得いかない自分」から始まる未来

もちろん常識的に考えれば、合格を目指して努力してきたわけですから、合格したほうがいいに決まっています。

でもたとえ落ちたとしても、落ちたことによって得られるメリットは、計り知れないくらい大きいのだよ、ということも是非知っておいて欲しいという思いで、これを書きます。

私ごとで恐縮です。

私はまず社会人になるときの就職試験で、希望する会社にことごとく落ち、何とかひっかかった会社に渋々入った、という苦い経験があります。(その会社の先輩方、本当に失礼な言い方で申し訳ありません。あくまでも入社時の若気の至り、とご容赦ください)

希望しない会社に就職してしまった私は、仕事に対してまったくやる気が出ませんでした。「この会社に入りたかったわけじゃない」という思いが強く、モチベーションがどうしても上がらなかったんです。(今思うと本当に身の程知らずな奴ですよね)

そのときは、「何でオレは希望の会社に落ちたんだ」と過去の出来事に対していつまでもウジウジとこだわっていました。この「ウジウジした思い」がいつしか、「俺はここでは終われない」という思いに転化し、経営コンサルタントの国家資格(中小企業診断士)の取得を決意することにつながります。(ちょっと飛躍しすぎというか、はっきり言ってアホですけどね)

まあ世間的には、この資格を取ったぐらいで、それほど大きなインパクトはありませんが、自分にとっては、人生を逆転するための重要なきっかけになる、と激しく思い込んでいました。重ねて言いますが、ホント、どうかしていました。

が、しかし。

おそらくこの資格を取っていなかったら、私は起業はしなかったと思います。

もし私が、自分が希望した会社に合格し、誰もが憧れる一流会社に入り、大きな社会的羨望を手に入れていたら、この決断はなかったことでしょう。これは断言できます。私はそれほど野心家でもなかったし、社交的でもなかったし、どちらかというと、長いものに巻かれて安心するような、目立たないタイプの人間だったからです。

だから、

起業して事業が軌道に乗り、私なりに充実した毎日を送っている今、「あの入社試験に落ちて、本当に良かった」と真剣に思うのです。

何度も落ちた

当時、「充実しないサラリーマン生活を何とかしなくては」という思いから、中小企業診断士という国家資格にチャレンジをし始めたわけですが、この資格も簡単には受からせてくれませんでした。

受からないことで追い込まれた私は、背水の陣でチャレンジするために、会社を辞めるという暴挙に出ます。すでに結婚もしていました。だから、絶対に受からないといけないチャレンジになってしまったわけです。

しかし、落ちました。何度も何度も落ちました。何度も泣きました。妻も泣きました。

しかし数年後、神様はいたのか、運が良かったのか、それとも実力が備わったのか、理由は分かりませんが、とにかく最終的には合格することができました。その間、1次試験、2次試験合わせて10回近く落ちました。

その当時は、私にとって、まさに「暗黒の時代」でした。「試験を受けます」という理由で上場企業を辞めたので、家族はもちろん元同僚や友人知人は全員、この事情を知っています。ということは、顔を合わすたびに「試験どうだった?」と聞かれることになります。親戚筋は面と向かっては聞きませんが、正月などに会うと、顔に「また落ちたんだね。かわいそうに」と書いてあります。この時期は、本当に苦しかった・・・。

しかし、今振り返ると、「落ち続けたことも、まんざら悪くない」と思える自分がいます。負け惜しみではありません。本当にそう思うのです。

なぜかというと、この私の「落ちまくったストーリー」が私の営業活動を支える強力な武器になったからです。

失敗をさらけ出すとうまくいく


経営コンサルタントとして起業したころ、なかなか思うように仕事が頂けませんでした。当時は「経営コンサルタントは、エリートでスマートでなければならない」と思い込んでいた私は、試験に落ちまくったという過去を隠して活動をしていました。

しかし、コンサルタントというのは人間そのものが商品です。自分を偽って売ろうとしている私に興味を持つ経営者はいませんでした。だから仕事が取れない。

当時は実力も、看板も、金もない。おまけに特長もない。

困った私は、賭けに出ます。「落ちまくった過去」を全てさらけ出すことにしたのです。その方が、ありのままの自分が伝わり、もしかしたら興味を持ってもらえるのではないか、と思ったのです。失敗談をさらすと、人間の素の部分が見えるので、共感してくれる人が出てくるんじゃないか、と考えたのです。

この目論見は当たりました。

落ちまくったストーリーをホームページに載せ、メールマガジンで配信したところ、問い合わせが一気に増えたのです。問い合わせてきた人に会うと必ずコンサル契約が取れました。またセミナーでこの「失敗談」を話すと、話した瞬間、グッと参加者の「前のめり感」が増すようになり、満足度が飛躍的に上がることも分かりました。このストーリーは、いわば私の貴重な「キラーコンテンツ」になっているわけです。

ダメだった自分をさらけ出すことで、相手の共感を得ることができたのです。

この経験、このストーリーが無かったらと思うと、少しぞっとします。おそらく受注量に大きな差が出ていたと思います。だから、私は、「試験に落ちて、悪いことばかりではない。良いこともたくさんある」と思うのです。

また、何回落ちても、コツコツとやり続けたことで、地力が徐々に身についていき、起業しても絶対に途中であきらめない、という信念が育っていったように思います。これも本当に大きな財産です。

試験に落ちたからこそ、見えなかったものが見え、学べなかったことが学べたのです。これは、生きていくうえで本当に貴重なことでした。

確かに落ち続けている時は苦しくて、本当に自分が恥ずかしかったです。そして情けなくて、悔しかった。しかし今振り返ると、その経験が間違いなく今の自分を形成する重要なものになっているのです。(この私の詳しいストーリーはこちらから)

ダメ出しが、地力をつける

このことは、私が言っているだけじゃなくて、人気時代小説作家の山本一力氏も言っています。

若かりしころの山本氏は、サラリーマンをしていて、大きな借金を作ってしまいます。普通の職業の収入ではとても返せない額ですので、山本氏は小説家になることを決意します。それまで小説なんて書いたことも無いのに、です。周囲の人や債権者は皆、大反対。「シロウトに書けるわけないだろ」、と呆れられました。しかし奥さんだけは「あなたならできる」と背中を押してくれたそうです。

そして、新人賞に応募するのですが、受からない。落選の山。もちろん簡単なものではないことは分かっている。でも人生を賭けてのチャレンジだから、不合格は本当につらい。

しかし山本氏はあきらめずに応募し、ついにオール讀物新人賞(文藝俊秀社)を受賞します。そのとき49歳。ちなみにその時の作品「蒼龍」は、新人賞に何度しても受からない自分を江戸時代にタイムシフトさせて書いた物語でした。

受賞を機に本格的な作家活動に入った山本氏でしたが、次の作品が掲載されるまでに2年を要します。担当編集者から何度もダメ出しをされる毎日。さらに執筆一本に絞ったため収入はゼロ。

山本氏は「お前(担当編集者)が良否を判断するんじゃなく、編集長に直接読んでもらいたい」と大喧嘩して訴えると、担当編集者はこう言いました。

「編集長に見せてペケを食らったらあなたはもう一回ゼロに戻っちゃう。だからOKをもらえるレベルまで仕上げないといけない。私はあなたの味方なんです。だからこそ編集長に見せないんです。私も一緒に勝負しているんです」。

こうして担当編集者に作家としての地力を鍛えられた山本氏は、何度目かのチャレンジで直木賞を受賞します。そこから執筆の依頼はどっと増え、今も途切れないそうです。

落っこちることのツキ

山本氏は人材バンクネットのインタビューでこう言っています。

「俺が作家を目指し始めたころもそう。一番最初にある文学賞の新人賞に応募したときは最終選考まで行ったんだけど、落っこちた。落ちたときは、何で俺はこうツイてないんだと思ったよ。でも、あとでオール讀物の新人賞をいただいたとき、ほんとうに思ったよ、俺はツイてたって。もしあの程度の作品で「運悪く」新人賞をいただいていたら、その後潰れてたなって。

だって俺が落っこちた新人賞出身で今名前が残ってる作家はゼロだから。そのあと俺は2回応募して2回とも「運良く」落っこちて、オール讀物で新人賞をいただけたんだ。

何も作家の話に限らず、一般的に見てもそうだと思う。だいたい普通は自分の希望が通らなかったらツイてないと思うわけでしょう。就職・転職でも同じ。でも俺はそうじゃないと本気で思っているんだ。ツキがあるがゆえに落っこちるってことがいっぱいあるんだよ。例えば試験勉強の一夜漬けなんてのは、あれは全然、力がついてないだろ。楽して受かっちゃうわけだから。たいていはそこから先何もしないから力がつかない。だからいざっていうときにめげちゃうんだよ。

そういう「落っこちることのツキ」っていうのを、みんなもっと真剣に考えたほうがいいぞ。何で俺はついてないんだ、こんなんで落っこって、って思うよな。落ち込んだり、腹も立つ。でも、落っこちるっていうのは、本当はツイてるんだよ。「そこでもう一回見直しをしろ」と言われてるんだから。運の悪いやつは、うっかり一夜漬けなんかで通っちゃうんだよ。で、ラッキーと思うわけだけど、でもそれは単に人生のつまみ食いをしてるだけなんだよ。

こんなふうにツイてるツイいてないっていうのは見方を変えたら180度、ガラッっと変わるぞ。ほんとに変わる。自分がプラスになるように考えればいい。自分を哀れまないことだよ、自分を慰み哀れむようになったらもうドツボだから。」(第12回山本一力氏インタビュー 人材バンクネットhttp://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/043/)

門前払いの嵐から見えたこと

私の話にまた戻ります。

資格を取って起業した後、私は商工会議所に営業をかけました。商工会議所には中小企業診断士の資格保持者が「無料経営相談」というサービスを一般の会社に対して行っています。会社側は無料で相談が受けられ、中小企業診断士は会議所から報酬を頂きます。商工会議所の他、県や市などの公的機関で同様のサービスが行われています。

私は、資格さえ取れば、この仕事が頂けるものだと思っていました。しかし現実は違いました。何のコネも持たずに商工会議所に飛び込み訪問した私は、すべて門前払いをされました。当たり前です。どの機関にも、既に先輩コンサルタント先生たちがしっかりと入り込んでおり、何の実績もない新参者に回ってくる仕事などありません。

仕事が欲しければ、それらの先輩方が並ぶ行列の最後尾に並んで待つか、あるいは先輩方にすり寄って、おこぼれの仕事を下請けするしかありませんよ、と窓口の方に言われました。

そうです。またしても不合格。拒否、拒否、拒否という現実に直面しました。

しかし。

今振り返ると、このときに拒否されたからこそ、「自分の力でマーケティングし、仕事を頂く」ということにコミットできたのです。そこから自分の強みを磨き、顧客のニーズについて真剣に考え、行動を積み重ねようと決意したのです。

落ちたらラッキー

それからの私は、マーケティングの専門家であると名乗るのが恥ずかしくないように、自らのマーケティングをド真剣にやり始めました。そして、自らの体験から得た成功方法を顧客に伝え、失敗から学んだ物事の本質を見る力を養うという「実践型コンサルティング」ができるようになったのです。

もし、私が公的機関からの仕事に最初から従事し、そこそこ稼げてしまっていたら、こういう展開にはならず、自分自身のマーケティング力は上がらなかったと思います。

道が閉ざされたからこそ、そこから活路を見出すために、謙虚に、本来やるべきことに取り組むことができたのです。落とされた自分はラッキーだったのです。

作家の山本氏が言う「落っこちることのツキ」というのは、求めたものから拒否されたときにだけ、謙虚に自分と向き合い、謙虚に人から学ぶ姿勢になり、真の実力を身に着けるチャンスが訪れるのだ、ということだと思います。

失敗することなく、挫折なく、スムーズに成功できる人生を送れる人は、それはそれで素晴らしい。

しかし、たとえ拒否されたり、不合格を突きつけられたりする状況に直面したとしても、嘆いたり自分を責めたりしなくてもいい。

むしろ、そこに大きなチャンスがある。

落ちたらラッキー。

こう思えたとき、変なストレスから解放され、人生が楽しくなります。




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