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今日以降、"男の子だったら"と言うことをやめようと思う


おてんば的に使い古されてきたセリフだと言うだけで、結局のところ、「私、男の子に産まれればよかったな」と、本気で思ったことはない。子供の頃から、リボンやフリルも、三つ編みもドレスも好きだったし、ディズニープリンセスも、おジャ魔女どれみも、大好き。

あれ、「いわゆるマジョリティの要請として求められている女の子として自分は何かがおかしいかも?」と思ったことはあったけれど、私は女の子に生まれてきたことに何ひとつ疑いを抱いていなかった。違和感を抱いたっていいんだけど、たまたまその身体が私にはフィットしたということだ。そして、その身体に与えられたジェンダー表象についても幼少の間は納得できた。

何かがおかしいと、思い始めたのは思春期を迎えた頃だった。私は私立の中高一貫校に通っていた。クラスは成績別編成で、一番上のクラスにいた。クラスの男女はなぜか、一言も口を聞かなくて教室の中には見えない大きな壁があるようだった。

クラスメイトの女の子の電子辞書が、淫語のブックマークと履歴で荒らされたこと、男の子が女の子に点数をつけること。誰と誰が付き合っているが、この男の子ならもっと上のレベルいけるのになんでこの女の子と付き合ってるのかと、言ったり、誰かの彼女がつり目でキツネのようだとか、もっと上を狙えと言ったりとか、そういうこと。そういう話題をする人間のことを私はとてもとても下品だと思っているし、侮蔑している。

付き合った女の子とどこでセックスしたと語り、どんな行為をするとどんなふうに言われるのかを自慢げに言いふらすこと。クラスのラインがポルノ画像で荒らされること。仲良しのグループSkypeが自慰行為の実況で埋まること。

仲がよかったグループでカラオケをしている最中にクラスメイトの女の子のリベンジポルノが回ったこと。男の子も女の子も見てたけど「三園はやめておけば?」と言われた。私はそれは臆病だからとかウブだからとかではなくて、尊厳を大事にすべきだと思ってた。ずっとその女の子のことを考えていたよ。

くすくす笑われたり、突然男子勢の罰ゲームとかで、無言電話がかかってきて、ブラウンとコニーがベットでイチャついてるスタンプがたくさん送られてきた。

高校の卒業式に好きだった男の子から、お前何カップ?ってラインが連投で来まくって、「教えない」って言ったら、「死ねブス」って言われたこと。

大学に入って中学受験時代の講師が急にやってきて、再会を喜んでたらセックスしたいから相手してくれと言われたこと。

その全てが、そういうことがだんだん積み重なって、あ、ダメかも、苦しいかも、と思った。私は人が人に大事にされないのがイヤだ。人が人に大事にされないのが、すごくイヤだ!そのことが揺らぎそうになるとイヤになる。

私は人に、ちゃんと、ちゃんとしてて欲しいだけなのだ。年々諦めつつあるんだけど、最近会った友達とかが、それはおかしいって言ってくれるようになったから、やっぱり捨てたまま生きていきたくないかもと思った。


お願いだから子どもの頃に戻してくれとか、お願いだから人が正気であってくれとか、思いながら、大学院でフェミニズムしながらしがみついていた。人間として崇高じゃないのが許せない。

それから、何か結構自分のことを頑張った結果、男の子に見限られることもある。

自分からこれはあまり女の役職ではないかな、と思い、高校の頃本当は生徒会長に立候補したかったけど、書記に立候補したことがある。

中学生の時、学校の文化祭が学習発表プレゼンしかできなかったから、何かしら有志で出し物がやりたいと生徒会に提案しに行き困った顔をされたことがある。とてもダサいことをしてしまったと思い、卒業まで後悔していたが、後悔する必要なんてどこにもなかったよなと思う。特に女なのに提案してしまったと思ったこともある。なんとなく自然と空気を感じ取って思ったことだったり。

高校2年生になって学外の生徒会の子達や演劇部の子達とつるむようになった。難関校の子達は自分たちで生徒会も部活も自治していた。自分たちで創立した部活で全国大会でいい成績を残したり、文化祭では圧巻の英語劇を披露したり、生徒会主導でキャリア教育のプログラムを立ち上げたり、全部桁違いだった。過保護な私の学校にはない眩しさを彼らは放っていた。

私も難関校の男子校だったら、あんなことができたのに、と思うこと数知れずだったんだけど…別に自分もそうやりたいならやってよくて何ひとつ禁じる理由とかないんだよな、と思う。あと難関校の男子校に通ってたら、中学受験の先生のことも何知らずに好きでいられたね。

あーもう!言わない!絶対に女であることで削られないと決めた。私は私が削られることを許さないし。自分がこんなことをしたら、あまり女として好ましくないのではと思われることを気にしない!力の出し惜しみをしない!

だからもう、男の子だったらよかった、ということを、このnoteを最後に二度と発さない。

それは、女であることに言い訳をしないとかではなくて、絶対的に現状の社会で女性は不利な立ち位置にはある。だから、女だからという理由で言い訳するなとか、ジェンダーギャップがないという外からの主張は受け付けない。
ただ、それは自分の中の枷を取り払うための呪文として機能する。

私は女の子だし、なんだってできる。
女の子であることは、私のためである。
女の子であることのまま、尊厳を保ち続けられる。どんな外圧があっても、私の内面はこれを守る。

尊厳を守る。尊厳を守る。何があっても尊厳を守ると言いながら、外界に絶対に負けないでいると決めたし、私は男の子だったらこれをやっていたなと思うことをもう一切遠慮せずにやると決めた!男の子だったらやってるとか、女の子だからできたとかではなく、私が私だったらやることをやるのだ。

あ、ちなみに女性って書いた方が適切かなというのもあるのですが、私は第三波フェミニズムにおけるGIRLの概念を大事にしてるので、女の子という表現を使います。

ガチのマジで、私はプリキュアであるし、おジャ魔女であるし、CCさくらなんだよ。現実は少女小説じゃないと言われても、そういう現実じゃないなら生きてたくないんだよ。負けたくないと思う。負けながら大人になるということが、女の子が、何かを失うことならそれは大人ではなく、男性社会が男性を成人として扱うために相対化してへし折られた存在なだけだから、再検討した方が良いと思う。

戦いながら生きるのもしんどいが、戦わずに生きる方がもっとしんどいタイプというのがおり、私は明確に後者なので、何か戦闘していることをデフォにしたいと思う。戦いながら死んだら、それは抗っている"状態"を生きたことになる。抗わないのもしんどいが、抗うのもしんどい。小学校の時のあだ名がシャケだった私には問題ないね!ユーモアユーモア!笑っていきましょう💐 笑いながら、尊厳持ちながら、女の子最高讃歌をやり続けます!

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