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「僕の美しい人だから」

グレン・サヴァン著 雨沢泰訳
「僕の美しい人だから」

20代の頃、私はこの本を学校にも、バイト先にも、旅行にも、聖書のように持ち歩いていました。
十数年ぶりに本を開くと、ページは古びて赤茶けており、何度も取り換えたカバーは擦り切れています。
ページを開いて数行読んだだけで、20代の頃の記憶が溢れるように蘇ります。

「僕の美しい人だから」は1987年に発行された恋愛小説です。
当時は話題になり、映画化もされました。

アメリカ、セントルイスに住む妻を亡くしたばかりの27歳の男と、42歳の女性の恋愛模様を描いています。

当時20代だった私は恋愛経験も無い非モテ女子だったので、恋愛小説の類に興味は無かったのですが、なぜか吸い込まれるようにこの小説に魅了されました。
ちまたにあふれる既存の恋愛に決定的に欠けている何かを発見したような気がしたのです。

マックス・バロンはかつて英語教師をしており現在は広告代理店でライターをしている。ハンサムで、結婚していたが妻は自動車事故で死んでしまい、一人暮らしをしている。
ノーラ・クロムウェルはハンバーガーショップの売り子をしており、かつては結婚していたが破綻し、一人息子は事故死している。

住む世界の違いから接点のない二人が、あることがきっかけでことから出会い、関係を深めていく・・・

容姿、年齢、地位すべてが不釣り合いな二人の誠実でリアルな恋愛を描いています。

この小説は恋愛の核となる「本能」に焦点を当てているのです。
まったく自分の好みのタイプでは無いのに、なぜか強く惹かれる気持ち。
そして、本能に忠実であろうすればするほど、自分をとりまく社会との軋轢が生じる。
この小説のノーラという女性は、美人でも、性格が良いわけでも無いやさぐれた41歳の女性なのですが、彼の目線から描かれる彼女はとても魅力的なのです。
まさにタイトル通り「僕の美しい人」ということなのでしょう。

彼女を愛しながらも無教養でガサツなノーラを友人に紹介できないマックス。
二人の間に未来が無いことを悟ったノーラは、彼の前から姿を消す。

この小説のあとがきである片岡義男の「ロミオはジュリエットに誠実に」も、本編同様心に残るものがありました。

片岡が語るに、「自分はそのままで、相手だけ欲しい」という恋愛は間違いであり、「恋愛とは二人の異なった考えの男女が、一緒に居たい、共に生きたいと願ってそのことを実現させようと試み、両者がそれぞれの全人格をかけて、体当たりのように誠実に、徹底的に、二人が長い間一緒にいる事の出来る場所を、二人で模索して見つけ出す事」と綴っています。

これは意外にも多くの人が忘れている恋愛の本質ではないでしょうか。

20代の頃私も、自分を変えたくない、自分はそのままで、自分にぴったりの人が見つかれば良いと思っていました。

グレン・サヴァン原作のこの小説の原題は「ホワイトパレス」というなんともそっけないものです。
ホワイトパレスとはノーラが働いていたハンバーガーチェーン店の名称なのです。
これを「僕の美しい人だから」と訳した翻訳家 雨沢泰のセンスは素晴らしいものがあります。
このタイトルに惹かれて本を手に取った人も多かったのではないでしょうか。

彼は巻末に翻訳者として解説を寄せていますが、「改めて恋愛とは、人生の一大事だったのだという事を思い起こさせる」と語っています。
彼はこの小説を、「まさに恋愛のドキュメンタリーである」と語っているとおり、その場で起きている事を書きとっているかのようなリアリズムと瑞々しさがあります。
私はこの小説を読むことで改めて「翻訳家」という職業の偉大さを発見したのです。

著者のグレン・サヴァンは、なんとこの小説が処女作なのだそうです。
彼の原作もさることながら、偉大な翻訳家と出会った事も幸運といえますね。
彼の第二作目である男女の三角関係を描いた「あるがままに愛したい」も雨沢泰訳なのですが、こちらも素晴らしい作品でした。

小説のラストは、マックスがノーラを追ってニューヨークに行き、再会するところで終わっています。
二人の関係がこの先どうなるのか、セントルイスの片田舎から飛び出し、人種のるつぼであり多様性を重んじるニューヨークで、二人が新たな関係を築くことを期待してしまいます。

この映画はジェームズ・スペイダーとスーザン・サランドン共演で映画化もされ、映画館に見に行きましたが、内容は万人受けするようかなり変更されている印象でした。
ただキャスティングは最高で、マックスとノーラの役はこの二人以外には考えられないほどです。

私がこの小説の中で一番心に残る一説は、ノーラが去ってからマックスが思う「彼女に会う前、自分は何を考え、何を楽しみにして生きていたのか、思い出すことができない」というものです。
シンプルではあるものの、本気の恋愛をした後の心境をよく表していると思います。

読み始めた時の20代前半はマックスに共感し、年齢を重ねるうちにノーラの視点になり、いまでは二人の年齢をとうに追い越してしまいました。

小説を読み終わった後、まるで一つの恋愛を経験したかのような、自分が成長したかのような気持ちになったものです。
優れた小説と言うのは、そういうものではないでしょうか。

借金残額 令和5年4月現在 7,476,557円












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