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EAT & RUN 1話

   もう一時間くらい経つな……             そろそろ満
止めない止まらない             3ミニ当たれ!

本当に人間なのか…… 高まってきたぁーー!           早よ
     見てるだけでおなかいっぱいです  すげぇぇぇぇ!!!   

 開店して間もない中華料理店『広東家』小見山町支店は異様な状態だ。店先には無数の人集り。それは食事のための順番待ちではなく、何かを待って店内を見つめている。
 店内には満員の人。だが、その誰もが食事の手も進まず、何かを待っている。そして店員。コックもウェイトレスもフル稼働でそれぞれの仕事に励んでいる。
 店の内も外も、誰も彼もが等しく一点に注目し、緊張に鬼気迫る表情を浮かべている。……ただ一人を除いて。
「はふ、はふ、ズズッ、ズズズーッ」
 店内の最も奥のテーブル席。女がひとり。ラフなカジュアルファッションで健康的肉感の身体を包み、少女とも成人女性ともとれる可愛らしい容姿だ。
 彼女が今、何をしているかといえば、食事である。今、食べているのはネギ湯麺。目の前の卓上には五目炒飯、焼き餃子、海老蒸し餃子、あんかけ焼麺、皮蛋、中華風海藻サラダ(きゅうり抜き)、揚げ鶏、エビチリ、烏龍茶(ピッチャー)、回鍋肉、焼売、たまごスープ、コーラ、イカとブロッコリーの炒め、ライス、叉焼………そして空いた皿、皿、皿、皿、皿、皿……。
「お、おまたせしました……追加です……」
 ウェイトレスが二人。ひとりが皿を片付け、もうひとりが追加の料理を卓に並べる。酸辣湯麺、春巻、鶏のカシューナッツ炒め、酢豚、焼き餃子、木須肉、ライス、ニラ饅頭、胡麻団子、ジャスミンティー。
「はふ、はふ、どーも……あ、これも持ってっちゃってください」
 女は平らげたばかりのドンブリをウェイトレスに渡し、餃子をおかずに猛然とライスを掻き込む。とても真剣で、満ち足りた表情だ。
 女は絶えず、延々と食べ続ける。口を料理でいっぱいに膨らませ、味わう最小限の咀嚼で飲み下し、また次を頬張る。合間に飲み物を流し込みながら、一皿、また一皿と空にしていく。

ぉぉぉぉ!!    ※デザートは別腹      今日の夕飯中華にしよ
 うらやましい体型だなぁ     さすがにそろそろ満腹だよな……  もっしゃもっしゃ            餃子食いたいな

 ……次第にテーブルを覆い尽くしていた料理の山は残らず消え去った。最後の仕上げとばかりに女は、冷水をゆっくりと飲み干し、グラスを置いた。
「……はあぁ~、美味しかったぁ。ごちそうさま~」
 女はゆったりと脱力し、 腹をさする。重量にして二〇キロ以上にもなる量をたいらげたはずだが、その腹は多少張っている程度だ。
 満腹の充実感を噛みしめているような幸福な笑顔。リラックスして伸びをしだすと、口角を挑戦的に吊り上げ——

 跳躍。

     逃げたああああああああああああああああああああああああああ
        逃げたあああああああああああああああああああああああ
  逃げたあああああああああああああああああああああああああああああ
   逃げたああああああああああああああああああああああああああああ

「動き出した!」「入口塞げ!」「今日こそは!」
 女はリラックスした様子から一変、機敏な動作で座っていたソファ席を蹴り、回転跳躍。減速することもなく着地して駆け出し、店外へと向かう。ちなみに彼女は会計を済ませていない。つまり、食い逃げである。
 当然、食い逃げは犯罪であり、咎められる行為だ。しかし、対応し出したのは店員だけではない。店を満員にしていた全ての客が、店先を埋め尽くしている人の海が、女を捕縛するために一斉に動き出したのだ。
 女の跳躍から数瞬遅れて入口が客達で塞がれ、何割かの客が女に飛びかかる。店内の限られた面積で何人もがひしめき、まともに通行などできたものではない。
「捕まえるぅあ!?」「ここだわぁあ!?」「いおぅわ!?」
 だが、女は通った。勢いを減ずることなく跳び、自身を捕らえんとする客の肩を足場に次々と踏み越えた。
 前方に入口。客達が物干し竿や網を掲げ、人の壁と化している。女は襲い掛かる客の切れ間に着地するや、獣じみた前傾姿勢で急加速。壁をブチ破らんとする速度で突撃——否、入口直前で床に手を突き、腕を軸として強引に右折した。
 右折先にはレジ、さらに奥は厨房がある。本来、店員以外の出入りは当然禁止なのだが、食い逃げ犯はそんな事を気にしたりはしない。女は棒立ちのウェイトレスを躱して厨房へ突入した。
「こっちに来やがったぞ!」「止めろ!荒らさせるな!」
 コック二人が女を捕らえんと迫る。女は跳躍。コックを飛び越え空中で一回転、シンクに着地。
「こいつめ!」「うおおおお!」
 さらにコックが二人、調理台を挟んで対面に立ちはだかる。
「ごちそうさまっ!春巻が特に良かったよ!」
 女は溌剌な笑みで謝辞を述べると、再び跳躍。調理台を超え、挑発的にコック二人の間に着地した。
「こ、このお!」
 左の体格の良いコックが反応し、掴みかかる。だが、女は既にそこにはいない。勢い余って右のコックに倒れ込むのを尻目に、女は駆け出していた。その進路は厨房の裏口だ。
「だあぁりゃあああーー!」
 跳び蹴り一閃。扉を撥ね飛ばして勢い良く裏路地へ飛び出した。
 だが、狭い一本道の路地はやはり大勢の客達が塞いでしまっている。背後からはコックが迫る。
「袋のネズミだ!」「捕らえたぁ!」
 捕縛の波が一気に押し寄せる。虫一匹通さないほどの密度だ。
「この——あれ?」「上だ!」
 包囲の先頭の者が触れんとする瞬間、女は上に跳んだ。壁につたうパイプを掴み、猿のように滑らかに登っていく。
 女は容易く隣接する三階建てマンション屋上へ到達。そこにも数人がいた。
 彼等は女を包囲し、ジリジリと距離を詰める。確実に捕らえんと、緊迫している。
 対して女は、鼻歌でも口ずさみそうなほどの余裕の笑顔だ。つい先程、十人がかりでも食べ切れないであろう量の中華料理を平らげたというのに、苦悶など一切無い。
 そして、包囲者達の緊迫を嘲笑うように——駆ける!
「ンなぁ!?」
 正面の男が咄嗟に掴みかかるが、女は容易に躱す。勢いを減ずる事なく正面の柵を登り——迷い無く跳んだ。
 跳んだ先は二階建てのアパートの屋根だ。数メートルの高低差を物ともせず、軽やかに着地。
 足場の悪い屋根の上を駆け、さらに跳躍。隣のアパートの屋根に渡り、さらに跳躍。
 まるで映画の怪盗のように軽やかに屋根を次々跳び渡る女を追って、人々は道を流動する。屋根から降りざるを得ない、建物の途切れ目である交差点を目指して。
「北側から向かってるぞ!」「降りてこいクソ!」「急げ急げえ!!」
 一軒、また一軒と跳びながら、女は先の様子を見据える。一.五車線程の幅の道路に人が集まる。跳び渡るには流石に遠い。人集りの隙間を探り、掻い潜らんと——
(——いい物みっけ!)
 勢い良く道路へと跳ぶ。イナゴのように群れ集う人々に道路が埋められていく中で、一ヶ所だけ空いている地点——駐車中のワゴン車の上へ着地!
 何かの積み下ろしをしていたようだが、食い逃げ犯はそんな事を気にしたりはしない。着地の衝撃でルーフをへこませ、さらに跳ぶ。正面の住宅の塀を駆ける。
 道路からは女を落とさんと人々が挑む。塀へ乗り上がる者、物干し竿やタモ網で突く者といるが、女は並外れたバランス感覚で回避しながら塀を駆け続ける。
 やがて塀が途切れ、河川に沿った道路が現れる。追跡する人々を振り切らんと、女は塀から跳ぶ。

「いっただきだーーー!!」

 その時だ。女が勢い良く道路へ跳んだ瞬間、何かに射出されたような速度で人間が飛来し、空中で掴みかかった。飛来の勢いそのままに、食い逃げ犯もろともに道路を転げる。
 飛来した者は食い逃げ犯の胴をガッチリと掴んでいる。それを食い逃げ犯は回転の遠心力を利用して強引に引き剥がす。
 遠心力で投げ飛ばされた飛来者は即座に体勢を正すと、すかさず両手を後方——自身が飛んできた方向へとかざした。その手からは陽炎のような歪みと青白い電光を放っている。
 すると、後方——約一〇〇メートル程離れたマンションの屋上から、かざした手に吸引されるように何者かが高速で飛来した。

  マァァァグネーーーーーーット!!!   キターーーーーーーーーー!!
!! マァァァグネーーーーーーーーーット!!!  ブラザーーーーーーーーーーーー
 マァァァグネーーーーーーーーーーーット!!!!! 飛んだあああああああああああ

「ンマァァァグネーーーーーーットォ!!」
 二人目の飛来者——上が赤、下が青のサーカスじみた衣装を纏った偉丈夫が雄叫びを上げて食い逃げ犯に迫る。前方には手をかざす者——上が青、下が赤のサーカスじみた衣装を纏ったティーンエイジャーらしき少女が構え、挟撃の形に持ち込まれた。
 飛来する偉丈夫はクワガタのように腕を広げ、食い逃げ犯の胴を狙い、捕らえる!——否。
「ぬぅあ!?」
 捕らえたと確信した瞬間、食い逃げ犯の姿は消えた。紙一重のタイミングで食い逃げ犯は跳び上がり、偉丈夫の背に乗ったのだ。
 食い逃げ犯を乗せたまま偉丈夫は、相方の少女の手に高速で引き寄せられ——両の手を掴み、飛来の勢いを遠心力へと受け流して回転し、着地する。
「ちゃんと捕まえてよアニキ! 今のいけたっしょ!」
「一瞬間に合わなかった! 切り替えろ、もう動いてる!」
 勢いを殺すために少女を軸に回転していた時、食い逃げ犯は既に偉丈夫の背中から跳び離れていた。
 着地を狙って周囲の人々が食い逃げ犯を捕らえにかかるが、軽快な動きで悉くを躱し、走り抜けていく。
 サーカス衣装の兄妹は再度両の手を繋ぐと、兄を軸にハンマー投げのように回転を始め——

「ンマァァグネーーーーーットォ!!」

 妹を前方へ投擲! 兄妹の手から陽炎のような歪みと電光が放射され、尋常ではない速度で妹は空へ射出された。
 回転しながら宙を舞う妹は鳥のように両手を広げ、手から歪み——不可思議な磁力を発生させた。地に立つ兄も手を空中の妹に向け、磁力を発生。兄妹の手が歪みの帯で繋がれ、磁力を調節すると、妹の回転は収まった。
 妹は下を見た。人々が一点に向かって流れていく。食い逃げ犯に向かってだ。
 食い逃げ犯の前方で、察しの良い者から徐々に道路の脇へ退き出し、人集りがふたつに分かれてゆく。
「ショータァ~~イム」
 妹は挑戦的な笑みを浮かべ、磁力を調節して下方へ加速した。

 食い逃げ犯への捕縛の手は執拗に続く。
 だが、店の付近に張っていた者達は振り切っており、人集りの密度は減っている。
 現在挑んでくる者は主に二種類。こちらの方面に来るとヤマを張っていた者と、特異な高機動で追ってきた者だ。
 ヤマを張って待ち伏せていたであろう有象無象の妨害を、食い逃げ犯は難無く躱してゆく。
 すると、周囲の様子に変化が現れた。食い逃げ犯の進行方向が空き、左右の密度が増した。
「いぃやっほーーーう!」
 前方上空、サーカス衣装の女が高速で飛翔し、通り過ぎた。速度、高度からしてかなり遠方まで飛ぶ軌道だったが、磁力で巧みに引き戻し、空中ブランコのように食い逃げ犯に迫る!
 左右は人の壁と化し、抜けるには少々手間だ。速やかに突破するには、前進か後退だ。
 一瞬の判断。選択したのは——前方への飛び込み!
「いっ!?」
 食い逃げ犯はヘッドスライディングのように低空で飛び込む。サーカス衣装の女は高さの目測を崩され、頭部の衝突を恐れて身を反らす。
 紙一重——互いの髪が掠め合う距離ですれ違い、食い逃げ犯は前転し、即座に前方に駆け出した。
 サーカス衣装の女は、軽やかな身のこなしと磁力の操作で後方に着地。両手を高く掲げ、磁力を発動。すると——
「もういっちょ! 行ってこおい!」
「ンマァァグネーーーーーットォ!!」
 後方より、偉丈夫の兄が磁力で引き寄せられて飛来! 兄妹の手慣れた能力調整で、強力な吸引による加速から滑らかに反発に切り替え、兄を前方に射出した。
 先程の妹よりも低い高度で背後から突撃し、躱されたならば妹を磁力で吸引し、絶えず挟撃に持ち込む腹積もりだ。
 狙いを定め、磁力を最大に反発させ、加速。偉丈夫は瞬時に食い逃げ犯との距離を縮めた。

——その時。

 偉丈夫は、そして食い逃げ犯を追う人々は目を見開いた。
 右側河川から、光り輝く巨大な投網が投じられたのだ。
「ンノォォォウ!?」「ぷわあ!?」「何だぁ!?」
 投網が窄まり、巻き込まれた偉丈夫と人々は河川側に引きずられていく。
 だが、食い逃げ犯は巻き込まれていなかった。いち早く投網に気付いていた食い逃げ犯は、素早く左の人集りを潜り抜け、道路脇の電柱の陰まで離れていた。
「獲ったか十吾ぉ」
「逃げとる! 追っかけっぞ!」
 投網の発射地点——河川に浮かぶ小型船舶の上にふたりの男。ひとりは鍛えられた筋肉の上に程良く脂肪を蓄えた、髭面で漁師じみた格好の老齢男性。先程の投網を投げた者だ。
 もうひとりも良く鍛えられた老齢男性。先の老人と比べると長身で引き締まった身体で、細長い印象。衣服はカーゴパンツにサンダル、上は何も身に着けていない。
 半裸の老人は無造作にサンダルを脱ぎ捨て、腕を大きく広げ、力を込めだした。
 すると——老人の体が異形に変化してゆく。大きく広げた腕は長さを増し、手は獰猛な鉤爪に変化、羽毛がびっしりと生え、翼となった。
 裸足の脚は猛禽を彷彿とさせる、獲物を掴む為の力強い脚となり、口周りは嘴に、眉と頬からはグリーンのグラデーションがかかった飾り羽が生えた。
 半裸の老人の姿は、神話上の怪物のような半人半鳥へと一変した。
 鳥の老人は変化を終えるや、一足飛びで漁師の老人の肩を猛禽の足で掴み、長大な翼を力強く羽撃く。
 二人の老人は一体となり、空を舞い出した。
「喰らえやあ!」
 漁師の老人は不可思議な能力で掌を発光させ、腕を大きく振った。無手であったはずの手から先程の光り輝く投網が生じ、食い逃げ犯へと投じられた。
 実に幅二〇メートルにもなる投網が空から迫る。だが、食い逃げ犯はまるで動じていない。
 食い逃げ犯は地に手をつき、猫科動物を思わせる姿勢で四肢に力を込め——投網が着弾し、窄まる!
 漁師の老人は空中で窄まった網を引き揚げ、舌打ちした。手ごたえが無いのだ。
 投網の着弾地点の遥か先。弾丸じみた速度で食い逃げ犯が走行している。投網が窄まる直前で、投網の幅を超える速度まで加速したのだ。
「国道の方だ! 飛ばせ!」
「くそ、すばしっこい……あん?」
 鳥の老人は食い逃げ犯を追って速度を上げ出した。同時に、その進行方向に発見してしまった。いくつもの厄介な存在を。

んな逃げてえええええ!!!    男子逃げろおお!!     災害だ
   行 き 遅 れ          魔女さんちっすちっす
 ケバ……ヤバイのキターーーー          俺なら空いてるぜ?

 食い逃げ犯が向かう国道方面には徐々に人が集まり出している。だが、ある一定ラインより内側には一部の者を除いて近寄ろうとはしない。
 常人を隔てるラインの先頭にいるのは——魔女である。
 つばの広い三角帽にローブを纏い、竹ぼうきに腰掛けて浮遊している。化粧が濃く、ホステスを思わせる派手な髪で、ローブの下はスリングショット水着じみた露出度だが、その印象は魔女以外の何者でもない。
「おい痴女……今日こそは邪魔するんじゃないぞ……」
 魔女を見上げるのは、頭にヤギのような角を生やした少年だ。十歳ほどに見えるが、顏に滲ませる怒気はまるで子供が放つ物ではない。
「あは、わざとじゃないわよぉ。狙ったとこにたまたま誰かいるだけだし」
「黙れ、さっさと始めろ」
 魔女はニヤニヤと微笑みながら、何かを呟き始めた。前方からは追跡集団を駆け離した食い逃げ犯が接近。
「——〈テンタクル・フィールド〉」
 魔女の呟きに呼応して、道路に奇妙な紫の靄が広がる。靄の中から突如、巨大なイカの足のような触手が無数に出現した!
 「うわあああ!?」「ちくしょう、邪魔だ!」「ああ! そこはあああ!?」
 触手は近づく者に片端から絡み付き、動きを封じていく。
 食い逃げ犯も前進を阻まれ、邪魔な触手を引き抜き、別の触手に投げつけた。触手同士が絡み合い、僅かだが無力化した。
 二本、三本と引き抜き処理するも、数が多過ぎて埒が明かない。食い逃げ犯は即座に強行突破を検討する。
 ……だが、一時保留せざるを得なくなった。前方から触手群を引き裂きながら突進してくる存在あり。
「ヴオオオオオオ!!」
 現れたのは、ヤギ角の生えた少年だ。育ちの良さそうな身形をしているが、血走った目と剥き出した牙、そしてアンバランスに膨張した前腕が品位を掻き消し、凶暴な猛獣としか表現できない有り様だ。
 ヤギ角の少年は、突進の勢いのまま食い逃げ犯に掴みかかる。食い逃げ犯は触手の処理に手間取り、やむを得ず迫り来る手を掴み返した。
 ふたりはプロレスじみた真正面の力比べを始めた。身長差はヤギ角の少年の方が頭一つ分は小さいが、掌は食い逃げ犯の手をまるごと包み、握り潰せるほどに大きく、強靭だ。
 しかし両者の握力は拮抗。掌のサイズ差を補うほどの握力を発揮する食い逃げ犯。力比べをしつつ、周囲の状況を読み取る。
 ちぎられた触手は徐々に再生している。触手が足や腕に絡み付いてきているが、力任せで処理は可能。後続の捕縛者達も近づいてはいるが、触手に邪魔されている。後方空中には鳥人間と老漁師、サーカス衣装の女。前方には浮遊する魔女、その周囲には不穏な黒い渦が宙に出現している。それ以外にも、ただならぬ人影が複数接近。
 食い逃げ犯は状況判断を終え——次の手を決断した。

               ・

ールは近いぞ       18分経過    ドラゴンさん惜しかったな
   クライマックス!! フ ェ ス 会 場    これはもうダメな
たれ当たれ当たれ       税金泥棒さん達チッスチッス  只のカカ

 この日は一部道路に交通規制がかかっている。この国道が原因である。
 片側二車線の道路に簡素なゲートが備えられ、その周辺には大勢の機動隊がライオットシールドを装備して隊列を組んでいる。
 そして、機動隊を遥かに超える数の、有象無象の人集り。見物目的の者もいれば、食い逃げ犯を捕らえんと待ち構える者もいる。
 そう。食い逃げ犯はここに来る。このゲートを目指しているのだ。
「おい、来たぞ!」
 誰かが叫んだ。皆の視線が声の方向へと向いた。
 およそ一キロ程先の交差点から一人、この国道へと走り込んできた。
 そして、その一人を追って続々と、続々と集団が雪崩れ込んでくる!
 先頭を走るのは食い逃げ犯の女だ。続いて、ピッチリしたボディスーツを着た陸上選手じみた体躯の男が追いかける。
 さらに、ヤギ角の少年が、爬虫類めいた皮膚の男が、鳥男に掴まれて飛行する漁師が、カラフルな忍者装束の集団が、はだけた着物の女が、サーカス衣装の兄妹が、車輪駆動する外骨格機械が、ロボットじみた走り方の大男が、ほうきに乗った魔女が、飛行ユニットを身に付けた男が、危険な目つきの黒服男が、道着姿の男が、馬に跨るモヒカン男が……
 高い身体能力を持つ者も、特異な能力を持つ者も、特殊な装備を身に付けた者も、社会に潜む異形も、只の一般人も、誰もが食い逃げ犯を捕らえようと挑み、そして突破された。
 だが、まだ終わっていない。このゲートの前、最初から待ち伏せていた者と途中でゲート前に向かった者と機動隊が集結する、最大の人壁が待ち受けている。
 食い逃げ犯がゲートへと迫る。迫る。迫る。ボディスーツの男が肉薄するが、息切れしており、捕縛に至れない。
「まずは僕がやる!」
 ゲート前の待ち伏せ組の最前線、サイケデリックな色のパンクス青年が食い逃げ犯に向かって両手をかざした。
 すると、突如食い逃げ犯とボディスーツの男が硬直した! パンクス青年のサイキックである。
 サイキックの使用には極度の集中が必要であり、パンクス青年は強張らせた顏筋が千切れそうな苦悶の顏で耐える。
 それに対し、食い逃げ犯は大きく息を吸い——
「だぁりゃあああ!!」
 食い逃げ犯は硬直を振り切って右へ横転。超常的なサイキックと言えど、詰まる所は力であり、かけられた負荷を超える力を発揮すれば破れるのだ。
 パンクス青年はサイキックの焦点を食い逃げ犯に再度、向け直す。だが、食い逃げ犯は横転から立ち直し、フェイントをかけながら機敏に飛び跳ねている。狙いがブレると力の集中が効かず、サイキックがかからないのだ。
 そこに後方からサーカス衣装の女が飛来! 食い逃げ犯におぶさり、立ったままスリーパーホールドに持ち込んだ!
 食い逃げ犯はサーカス衣装の女の腕を掴み、力任せに引き剥がして前方に投げる!  サーカス衣装の女はサイキックの射線を遮り、空中で硬直!
「こら! どこ狙ってんのよ!」
「おまえが勝手に飛んできてんだろ!」
 間髪入れず、虹の七色の忍者装束を着た七人が食い逃げ犯を包囲。それぞれが縄を持ち、訓練された動作で一斉に縛術を仕掛ける!
 食い逃げ犯は高く、垂直に跳躍。一瞬前に立っていた位置めがけ、巨木の様に太い触手が後方から襲い掛かった!
 巨大触手は空を切り、代わりに範囲内の忍者装束の者を二人絡め捕った。
 食い逃げ犯は触手上に着地し、前方へ跳んだ。後方からはさらに二本の巨大触手が迫り、そして飛行ユニットを身に付けた男、外骨格機械の者、モヒカンの騎馬者が速度を上げる。
 食い逃げ犯が着地。周囲には無数の捕縛者。襲い掛かる。潜り抜け、捌き、躱し、跳び、跨ぎ、また潜る。
 食い逃げ犯は木々をすり抜ける突風の様に人の隙間を掻い潜り、確実にゲートへ近づいていく。対して、追跡する特異者達は人が多過ぎて食い逃げ犯を狙えない。
 潜り、躱し、そして跳び、ラガーマンの様な男の肩を踏み、さらに跳ぶ。機動隊が構えるライオットシールドを踏み、跳躍。
 機動隊後列、暴徒鎮圧用のゴム弾を装填した散弾銃を構えた隊列が、上方へ向けて一斉に発砲!
 ……二発は命中。ただし、足の裏を盾の様に向け、靴底に阻まれた。
 後方から飛行ユニットの男が接近し、腕の射出式クローを発射。同時に、モヒカン騎馬者が投げ縄を投擲。外骨格機械の者は中央分離帯を強引に進もうとして柵に衝突し、停止。
 ゴム弾の命中によって、空中で勢いを止められた食い逃げ犯に射出式クローが迫る。高速で迫る射出式クロー。食い逃げ犯は——

 裏拳。

 射出式クローが捕らえる寸前、食い逃げ犯は空中で身体を捩じり、強力な裏拳をクローに叩き込んだ。
 裏拳によって軌道をずらされた射出式クローの飛んだ方向には、モヒカン騎馬者が投じた投げ縄。クローと投げ縄が絡まる。
 予期せぬ出来事に、モヒカン騎馬者は咄嗟に投げ縄を引き戻した。クローはワイヤーで飛行ユニットの男と繋がっており、投げ縄を引かれた事で飛行ユニットの男は制動のバランスを崩された。
「のわ!?」
 食い逃げ犯は着地。機動隊は第二射を浴びせるべく、散弾銃をコッキング。……その瞬間、バランスを崩した飛行ユニットの男が機動隊の銃列に墜落した!
「うわあああ!?」
 飛行ユニットの翼は大きく、機動隊四名を巻き込み不時着。巻き込まれなかった機動隊員が不時着のさまに唖然とした瞬間、食い逃げ犯が横切った。
 不時着によって開いてしまった銃列の穴へ、食い逃げ犯は一瞬で加速し突入。一名の機動隊員が反応し、散弾銃を向けた。
 だが、引き金を引く寸前、機動隊員の眼前に何かが当たった。ヘルメットのバイザーに当たったのだが、反射的に怯み、目をつぶってしまった。
 当たったのは——ゴム弾である。散弾銃から撃たれたのではなく、先程の発砲時に食い逃げ犯が飛んできたゴム弾を数発掴み取り、手に握っていた物を牽制に投げつけたのだ。
 発砲。一瞬の怯みによって狙いは逸れ、放たれたゴム弾はゲート前を守る最後の機動隊列のシールドに当たった。
 食い逃げ犯は真っ直ぐに駆け、最後の機動隊列が構えるライオットシールドの上辺に手をかけ、跳び箱競技の選手を思わせる華麗なハンドスプリングジャンプを決め——

 食い逃げ犯は、ゲートを通過した。

  ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!! ゴオオオオオオオオ
   ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!ゴオオオオオオ
      ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!!
   ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!!
    ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!  ゴ
     ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!!!

 食い逃げ犯は着地。そして、ゆらりとゲート側に向き直り、大仰に手を合わせて無邪気な笑みで告げた。

「ごちそうさまっ!」

 告げ終えると、食い逃げ犯は身を翻して再度駆け出した。ここまでの逃走劇の疲労など、まるで感じさせない動きである。
「……っ! 何をしている! 追え!」
 イベントは終わった。ここからはいつもの業務だ。犯罪者が逃走し、警察が追う。
 集った人々も食い逃げ犯をそれ以上追うことはせず、各々の余韻を味わっている。
 疲労に喘ぐ者、健闘を称え合う者、あるいは貶し合う者、悔しさを噛みしめる者、語らいを楽しむ者、逃走劇の熱狂に興奮する者、速やかに帰路につく者、皆、ゆるやかに日常へと戻ってゆく。

 逃走開始から、22分14秒。レディ・ハリケーン 逃走成功。

               ・

「……これが今回の、君らのターゲットだ。」
 暗がりの一室、プロジェクターで映されているのは、動画サイトで放送されている番組『EAT & RUN』のアーカイブ放送だ。
「どうかな? 君なら捕まえられるかね、犬塚君」
 放送が終わり、部屋の明かりがつく。ここは警視庁の一室。簡素な机と椅子、ホワイトボードとプロジェクターがあるだけの会議室だ。
 部屋には二人の男。一人はがっちりとした体型の、四十代後半といった印象の警察官。名は小沢陽治。表向きには存在しない部署、『特異案件対策課』(略して特対)の課長である。
 そして、もう一人。着崩した警官服の上にミリタリーコートを羽織った、切れ長の鋭い目の男。他の部署では手に余る、特異に対応する特対の現場チーム〈猟犬"ハウンドドッグ"〉の隊長、犬塚勇乃(いぬづかゆの)だ。
「捕らえますさ。俺達が動く以上はね」

 2話へ続く

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