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魂(たま)散歩13.5歩目。修道士さんの人生の振り返り。

●修道士さんの人生の振り返りについて


「私は神に仕えていましたが、神が繰り返し説かれる『人間愛』については、最後までついぞ知ることがありませんでした。ただ、愛についてはよくわかりませんでしたが、正義については自分なりの基準を元に全う出来たと思っています」

「正義というのは、ある線引きを自分なりにして、その線のこちら側か向こう側か、というのを粛々と判断していくだけになります。そこに、愛だの情だのという言葉は線引きを曖昧にする材料としかならないため、無駄なものであるとしか思えませんでした」

「若い頃は、家族を大切に思う、仲間と助け合う、そんな言葉を大切にしていかなければいけない、という教えに違和感を抱きながらも、受け入れようと必死になっていました。そして、受け入れることが出来ない自分が酷く歪で、出来損ないなのではないかとずっと悩んでいました」

「異端審問の仕事は本当に私にとっては天職でした。線引きをハッキリとさせればさせるほど、成果が上がって周囲に認められていく、そして私のその価値観はその仕事をする上では『ベストな態度や姿勢』として一目置かれる、ということが起きたのです。他の場所では私こそが異端だったのかもしれませんが、この環境でだけは『私こそが正義で、他は異端としても良い』という真実が私の支えとなっておりました」

「年齢を重ねるごとに、私の周囲には心が許せる者は居なくなっていきました。仕事内容や実績として認められているはずなのに、私の周りには誰も居ない…その状況がなぜなのか、全くわからなかったです。私は周りにもっと尊重され、重用される存在であったはずなのに」

「私は最後まで自分の正義に従い行動していました。自分の正義の正しさを証明するためなら、それを否定したり意義を唱える相手は全て異端視しても構わないと本気で考えていました。それなのに、それを認めたくない奴らがいつでも私のことを恨めしそうに影となり、私のことを常に責め立てていました」

「最後の時に、私が怪我を負った時、誰にも手を差し伸べてもらうことは出来ませんでした。ただ、火傷の痛さと出血の中大声で喚きながら惨めに絶命したのです。その時に『人間愛』なんて盲目的なものを信仰している異端どもが私に執着し、囚えられてしまった結果がこうなった、ということがわかりました」

…ということでした。
魂のつながりを切り離した後、修道士さんは赤いマントとカソックのような制服のような服装に着替え、大きなムチ状の杖と教本を脇に抱えながら、光の中へと歩いて溶けていかれました。

人には、個々人に様々な価値観があり、それは時として

「大多数が正しいと認識されているもの」

を持っていない人もいる。

そういうことを突き付けられたような気持ちになった、過去世でした。

何が本当の意味で「万人にとって正しいもの」なのかは、まだ私にはわかりませんが…

自分の中で正しいことはそれはそれとして持っておき、ただ、自分以外の人の正しいの形もそれぞれに持っているのだから、その価値観を押し付けたり、むやみに振りかざすようなことはしない方が良いな…

という気持ちに改めて振り返りさせられたような過去世となっておりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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