守谷市長選挙への提案④一隅を照らす
守谷市市長選挙に対して言いたい事をつらつら書いてきましたが、ネタが無くなりました。今回の提案を最後にして、ステージにマイクを置きたいと思います。そして最後は一番いいたかった、信条について書きたいと思います。ちなみに市長選挙はもちろん、同時開催されるだろう市議会議員補欠選挙にも出馬する気はサラサラありません。しかし市政を良くする事に必要であれば、誰であっても協力は惜しみませんし、思想や言動を許可なく流用していただいて構いません。
政治と会社の違い
学術的に経営や行政・政治を学んだ事がないので、肌感覚の話となります。
ターゲットを絞ることはマーケティングの基本です。そして少数の対象者に刺さる尖った運営をすること。本社横に三○リハウスや○誠商事が出店してきても生き残れるように方針を考えています。100人いたら5人の幸せを目指し、残りの95人は他の会社に任せます。その5人に対しても、手に余るようであればお断りすることもあります。小さな会社が生き残る為に必要な事です。
一方政治においては、100人いたら100人の幸せを目指さなければいけません。老若男女、納税の多寡で差をつけず、手に余るからといって突き放す事はできません。出来るだけ平等に配分するには、規則が必要です。行政の仕事が杓子定規だとする批判をよく目にしますが、規則の中で最大限努力されているので仕方ありません。ちなみに私が政治に関わらない理由は、陳情を受けた時に「行政を頼るな。自分たちで何とかしろ。」と有権者と喧嘩になりかねないからです。
平等と公平
違いが一目瞭然なので、わざわざ画像を買ってきました。平等は台の高さを一定にするだけなので簡単ですが、公平はその人に合わせる必要があるので難しい。1段でも低ければ不公平になってしまいます。政治は平等であるべきか公平であるべきか。従来の政治は平等の中で公平を目指していました。収穫できる緑が、青とオレンジが収穫できるまで分け与える。腰が曲がり収穫できなくなった緑へ、収穫できるように成長した青が分け与える。それぞれの時代を切り取ると不公平になりますが、最終的には公平になるはずです。しかし、男は外で働き女は家を守るに通じるとても昭和的な考え方です。政治は常に公平を目指し、誰しもが収穫の喜びを得られるように努力すべきです。
一隅を照らす
先日、某市長選挙に出馬予定の方の紹介で不登校児の保護者さんたちと話をしました。私が開設予定のシェアキッチンに関して、保護者さんたちの活動の場として使いたいとの要望があり、皆さんの役に立つのであれば自由に使って下さいとお伝えしました。モノトーンだった不登校問題が皆さんとの会話の中で色付けされ、どの様な援助が必要なのか形づけられてきました。
伝教大師最澄の言葉で【一隅を照らす】とは、自分が置かれた場所で周りを照らす人になれという意味です。自ら光ることを表す言葉ですが、政治家であればみえないところで頑張っている人を照らすという意味でとらえるべきです。
私が聞きたいのは、スローガン、政策、批判、実績ではありません。
今日一日何人の市民と話をしたのか?
あなたは誰を照らしてきたのか?
では。盛り上がる選挙を期待しています。
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