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第11回 売春防止法第5条違反での摘発のてんまつ(後編)

 彼のクギの刺し方はとても奇妙でした。

「お客さんの男たちについて、本名とか詳しいプロフィールとか、知っていても言わないで。あなたの犯行っていうのは、いわば今の段階では、机上の空論。あなたが1人で言っているだけ。でも客の名前を詳しく挙げていって1人1人取り調べたら、確かに売春が行われたってことが確定してしまうの。だから、詳しいことは知らないで通して、言わないほうがいいよ」

 じゃあ、机上の空論で人を犯人扱いし、取り調べなんてするなよ、クソが、と今なら言い返せるのですが、当時は恐怖感もあってこの非常に屈折した論理になんとなく納得してしまいました。
 そういうわけで、私を買った男たちの名前や素性は調書に記載されることはなく、警察署に記録も保管もされませんでした。法律違反をしているのは同じなのに。
 そのわりに、私に個人売春のノウハウを教えてくれた年上の友人については、本名は何なのか、どこの誰なのか根掘り葉掘り聞き出そうとしてきて驚きました。彼女にも迷惑がかかるかもしれないので、「いつもあだ名で呼んでいたから本名はわからない」とごまかしましたが、この非対称さにも、
《買う男は問題なし、売る女は問題あり》
 という社会の矛盾があらわれていると思いました。

 非常にムダそのものだと呆れた出来事もあります。彼らは証拠品として私のスマホに保存されていた画像をすべて紙にプリントアウトしていました。
 私が当時ハマっていたある海外俳優について集めて保存していた画像は数千枚にもおよんでいたのですが、それを全部打ち出して、山積みの書類資料としていたのです。
「すごい数だね、誰?」
 こんな税金のムダ使いがあるかと唖然としました。

 それと細かいことですが、義理の次兄について聞かれて(第8回に登場した「タケちゃん」です)答えたのが、
「次兄は知的障害があって、施設に幽閉されていてもう家族も会いにいきません。」
 これは軽いブラックジョークのつもりでこのような口ぶりになったのですが、警官は真に受けてしまったのかなんなのか、できあがった供述調書は、
「私の義理の次兄については、交流がなく、行方はよくわかりません。」
 と完全に言ってもいない言葉でまとめられていました。
 知的障害というキーワードにアンタッチャブルなものを感じ、とっさに隠そうとしたのか何なのか、全くわけがわからなかったし、供述調書の読み合わせも果てしなく長くダラダラと続きますから、そこまで突っ込む精神的余裕はなく、スルーしてしまいました。
 それにしても、一体なんででしょうね。
 前々回出てきた言葉をまた使いますが、とにかく全てがシュルレアリスティックで、非常に理不尽で不可思議であり、迷宮に迷い込んだような体験でした。
 このようなデタラメだらけの供述調書の読み合わせが終わり、ハンコを押すと、取り調べは終わりました。
 帰りじたくをしていたときだったと思いますが、家宅捜索の際にやってきた、もう1人のほうの中年の警官が急にニヤニヤと取調室に入って、おもむろに私にたずねました。

「彼氏はいるの? 彼氏とどこでセックスしてんの?」

 このあまりに激烈で無意味な暴力に抵抗する気力など、もはや残されていなかったのは、皆さんお察しのとおりです。
 いまの私を知っている人にはとても信じられないだろうけど、私はあいまいな愛想笑いだけでその場から逃げてしまった……。

 初動捜査をもとにした書類送検が終わり、検察庁からも呼び出しがありました。軽犯罪の初犯はおおむね起訴猶予処分であり、もしまかり間違って最悪起訴されても、執行猶予は必ずつくだろうと見通しはあり、楽観的に構えてはいました。
 それでも実際に起訴猶予処分を言い渡されたときは、やっぱりとてもホッとしたことを覚えています。いまではむしろ、人生経験のために一回くらい起訴されてみたいくらいのことを思っていますが。
 検察官は白髪がちのほぼおじいちゃんのような男で、事件の概要を読み上げたあと、
「反省しているということでよろしいかな?」
 と、私がそう言っていないのにそういうことにされ、不起訴を言い渡したのですが、たぶん5分にも満たないくらいのスピード感だったと思います。
 私はまたも工場の流れ作業を連想しました。
 だれもがただ思考を停止させて、目の前の仕事をせっせと片づけているだけ。警察は検挙数のノルマ稼ぎ、検察は送検されてくる書類の処理。ハンナ・アーレントのいう「凡庸な悪」そのもので、このようにひたすら流されるだけのお役所仕事的精神によって、ナチスの大量殺人みたいな国家犯罪も生まれたんだなと思いを馳せてしまいました。

 私は、国籍も人種も関係なく、だいたい人間の9割くらいはただただ流されやすいというか、流されていたいタイプだと思っていて、周囲の状況に抵抗できるような確固たる自我と正義感を持った人間なんてほんとにひと握りだと思う。人類みんながみんな自分の頭で考えてばかりいたら、てんでバラバラでそもそも都市国家なんか生まれなかったと思う。
 だから権力が腐敗したとき、だれもがいっせいに低きに流れてしまい、ずっとおかしなシステムが正されないということになる。だから、権力への監視が必要なのに、その監視と適正化があまりに機能していない。なぜだろう。日本人は特別、権力に飼いならされてしまって従順なのでしょうか? 海外では起こる暴動やデモが日本では少なすぎる。

 私を取り調べた同年代の警官が、何かの拍子に言いました。
「ああやってガサに踏み込むと、ショックで失神しちゃう女の子もいる。目が覚めたら、『おまわりさん、私ブタ箱入っちゃうんですか』って震えながら聞いてきたりするんだよ」
 私はたぶん、これでも果敢に気丈に戦ったほうなんでしょうね。おそらく軽犯罪でつかまってしまう女性に、私のように生まれつきの頭脳と高い文化資本に恵まれ、教養豊かに育った女はほぼ居ないと思います(親は私の読みたい本が読めるようにいくらでも書籍代を出してくれました)。私のこのエッセイを読んで、壮絶人生、どん底人生ですごいと感想をもらったりしますが、本当に社会の底辺にいる女性はもっとずっと凄惨な生活です。なんといっても、私はケーキを3等分に切れてしまうのです。
 そして彼らもそこまでの経験をすれば、自分のやっていることがただの弱いものイジメに過ぎず、なんの意味もないどころか、社会をどんどん悪く暗いものにするだけの行為だとわかりそうなものですが、それでも生活のためだからと粛々とノルマをこなす彼らに恐怖を感じます。いや、ノルマをこなすだけならともかく、弱い立場の女性たちにセクハラをして欲求まで満たしている……。
 どんなホラー映画に出てくるモンスターやサイコパスより、凡庸な人の凡庸な空虚さがいちばん恐ろしく思います。狂った男や大量殺人鬼のほうがまだあたたかい人間味が感じられて、彼らにたまらない親しみをおぼえます。
 インフラの一種として市民を守るはずのおまわりさんたちがこんな悪を許容する犯罪者集団であったと知り、私の人間不信、男性不信はますます深まっていくばかりでした。

 

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