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第9回「売春防止法第5条違反での摘発のてんまつ(前編)」

 2017年の春、いわゆるガサ状を持って私の部屋にやってきたのは、いずれもノンキャリと思われる中年男とやや若めの男の2人、そして女1人の計3人でした。
 売買春の行為そのものに罰則規定はありません。
 しかし私の場合は出会い系サイトのプロフィール欄に一時期、

「わりやってます」
(※わり=ワリキリ、要するに金銭を介す売買春のこと)

 と記載していたことが、売春防止法の第5条の勧誘罪違反となり、摘発対象となることを聞かされました。当時の自分はそこまで知識がなかったので、驚きつつも、悪いのは法を犯した自分なのだと(いわば権力に盲従的に)粛々と受け入れるしかありませんでした。
 ちなみになぜそういう文言を入れていたかですが、こちらが仕事目的でサイトを使っているのにそれが分からずタダマン目当てで連絡をよこしてくる男たちにウンザリし、手間を減らすためでした。個人売春は一見して実働数時間だけで即金を稼げるように見えて、客たちとの大量のメールに一日中忙殺される稼業でもあります。会うつもりもないのにダラダラとおしゃべりしたいだけの男や、何週間もやりとりした末に1回だけ会って、「ワリじゃなければまた会おう」と吐き捨てられたり……、朝も晩も続くメール地獄にはずいぶん心を削られたものです。そのような背景がある表示でした。

 話を戻します。
 ガサ入れの前に女性警官が私のボディチェックをして、すぐ退出していきました。覚えているのは、私は当時、在宅するときはいつも全裸で過ごしていたので、大きめのTシャツ1枚だけを着て玄関をあけたことです。東北楽天ゴールデンイーグルスのファンだったので、当時のスター選手の岩隈久志投手のTシャツでした。下着をつけていなかったので、女性警官がぴらっとすそをめくるとダイレクトに性器で、玄関あけたら2分でマンコだったのですが、当時は自尊感情も何もかも死んでいたので、男性警官がいる前でそのような扱いを受けても、特に何も感じませんでした。
 彼らの目当ての押収物は出会い系サイトを使用したスマートフォンと、そのスマートフォンが私の名義であることが分かる領収書の類です。よく部屋の乱れは心の乱れといわれますが、もちろんその時も心とともに部屋が乱れまくっていて、軽めのゴミ屋敷だったので、警官たちは足の踏み場に苦労していた記憶があります。かろうじて領収書の置き場は決めていたので、そんな状況でもすぐに提出できました。
 ちょっと驚いたのは、私は少し前にスマートフォンを紛失してしまって新しいものに買い替えており、昨年の性売買当時に使っていたものとは別のものに変わっていたので、警官たちが困惑していたことです。要するに、まさに犯行に使用していたスマートフォンそのものを押収するつもりで書類を作成してきたので、現物そのものではないとテンプレートの文言に沿っていないと困るようで、2人であたふたとその場で書類の書き直しをはじめました。スマートフォンにパスワードがかかっていなかったことも驚かれ、やはりその場で手書きで書類の修正をはじめていました。手続きがかなりお役所的というか、融通がきかない変なシステムなんだなと思った記憶があります。その後の取り調べでも、つくづくこのバカげたお役所仕事ぶりを痛感することになります。

 バカげた仕事で思い出したのは、いつもこのスマホを使ってどのように勧誘をしていたのか写真を撮る必要があると言われて、寝っ転がってスマホいじりをしているシーンを演じた記憶があります。証拠として何らかの必然性があるというより、そういう決まりになっているから手続き上そうしなければならないらしいのですが、こちらとしては意味がわからないしとても屈辱的に感じました。そういえば、それ以前にストーキング被害を警察に届け出たときも、アパートの前で、建物を指さした写真を撮らせてほしいと言われたりとか、無意味に感じることを頼まれた事があります。
 必要性はわからないがとにかくそういうことになっている手続きを粛々と彼らがこなしていく様子は、まるで風刺小説の世界や、あるいは未開の部族の雨ごいの儀式のようにも思え、とてもシュルレアリスティックでした。
 スマートフォンを押収されていって困るのは、固定電話がないので110番や119番など緊急通報などができないことです。それについて尋ねると、確か、近所の人やコンビニで電話を借りるしかないんじゃないか、といったことを言われましたが、精神疾患という持病をかかえて急に体調が急変するかもしれないのに、ずいぶん悠長だなと思いました。
 それにこっちは女性なのに、道を歩いていて変質者に遭遇してもとっさに110番もできなくなる。でもとにかくやはり「そういうことになっている」ので、もうどうにもできません。
 一ヶ月くらいしたら手紙で出頭要請を送る、そして出頭の際に返還するということを告げられましたが、実際は一ヶ月半ほどかかったと思います。使い古しのPCが家にあったので、インターネット環境だけは確保できましたが、突然のガサのショックで憔悴していましたし、その一ヶ月半をどのように過ごしたか覚えていたか記憶はぜんぜんありません。

 家宅捜索で一番よく覚えているのは、私が生活保護を受給して生活していることを知った若いほうの警官が、
「生活保護って月いくらもらえるの」
 と軽いノリで聞いたことです。そんなことも知らないのかと驚きました。私のように貧困や生活苦からやむなく犯罪におよぶ市民はたくさんいるだろうし、その中には受給者もいるだろうに……、と。そしてその興味本位の顔にも腹が立ちました。「玄関開けたら2分でマンコ」より、ずっとずっと屈辱的に感じました。
「それは〇〇さんには関係がありません」
 と答えました。
 自分は当時から、受給を恥ずかしいことだと思っていなかったので、知り合った人から職業を聞かれたときには生活保護受給を隠さないでいました。ところがそれを明かすと、だいたいの人はハンで押したがごとく、
「へえ、月にいくらくらいもらえるの」
 と興味シンシンで聞かれることがすごく多く、勝手にサイフを開けられて中身をのぞかれるような不快感にいつもゾッとしていました。
 初対面の人間に月収や年収を聞いたり教えたりする人はいないと思います。お互いが職業人だったらの話です。しかしそれが生活保護受給者だと何を聞いても許されるというのはすごく気持ちが悪い。そんなに興味があるなら、ネットで検索して調べればすぐ分かるのに。
 バカ丁寧に教えてあげていた私もバカだったと思う。そもそも正直に相手に明かしていたのもバカだったと思う。人に理解されたいという甘えた願望が強かったのだと思う。あとからバレて軽蔑されるくらいなら、最初から何もかもオープンにしようと考えていたので、まわりから見たら私は、自分から精神病患者だったり生活保護であることをだれかれかまわず触れ回っているおかしな人にしか見えなかったことでしょう。
 人に嫌われたり、拒絶されることをそれくらいに恐れていて、自分のそのような恐怖の源泉というのが何なのか、向き合えなかったことがあの頃の私の苦しさのすべての原因だったと、今から振り返れば思います。
 
 再び話を戻します。
 3人の警官は札幌市に隣接する江別市の警察署から来ていたので、出頭要請書には、向こうで一方的に決めた日時記載のうえ、江別警察署まで来るようにとありました。生活苦からの犯行(?)なのに、交通費は自腹というのがまたもや悪い冗談のようですが、とにかく事情聴取のため、向かわなくてはいけません。
 そういうわけで、以下は次回以降につづきます。

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