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第10回「売春防止法第5条違反での摘発のてんまつ(中編)」

 江別市は完全に札幌市のベッドタウンで、駅前は市役所のほかには本当に何もないような街です。そのときは春先だったけどまだ一面の雪で覆われており、どこまでも真っ白だった記憶があります。
 余裕を持って少し早めに駅に到着していたので、市役所食堂で昼食を食べて時間をつぶそうとしました。なにげなく注文したのは、たしか500円程度だった「つけらーめん」。
 これが衝撃を受けるほどおいしかったです。いまだによく覚えています。自家製めんが絶品で、まるで生きているかのようにプリプリしてみずみずしくて、あんなにおいしいめんは初めてでした。江別の名産品である小麦を使用しためんでした。あとから聞いたところによると、最近この食堂には元フレンチ勤務のシェフがやってきたとのことで、とても納得しました。
 あまりにおいしかったので、その後の取り調べでも警官に「市役所食堂のつけらーめんはメチャクチャうまい」と力説しましたし、その後しばらく「あのつけらーめんを食べれただけでも、パクられてよかったと思う!」と冗談を飛ばして、知人をよく笑わせていました。
 底辺レベルで雑な食生活を送っていた私が、地産地消の新鮮な食材のおいしさを知ったはじめての体験だったと思います。
 みなさんも機会があったら北海道産の小麦からできた食べ物を召し上がってみてください。きっと違いがわかると思います。

 供述調書の作成が行われたのは生活安全課を突き抜けた角にある一室。
 担当したのは、家宅捜索にやってきて、私にあの「生活保護っていくらもらえるの」を気軽に聞いてきた若いめの警官で、たしかほぼ同い年でした。
 質問は生誕地から出身学校、勝手に取られた戸籍謄本と照会しながらの親きょうだいの年齢や職業など、事件とは直接関係ないようなことまで聞かれます。それもやはり何か意味があるわけでなく、思考停止状態で形式的なテンプレートに沿っているものと思われました。

「売春しはじめる前は経験人数ってどれくらいだった? 処女じゃないでしょう? 初体験の何歳は?」

 気さくな雑談をよそおって警官がたずねてきたので、私はうっかり口をすべらせてしまいました。
 おそらく検挙されて取り調べに呼び寄せられた被疑者はみな、あのときの私のようにひじょうに緊張しているものだと思います。人をあやつるにはアメとムチだとよく聞きますが、そこで警官側が気さくな態度をとったり少しやさしくしてあげると、緊張状態がフッと弛緩し、被疑者は口が軽く協力的になってしまうんでしょう。
 彼はそれを理屈ではなく経験で理解していたのだと思います。
 この連載も第10回めになったので、初回の冒頭を覚えている人はいないと思われますが、ここでようやく、あの私の激怒につながります。
 メモをもとに清書してきて、プリンタで打ち出された供述調書を見たときです。
 供述調書というのは独特のルールがあり、警官の質問に沿って「はい」「そうです」と答えたのであっても、すべて一人称に直され、「今から私の事件についてお話しします。」と自発的に語ったかのような形式にされます。私はそれだけでも侮辱的に感じるのに、ましてまるで自分からペラペラと、

「私の初体験年齢は13歳です。私が売春行為を始める前の経験人数は、〇人くらいです。」

 と警官に向かって語ったのように盛り込まれていました。しかも雑談のようなフリをしてだまして聞き出したものを……。

 私がこの侮辱に怒ったのは至極当然のことです。私は精神疾患に苦しみ、生活に困窮して仕方なく性売買という行為で稼いでいただけなのに、これではまるで私が人生がはじまったときから問題のある淫らな女で、私の人格が特別に歪んでいるからの帰結だといわんばかりです。
 私の激しい抗議に警官は、

「こういう事件だから、事件の性質上入れる必要がある」

 の一点張りで、

「何がこういう事件だ! 全然関係がないだろう! こんな文は消せ!」

 とどんなに怒っても、平身低頭をよそおって、「お願い! 協力して! この文がないと困るんだよ、お願いっ!」といやらしく媚びてくるだけ。
 虐待された子どもは無力感が強く、どうせ無理とサジを投げるのが早い傾向があると聞いたことがあります。私の抗議も長くは続かず、押し問答に疲れたあげく、どうせ何を言っても無駄だろうとあきらめてしまいました。もっときちんと戦えばよかったという後悔が長く続きましたが、その時はそれが私の限界でした。
 それにしても、こんな文言を入れる必要があるとは、いったいどういうことでしょうか?

 少し前『検事失格』(市川寛著)という、いわゆるヤメ検弁護士の書いた本を読みました。バラバラの状態の拳銃を所持していた男の取り調べをするとき、「私はこの拳銃を組み立てると、人を撃ち殺せる殺傷能力があることを知っていました」という文言を調書に盛り込まないと起訴ができないという(部外者は知りえない)不文律にしたがって、被疑者に無理やりそれを言わせるよう誘導したというくだりがありました。
 売春防止法はいまや業者を取り締まるより、風紀を乱す問題女性を矯正する目的で実質運用されていると私は理解しています(実質、抜け道を使って本番行為ありの性風俗店が運営されているザル法です)。
 性売買行為そのものに罰則規定は無いが、勧誘禁止の規定により自らを売る女性は取り締まることができる、という大きな矛盾は、そのまま社会の矛盾です。
 買う男は罰したくないし、売る女の存在は必要だ。しかし、将来の良妻賢母となるべき善良な婦女の堕落は防ぎたい。抑止力が必要だ。
 男社会は「処女」と「娼婦」を厳密に区別し、かつ両方を必要としている。男たちのねじれた論理、ねじれたニーズの産物が売防法のねじれとしてそのまま反映されているように思える。
 私が非処女の、どうしようもないヤリマンの問題女性ということに仕立てあげた調書を作成しないと、立件の根拠がどうにも薄くてゴーサインが出ないのかもしれない、というのがいま振り返って考える私の推測です。
 しかしそれよりももっとずっと恐ろしい想像は、ただただ彼も彼の上司も、こういうテンプレートで調書を作るのだと思い込んでいて、思考停止で、工場の流れ作業的に、無根拠にそう主張していたかもしれない、というものです。
 なんの意味も意図もなく、私は凌辱されたのかもしれません。
 警察官たちの粗雑な仕事ぶりを目の当たりにしていると、絶対ありえないとは考えられない想像でした。

 そもそも、供述調書には任意性の原則があります。
 よく「調書は警察官の作文」と揶揄されますが、言っていないことを盛り込まれたり、あるいは強制的に無理やり言わされることは本来許されないことです。もっと法律についての知識があり、この任意性をタテにして戦っていたらと後から本当にくやしい思いをしました。
 この検挙経験だけでも、警官は法律についてとても無知な無能ばかりということがわかったので、知識があれば弁護士なしでももっと戦えたはず。
 でも、急に一般市民が摘発にそなえて、法律について勉強していなきゃ自分を守れないという状況自体が、すごくおかしい。
 私みたいな読書大好き、勉強大好きな人間なんてひと握りの異常な変態みたいなもので、そもそも日本人の8割は、150字以上の文章の文意が理解できないというデータがあるそうです(この長い長いエッセイを読んでいるあなたはおそらく上位たった数%のエリートでしょう!)。突然の官製暴力から自衛するため知識をつけるなんて、市民には絶対に無理な話!
 日本が法治国家だといまだに信じている人が、ときどきうらやましくなります。
 
 長くなりましたが、取り調べにおける暴力や、私の感じた疑問点はまだまだあります。次回に続きます。

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