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第15回「山谷・簡易宿泊所の聖者たち(中)」

試練②日本堤「湯どんぶり栄湯」で入浴拒否に遭う。

 前回の続きです。
 すでに書いたとおり、三三ハウスは共同のシャワーがあるだけで、部屋にお風呂はついていません。しかし台東区は風呂なし物件に住む生保受給者には年間一定数の銭湯入浴券が配られ、無料で銭湯に入ることができます。
 そういうわけで私が当初通っていたのはドヤからほど近い「栄湯」でしたが、しばらくしてから、脱衣所で番頭のおばさんに急に声をかけられます。

「あなた、アトピー(性皮膚炎)でしょ? 悪いけど湯ぶねに入らないで、シャワーだけにしてくれない?」

 周りの人間たちは私と目をあわさないよう知らんぷりをしています。
 確かにここでは私が湯ぶねに入ったとたん、他のおばちゃんたちがいっせいに上がったり、私の座っていたベンチにしつこくお湯をかけたりする人がいたり、何かおかしいなと思いつつ、すべて思い過ごしだと思っていました。
 ドヤにシャワーしかないからわざわざ来ているのであって、銭湯に来ているのに湯ぶねに入るなというのは実質の入浴拒否です。言いのがれのできないほど直球の差別です。
 血の気がひきながらも、意外と負けず嫌いなところがある私は意地でもその日も湯ぶねにゆっくりと浸かって、冷ややかな視線を跳ね返しました。帰り際におばちゃんに言われました。

「お姉さ~ん、悪く思わないでね」
「誰かから私に苦情があったのですか?」
「無いけど、アトピーの人って体があったまったら湯ぶねの中で掻くから汚いでしょ」
「私は気をつけてるからやっていないですよ。こんなの差別です。保健所に通報します」
「はいはい、ご自由に」

 その通りに保健所の担当者に電話しましたが、「水質を保つために、各自の営業判断だから」などとノレンに腕押しのナメた対応。
 謝罪する気があるなら電話番号を教えてもいいと担当者に伝えたのに、例のおばちゃんからかかってきた電話ではひとことも謝罪はなく、
「不快だったなら、入浴券お返ししますよ」とふてぶてしく言われ、私は怒鳴りつけました。
「ふざけんじゃねえ! 私よりもお前らのほうがよっぽど汚いんだよ!」
 もう銭湯に入りたくないからと、泣きながら入浴券を仲野さんに譲り渡そうとすると、彼女はそれを固辞しました。

「そんなの気にすることないわよ。あなた役所相手に戦って、保護取ったんでしょう。もっと強い相手に勝ったんじゃない!」

 聞いて驚いたのですが、栄湯は差別の常習犯で、仲野さんと一緒にここにかつて住んでいた弟さんもあの番台から同じことを言われたそうです。
 けっきょく、やはりしばらく他の場所も含めて銭湯には行けない日々が続きました。いまから考えるともっと色んな人に相談して徹底的に戦ったり、騒ぎ立てたり、命をかけても前科になっても嫌がらせをしたかったなと後悔しています。銭湯は公共のインフラですから、インフラが拒絶するということは社会が私を拒絶するに等しく感じ、とても苦しみました。
 私に足りなかったのは、権利とは戦ってもぎ取るものだという意識だと思う。その根底にはやはり子どもの頃から植え付けられた無力感がありました。親という強大すぎる相手に生殺与奪を握られて黙らされた日々を経験したことで、自分が何を言っても何をやっても勝てないだろうという無力感が、私の血となって全身にめぐっていた……。
 たとえば性暴力に遭ったとき訴訟までして戦い抜ける人が、なぜそんなことが可能なのか本当にわかりませんでした。そのような異議申し立てをできる人は、広く大きな意味で、社会とか他人っていうものに信頼感があるのだと思う。私は自分も他人も信じられなかったし、自分の尊厳を守ろうと戦えるほど、自分の価値も信じることができていませんでした。
 そんな中、仲野さんからの励ましは印象に残りました。半端な結果に終わってしまったけど、あなたは強いのだという言葉をもらえたのはその後の自分にとって大きなことでした。

試練③カッパばばあからのイジメ。

 三三ハウスに数人ほどしか居ない女性陣の中でも、ある50代位の女性(その髪型からカッパと呼んでいた人がいたので、カッパさんとします)は元料理人らしく、毎日のように炊場で何かを作っては住人におすそ分けをしていて、存在感がありました。
 新参者の私には最初とても親切だったのですが、なんとなく笑顔がウソくさく「この人がボスでここを仕切っているな」というピンと来て、ほとんど無意識で警戒し、取り込まれないよう気をつけて接しました。
 それが気に入らなかったのか、それとも私のほうが若くてかわいらしくてチヤホヤされはじめたのが理由なのか、そのうち私に舌打ちするなど、態度が露骨になってきました。「オタサーの姫」という言葉がありますが、カッパさんはどうも「ドヤサーの姫」として、家無しのジジイどもに好かれていることが自尊心のよりどころだったようです。
 カッパさんの私への攻撃は、久々に炊場にあらわれた私に、「しばらくぶりに見たら太ったね」と人前で笑いものにするなど堂々としたものになりました。
 私が洗った皿をガチャンとラックに叩きつけると、場が凍りつきました。自室に戻ってきた自分は、かたく決意をかためていました。

「潰すしかない。絶対にあの女の息の根を止めるしかない。」

 台湾おばさんだの、差別銭湯だのにずっとナメられっぱなしだったが、もう今回ばかりは黙っていられない。どんな手は分からないが、何をやってでもとにかく絶対に勝つしかない、そうしないとずっとこの街で踏まれっぱなしだ。恐らく基本は情報戦だろう、弱みを握るとか何とかして絶対に復讐する、そのためには住人を味方につける必要があるから、いまのままの夜更かしばかりの昼夜逆転生活では無理だ。
 きょうから早寝して生活時間を整えよう。眠る前に薬を処方量の何倍も飲んで布団に入りました。
 私が精神疾患の治療のためにもらっていたのはテグレトール錠という薬で、筋弛緩作用があり、寝る前に飲むと体がだらりとして力が抜けて、導眠剤よりもよほどぐっすり眠れるのです。それでも早寝のためには通常の量では無理で、大量に飲む必要がありました。
 翌日、筋弛緩作用があまりに効きすぎて、私は体に力が入らず、目の焦点も合わない大変な事態になっていました。トイレに行くだけでも、まるでドリフのコントのように壁や床にバタンバタンと何度も体を打ちつけ、這うように向かい、それだけで全身アザだらけ、傷だらけになりました。人の部屋のドアを叩いて、「救急車を」と頼むと、たちまち心配した人々が駆けつけてくれて、ちょっとした人だかりになりました。私はロレツのまわらない舌で言いました。

「薬を飲みすぎて……、カッパさんが……、私が太ったって……」

 搬送先の病院からはその日のうちにすぐ返されたのですが、帰ってきた頃にはどうやら、カッパさんのイジメで私がオーバードーズをしたという話になっていたようでした。談話室でカッパさんが取り巻きのジジイに何かを憤然と訴えている姿がチラリと目に入りました。自分は悪くないということを訴えていたのでしょうか。
 それからというもの、カッパさんは逆に私におびえ、媚びるような様子を見せはじめました。あんなに強気だったのに……。
 私は自殺や自傷目的ではなく、本当にただ眠るために大量服薬をしただけなので、この『勝利』はたまたまのタナボタなのですが、あまりのあっけなさに拍子抜けしました。
 絶対的な悪魔のような女に見えたけど、こんなにあっさりと、ビクビクと人の機嫌をとってくるかわいそうな存在になってしまった。
 自分に害なす存在に、勝とうと頑張れば勝てるという成功体験は、ひょっとして人生ではじめて得たものかもしれません。人によっては小学生でもうそれを経験済みの人もいるのに、私の場合は35歳だったのです。
 そういう意味で、重要な出来事だったかもしれません。でも、支配するか服従するかの二択でしか動けない人間の哀しさやよるべなさが心に焼きつき、むなしい気持ちを抱いた勝利でもありました。

 

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