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自分の中にある自然

前回は過度なアプローチについてお話ししました。
今回は最近気づいた具体的な事例について。

寒くなり始めたある晩、友人と数時間屋外で時間を過ごしました。
「この寒さは熱が上がるかもな〜」という予感が的中。
夜家に戻ったらグングン熱が上がってきました。

以前であれば、「身体は熱を上げたがっている」と捉えて、良かれと思ってホッカイロを張ったり、部屋を暖めたり “汗が出始めるまで” 加熱応援をしていました。

今回もそうしようと思った時、「あれ?」と小さな違和感を感じました。

私が選んだ情報=身体の声?

身体は何らかの理由から、自然な働きの中で今の状況を作っていて、今私はその状況の中から熱の上がりを一つの情報として受け取っただけ。
熱を上げたがっている訳ではなく、今必要な最善のプロセスを、最適な速度でただ行っているだけ。

ということは、加熱応援すら、身体にとっては負担なのかもしれない。

都度、自分が心地いいと感じれる対応をすればいいのかもしれない。
そう感じた時に、「解熱」を目的、「平熱」をゴールにしていた事に気づきました。

何もせず、ただ見て寄り添う

自然に寄り添い、違和感を頼りに心地よさを求めて環境を工夫した結果、朝には逞しい生命力が身体中に満ちていて、とても驚きました。

今までも一晩で熱を下げた経験はありますが、何とも言えない気だるさが残っていました。もしかすると、その気だるさは、身体の自然な働きのに対する早合点からの、身体への負担だったのかもしれません。

この加熱応援の背景にも、発熱が異常事態で、平熱へ戻すべきものという、無自覚の思考優位な自分が居て、だからこそ、身体を置き去りにした、解熱を目的とした積極的な加熱行動に至った訳ですね。

何もせず、ただ見て寄り添う。

身体って、自然って本当にすごいな〜と感じた出来事でした。
次回は「同じ方角を見ている仲間」についてお話しします。

豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表

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