余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その6)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その5」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2009年(つまり都知事選の翌々年)に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想記は結局、現在に至るまで書いていない
 もともとサイト「外山恒一と我々団」(当時は「ファシズムへの誘惑」)で無料公開していたが、2011年6月、中川文人氏が当時やっていた電子書籍の版元「わけあり堂」のコンテンツの1つとして有料化された。
 その後、中川氏が「わけあり堂」をやめて、読むことができなくなってしまったので、2015年3月に紙版『人民の敵』第6号に全文掲載した。

 第6部は原稿用紙換算22枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその9枚分も含む。

     ※     ※     ※

  第四章 ファシストの最初の選挙戦
       ──〇五年・霧島市議選回想記


    1.選挙戦、始まる!


   クジ引き三昧

 そんなこんなで選管のバカ役人とのくだらない抗争を経て、いよいよ選挙本番です。
 告示は、〇五年十一月二十日。
 朝八時に元隼人町役場で現霧島市隼人支庁舎に集合して、正式の立候補手続きを済ませます。
 が、それですぐ街へ、ということにはなりません。
 仮に街へ出たとしてまずやることは、隼人選挙区内・全七三ヶ所のポスター掲示板に、自分のポスターを貼って回ることです。他の陣営はポスター貼りをスタッフや業者に頼んで、候補者本人はさっそく街宣して回ったり、あるいは関係各所への挨拶回りなどするんでしょうが、私にはスタッフはいませんし、業者に依頼する予算もありませんから、ポスター貼りも自分でやらなきゃいけない。
 しかも私の選挙戦のメインはポスターであると位置づけていましたから、何を措いてもまずは全掲示板にそれを貼らないことには話にならない。
 が、立候補の届出が受理されてすぐ、ポスターを貼り始めることはできないんですね。
 というのも、選挙のポスター掲示板を見たことがありますよね? 大きな板があちこちに設置してあって、普通はA3サイズの選挙ポスターを貼れるぐらいの区画に、全体が市議選なら何十だかに区切ってあって、その一つ一つの区画に番号が振ってある。私は私に割り当てられた番号の区画にしか私のポスターを貼っちゃいけないんですが、つまりその番号がまだ決まってないわけです。
 朝八時だったか八時半だったか、いったん立候補の受付を区切って、その時点で届出が済んでいる候補者たちだけで、ポスター掲示板の番号を決めるクジ引きが始まります。もちろん立候補は夕方まで受け付けていますから、この後も届出はできます。単にクジ引きに参加できなくなるだけで、この時の隼人選挙区の立候補者は最終的に十六人でしたが、仮に十七人目、十八人目が登場したら、後は機械的に〝17〟、〝18〟と割り当てられます。
 で、そのクジ引きです。
 これがまた合理的なのか無意味なのかよく分からないんですが、まずクジ引きの順番を決めるためのクジ引きがおこなわれます。その一回目のクジ引きの順番は、立候補の届出順です。
 そして立候補の届出順そのものも、朝、庁舎にやって来た順にまず整理券のようなものが配られて、その整理券の順番でクジ引きをやって決めます。
 最初に庁舎に現れた順の整理券があり、その後で計三回のクジ引きがおこなわれることになります。これはその後の都知事選でも熊本・鹿児島市議選でも同じでした。


   ポスター掲示板の不条理

 結果、私の届出順は何番だったかもう忘れてしまいましたが、ポスターを貼る区画は〝2〟になりました。
 届出順はともかく、ポスターの〝2〟は結構いい数字です。というのは、これは自治体によって違いますし、また同じ自治体でも選挙のたびに違うのかもしれませんが、この時の掲示板は、現場の地形による二、三の例外を除いて、上下二つの区画が横にダーッと並んでいて、つまり私のポスターはほとんどの掲示板で、右下のカドという比較的目立つ位置に貼ってあることになり、これは運が良かった。
 自治体によっては、掲示板の各区画の番号の振り方自体を乱数的に不統一にして、特定の番号を獲得した人がそれで有利・不利になったりしないように工夫してたりもしますが、霧島市議選の場合は右上から機械的に〝1、2、3、4、……〟とされていました。
 〝右下で目立つからいい〟というのは、普通なら縁起かつぎに毛が生えた程度の幸運です。
 しかし私の場合は特別の事情もある。フツーの選挙ポスターと違って、私のはとにかく字が多いんですね。後で云うように二種類のポスターを作ったんですが、うち一種類はもうほとんど論文です。長い文章が細かい字でギッシリ、というポスターです。これが仮に三列とか四列とかの掲示板で、その最上段の番号を割り当てられると、まさに意味をなくしてしまう。位置が高すぎて読めなくなるんです。
 後の熊本市議選では実際にそういうハメにも陥りました。
 自分で選挙に出てみると、細かいところでさまざまの疑問を感じます。この問題はつまり、選挙を主催している選管が、選挙ポスターをその程度のものとしか考えていないということなんですね。つまり「選挙ポスターってのは、顔写真をバーンと出して、名前をデカデカ書いて、あとは短いキャッチフレーズを一言か、せいぜい二言三言っていう、そういうもんだ」と、選管自身がタカをくくっている。
 世間に広くアピールしたい内容を持っている候補なら、例えば壁新聞のようなポスターを作ってみることも、けっこう簡単に思いつくはずです。顔と名前と短いキャッキフレーズという九割方の、ヘタすりゃ自分以外全部のありきたりなポスターと、それだけでアッというまに差異化できる。〝どいつもこいつもイメージばっかり、しかしこの候補だけは何か知らんが内容がある〟というイメージを(笑)、強力に打ち出せさえするんですから、本当に主張したい内容のある候補なら、そういう戦術を思いつかない方がどうかしてる。私のポスターも、ちょっとやり過ぎではあるけど、まあそれに近い。
 ところが我が国の選挙の現場では、選挙ポスターが各候補者の政見をしっかりと表現するためのメディアになりうるということが、恐ろしいことに想定さえされていない(笑)。
 とくに熊本市議選では、とんでもない掲示板がいっぱいありました。二メートルぐらいの川幅の川の向こう岸の壁にこっち向きに設置されていたり、三メートルぐらいの崖の上のフェンスに崖下に向けて設置されていたり、要するにいずれも遠目に眺めるしか仕方がない設定になってる。ポスターに、たくさんの言葉を連ねて何か主張を書く候補者がいるかもしれないということが、そもそも想定されていないんです。
 ──ってなんで選挙を全否定している私がこんなことを云わなきゃいけないのか(笑)。選挙に意味があると強弁する人たちこそ、こういうところを問題にすべきなんですけどね。
 もっともそういう掲示板の構造に関しては、霧島市議選に関しては大きな問題はありませんでした。仮に何番を割り振られても、文字だらけの私のポスターが読めない高さになるというほどのことはなかった。しかし、別の大きな問題がありました。
 掲示板が、人がたくさん集まるところに設置されていない(笑)。
 もちろん全部が全部そうだというわけではありません。七三ヶ所の掲示板のうち、五分の一ぐらいはまあ妥当な場所に設置してあった。駅前の広場とか、公民館の前とか、公園とか、そういうところにも掲示板はあるにはあった。
 しかし大半は、こんなところに設置したって意味ないだろうってところに設置されていました。要するに人通りのほとんどない場所(笑)。
 選挙が近づくと、あちこちに掲示板が設置され始めますよね。だから告示の十日前ぐらいの時点で、原付で町じゅうを走り回って、おおよそどのあたりに掲示板が設置されているか偵察してみた。すべての設置場所が記入された地図も本番二、三日前にもらえましたが、その時期にはもう悠長に原付ドライブなんかしてられませんからね。
 とにかく偵察してみると、どうもこの場所はありえないだろうという設置場所がいっぱいあった。私が地元民じゃないから知らないだけで、一見そうは見えないここが実はそれなりに人通りがある場所なのか、とも思いましたが、やっぱりないものはない(笑)。逆に明らかに人通りのある、ショッピング・モールやスーパーの近辺とか、そういう場所にかぎって必ず設置されていない(笑)。
 まあ結局そういうことなんですよ。選挙を主催する選管が、選挙ポスターをその程度のツールだとしか思っていない。
 この点は私が経験した四つの選挙すべてに共通して云えることでした。

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