『ブードゥーラウンジ』への道(〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏インタビュー 2020.02.07)その2

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 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏へのロング・インタビューである。2020年2月7日におこなわれた。
 ボギー氏の長年の活動の成果として、福岡の音楽シーンの現在がどれだけトンデモないことになっているのかについては、2020年1月に刊行されたばかりの鹿子裕文氏のレポート『ブードゥーラウンジ』(ナナロク社)に活写されている。同書はどちらかと云えば、〝現在〟に焦点を当て、それと直接関係する範囲で〝過去〟のボギー氏の活動史にも多くの言及がある。当インタビューでは、〝現在〟については『ブードゥーラウンジ』を読めば分かるのだから、そこに書かれた以前の諸々、つまりボギー氏が音楽に目覚め、路上デビューし、またステージにも立ち、90年代初頭の福岡のオルタナ系ロックのシーンの中から、ボギー氏が単に演じ手としてのみならず、さまざまなイベントの仕掛人として登場してくる過程に焦点を当てた。
 鹿子氏の本と併せて読むことをオススメする。
 
 第2部は原稿用紙27枚分、うち冒頭10枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその10枚分も含む。

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 ユーロビート全盛期のビートルズ派

外山 ……高校時代に〝たま〟バンドをやるつもりが〝ブランキー〟バンドになって、だけどそこからストレートに今の活動につながるわけじゃないんだよね?

ボギー 〝思い出作り〟みたいなもので、何度かスタジオに入って、ライブを1回やっただけす。

外山 文化祭とかで?

ボギー いや、香椎の「キッズ・ホール」っていう貸しホールで、楽器屋さんの2階にあった。先輩のバンドと同級生のバンドと、3組ぐらいでライブをやりました。お客さんも友達しかいない。
 あのライブを自分の音楽活動のスタートということには絶対したくないですね(笑)。まあとにかく、1回ライブをやって、解散です。

外山 長渕を弾き語っていたというのは……?

ボギー ああ、それだ。……自分の中で〝オールディーズ・ブーム〟の後に今度は〝ビートルズ・ブーム〟が来たんですよ。友達が、ビートルズのオムニバスのCDを貸してくれたんです。
 本屋さんとかの入口でワゴンで売ってる廉価版のCDがあるじゃないですか。それの、ビートルズの楽曲を〝前期・中期・後期〟で分けた3枚組のCDです。
 それまでビートルズのことはよく知らなくて、もちろんごく何曲かは認識してましたけど、ところがそのCDを聴いてみたら、とにかく知ってる曲がいっぱい入ってるわけですよ。〝これもビートルズだっのか〟、〝あ、これも!?〟ってビックリして。

外山 そうなるよなあ。知らないうちに大量に刷り込まれてるもんね。

ボギー うん、「ひらけポンキッキ」とかで子供の頃から。「プリーズ・プリーズ・ミー」だってそうだし、逆に懐かしい感じがしてくるっていう。そのCDがきっかけでハマってしまって、かぶれたんです。
 だけどクラスメイトは、〝やっぱユーロビートでしょ〟って感じで、〝そんなオッサンが聴くような音楽、古いよ!〟みたいな反応で、ムチャクチャ排されてね(笑)。周りでは数少ないビートルズ派でしたよ。
 とはいえビートルズを聴くと、そこから派生して、さらにいろんなものを聴きたくなるでしょ。〝ロック名盤100選〟の類では、当時は大体、〝1位〟が「サージェント・ペパーズ」じゃないですか。もちろん最初はビートルズのアルバムを全部揃えましたけど、その次は……。

外山 〝2位〟以下のアルバムを……。

ボギー やっぱりそうなりますよ。ストーンズ、レット・ツェッペリン、ボブ・ディラン、Tレックス……とりあえず片っ端から聴いていくんです。100枚の中から、ジャケットがカッコいい順に買っていったんですけど、かなり早い段階でキャプテン・ビーフハートの「トラウト・マスク・レプリカ」を買って、あれは全然意味が分からんかった(笑)。

外山 うん、あれはいきなりは分かんないでしょう。ぼくは未だに分かりませんもん(笑)。

ボギー ジャケがカッコいい順で買うと、たいていワケ分かんないことになる。

外山 〝買ってた〟の?

ボギー ちょうどその頃に、例の〝積文館〟が潰れたんです。で、全商品をオール300円で処分してた。それで買えたんですよ。そもそもレンタル料金が1枚300円だったから、それと同じ値段で買えるってことで、その時に〝ロックの名盤〟を片っ端から……〝ロック名盤100選〟で見覚えのあるジャケットのやつを片っ端から買いました。あれは自分の音楽知識を拡げる上で、かなり大きな事件でしたね。

外山 「積文館閉店事件」(笑)。

ボギー 大事件でした(笑)。

外山 ウチにある大量の〝名作映画〟のVHSも、10年ぐらい前にあちこちのレンタル屋が一斉にDVDに切り換えてた時期に、福岡市じゅうのレンタル屋を巡回して買い揃えたものなんです。100円とか50円とかで売りに出されてましたから。

ボギー さっき見せてもらったら、全部背がヤケてましたもんね。レンタル落ちなんだろうなと思いました。


 チンピラ未満時代の長渕にハマる

ボギー ……しかしこういう話って、なかなか順序立てて振り返ることがないから、面白いですね。

外山 さっき云いかけた、長渕云々の話は……。

ボギー ああ、そうでした。……母親がもともと歌謡曲好きだったんで、「順子」「GOOD-BYE青春」だけは知ってたんです。長渕に関してはその程度の知識しかなかったんですけど、ちょうどその頃に、テレビで「親子ゲーム」(86年)っていうドラマが始まるんですよ。

外山 はいはい。

ボギー 長渕剛が主演で、恋人役が志穂美悦子でね。そのドラマにめっちゃハマったんです。長渕の顔は知らなかったから、この役者、初めて見るけどすごく味があるなあ、と思って……。

外山 まず〝名優〟として認識(笑)。

ボギー ナニ者だ、と(笑)。さらにエンディングの歌もその役者が歌ってたわけですよ、「SUPER STAR」っていう。演技だけじゃなくて、歌もいいじゃないか!ということで、ラジオで〝長渕剛特集〟をやってた時にエアチェックして聴いてみたら、「GOOD-BYE青春」とか「順子」も入ってるんですよ。そこでつながるわけです。あ、これは子供の頃からいつのまにか聴かされてた……。

外山 さっきのビートルズと一緒だ(笑)。

ボギー そうそう(笑)。

外山 ボギーさんの中ではビートルズと長渕は〝双璧〟ですね(笑)。

ボギー 最初は役者として見とっただけやけん、〝あ、もともとは歌手だったのか〟って知ったわけです。そこから……。

外山 何歳ぐらいですか?

ボギー もう高校生だったかなあ。

外山 そこはまあ、「親子ゲーム」の放送年を調べれば分かるか(話の脈絡がおかしくなりそうだが、前記のとおり86年なので、ボギー氏は小学校6年生だったことになる)。

ボギー 長渕主演ドラマは「親子ゲーム」、「親子ジグザグ」(87年。主題歌は「ろくなもんじゃねえ」)と続くんですけど、とにかく〝ドラマ〟がきっかけでハマっていくんですね。

外山 しかし似てるなあ……とても他人の話とは思えん(笑)。ぼくは数歳上の世代だから、長渕主演ドラマといえば「家族ゲーム」(83年。その主題歌が「GOOD-BYE青春」)なんです。

ボギー あ、松田優作の……。

外山 いや、映画版は松田優作だけど、テレビドラマ版では長渕なんです。

ボギー そうでした。

外山 長渕のテレビドラマ・デビューですよ。ぼくもたしかにハマりましたね(笑)。

ボギー ああいう軽薄で、ヤンチャなお兄ちゃんというのがまさにハマリ役で……。

外山 で、関係先の子供が必ずいじめられっ子で、長渕がケンカを教えてやるというのが毎度のパターンで(笑)。

ボギー あの役の感じがものすごく好きで憧れたんですけど、さらにしばらくすると「とんぼ」(88年。主題歌は云うまでもなく「とんぼ」)が始まるじゃないですか。そこからどんどん……。

外山 〝チンピラ〟化が……。

ボギー いや、チンピラ〝ふう〟なのは「親子ジグザグ」の辺りからそうで、「とんぼ」はもう、〝チンピラ〟じゃなくて〝ヤクザ〟ですもん(笑)。

外山 〝ヤンチャ〟→〝チンピラ〟→〝ヤクザ〟という……。

ボギー ちょうど「親子ジグザグ」の頃に、「泣いてチンピラ」(87年)って曲を出してるんですよ。

外山 〝♪泣いて、泣いて、チンピラになりてえ〟ってやつだ。

ボギー だけどチンピラに〝なりてえ〟だから、まだなってはいないんです。それが「とんぼ」では、いきなり〝ヤクザ〟になってる(笑)。

外山 〝チンピラ〟段階をすっ飛ばしちゃったのか。

ボギー 哀川翔に「兄貴!」って呼ばれててね。その辺りからオレはだんだん……。

外山 ちょっとついて行けませんなあ、と。

ボギー ギリギリついて行きましたけど、『JAPAN』(91年)ってアルバムを出した辺りで、ちょっともう、さすがにイヤになって……。

外山 あれはなあ……。

ボギー さらに「ガンジス」(93年)って曲が出て……。

外山 長渕版の〝ワシもインドで考えた〟(椎名誠『インドでわしも考えた』84年)だね(笑)。

ボギー インドから帰ってきた辺りで、オレも完全に長渕を離れました。

外山 「ガンジス」は、たしか『Captain of the Ship』(93年。長渕史上最大の怪作!)に入ってる曲だよね?

ボギー そうそう、『Captain of the Ship』。さらに長渕はその後、「ボディガード」(97年)ってドラマの辺りから、体を鍛え始めるでしょ。ますます心が離れちゃって……。
 〝チンピラに憧れてる〟時代の、『STAY DREAM』(86年)、『LICENSE』(87年)ってアルバムの頃の長渕がムチャクチャ好きで、クラスにも当時、やっぱりその頃の長渕が好きな奴が1人いて、そいつがアコースティック・ギターを持ってたんです。長渕剛のコード表とかもそいつから借りた。


 有名になったら「初めて作った曲は?」と訊かれるはず

ボギー  オレもちょうど『ヤンソン』でギターを始めたばかりだったし(つまり、短大時代に〝かつての長渕〟が好きな友人が1人いた、ということだろう)、長渕のコードって簡単で、だいたいGなんです。あるいはAmから始まる曲が多い。当時のオレはまだFを押さえられなかったんで、長渕の曲は、そんなオレでも弾ける曲が多くて、ちょうどよかったんですよね。それで長渕のレパートリーがたくさん増えちゃいました(笑)。

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