真のアナキズム入門(千坂恭二氏に訊く)その3

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 「その2」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 この対談というかインタビューは、2014年12月4日に大阪でおこなわれ、紙版『人民の敵』第4号に掲載された。
 これを読まずに“アナキスト”など自称してると恥ずかしいことになる

 第3部は原稿用紙換算26枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその9枚分も含む。

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 第1インターナショナルの分裂

千坂 まずプルードンとバクーニンでは何が違うか。プルードンは〝政治闘争〟みたいなことをあまり重視してなかったんだ。プルードンはあくまで〝経済問題〟を重視していて、そっちさえ解決すれば政治的なさまざまの問題もおのずから解消されていくはずだ、という発想をしてる。バクーニンはそうではなく、政治権力をぶっ潰さなきゃダメなんだ、って考えでしょ。
 だからバクーニンはその運動を担う革命家を組織していかなきゃならなかった。プルードンはそんな組織をあえて作らなくても、労働者さえ起ち上がればいいんだからね。プルードン主義者のイデオロギー集団なんか、プルードンが発想する革命には必要ないんだ。バクーニンの路線だったら、プルードンと違ってアナキストの組織を作らなきゃいけない。クロポトキンもアナキストの組織が必要だと云ってるんだけど、それもまたバクーニンの組織とは違うんだ。
 プルードンは〝ヘーゲル以前〟の世代で、バクーニンは〝ヘーゲル世代〟なんだよ。クロポトキンは〝ポスト・ヘーゲル〟の世代で、〝実証主義〟とかの世代なんだ。それでおそらく、何でも〝三段論法〟で〝実証〟していくような議論をするんだね。何か実験してみて、アカンかったら「これはダメだ」と云って別の仮説を立てるような、そういう感覚がある。それこそさっき(後註.「その2」有料部分)の〝行為によるプロパガンダ〟なんて、一種の実証主義でしょ。実際に火炎瓶を投げて、爆弾を投げて、書類を焼いて、そしたらもう税金を払わなくていいぞ、諸君も見てただろう、と〝実証〟してみせてるわけだ。バクーニンはヘーゲル弁証法だから、実証主義とはだいぶ発想が違うよね。
 で、第一インターでバクーニン派とマルクス派が分かれるでしょ。マルクス派が形式上は執行部のいろんな権限を握ってたから、自分たちと対立する連中をどんどん除名していくんだ。だけどマルクス派が実際に主導権を持ってたのはドイツだけで、結果としてはドイツ以外の連中を全部除名してしまうことになって、インターナショナルそのものが事実上なくなってしまう。マルクスはインターの本部をロンドンからニューヨークに移すんだけど、その時点で第一インターは崩壊した、ということになってる。
 バクーニン派からすれば、何だあれは、ということになるよね。そもそも勢力的には第一インターではマルクス派よりバクーニン派の方が多くて、支部数では多数派だから、マルクスがニューヨークに本部を移した〝えせインター〟を否定して、逆にマルクス派を除名する。自分たちの方がインターナショナルの正統だと名乗って、実質的にはもう第一インターは崩壊してたんだけど、実体はバクーニン派であるような第一インターの大会が、あと2回ぐらい開催されてるはずだよ。

外山 それは普通の世界史教科書の記述なんかでも、そうなってるんですか? つまりマルクス派がニューヨークに移った後も、しばらく第一インターは続いてるってことに……。

千坂 そうだと思うよ(註.1864年に創設された第一インターは1876年に解散したと記述されている。マルクス派がニューヨークへの本部移転を決議したのは1872年で、以後は千坂氏の解説のとおりバクーニン派が主導する組織だった模様)。だってその段階ではまだ社会主義者の国際的な運動において、マルクス主義者たちが主導権を確立してないでしょ。そうなるのはレーニン(1870〜1924)がロシア革命をやって以降なんだ。ロシア革命によって社会主義運動をめぐる歴史観が変わってしまう。それまではマルクス主義者たちのヘゲモニーなんかないんだ。だからバクーニン派が、マルクス派の〝インターナショナル〟について、あれはマルクス派が勝手に名乗ってるだけの〝えせインター〟なんだと云えば、そっちの方が世間にも通用してたはずだよ。


 エンゲルスとクロポトキンが
 “マルクス主義vsアナキズム”を捏造

千坂 ところがバクーニン派もだんだん齢をとるし、世代交代が進むでしょ。それはマルクス派も同じで、やっぱり世代交代が進むんだけど、このマルクス派の新しい世代が〝第二インター〟を作ろうとする。第二インターの主なメンバーとして名前が挙がるのは、カウツキー(1854〜1938)とかベーベル(1840〜1913)とか……。

外山 第二インター創設(1889年)の時点ではまだエンゲルス(1820〜1895)も生きてますよね?

千坂 生きてる。だからこそエンゲルスは、第一インターがバクーニン派との対立で潰れた経緯をよく知ってるし、最初から武装闘争路線の排除を図るんだ。武装闘争をしようとしてるような連中は創設の段階で排除しろ、とエンゲルスが指導する。まっさきに排除されるのは、やっぱりバクーニン主義の系統だよね。もちろんバクーニン系の連中も、加入してこようとするよ。それをゲバルトで排除した。そんなわけだから、第二インターというのはアタマから〝社民(社会民主主義。議会政治をとおして社会主義の実現を目指す立場)〟のインターになる。
 そしたら今度は排除されたバクーニン派の方も、対抗して自分たちのインターを作るんだけど、そのあたりでアナキストの世代交代も並行して起きてたんだね。要するにクロポトキンの世代が主導権を握ってるわけよ。

外山 マルクスも死んでるはずだけど、バクーニンももう死んでますよね?

千坂 そうそう。死んでるわけだ。だからクロポトキンがヘゲモニーをとって、アナキストは〝黒色インター〟を作る(すでに1881年段階で第一インターのバクーニン派の残党によって結成されていた模様)。そしてこの時に初めて、〝マルクス主義vsアナキズム〟の対立構図が生まれたんだと思うんだ。
 つまりマルクス主義の側も、第二インターを作っていく過程で、エンゲルスの主導で〝マルクス主義〟というある種の枠組が作られたんじゃないかな。マルクスが生きてるうちは、本人が生きてるんだし、まだ〝マルクス主義〟ではないわけでしょ。アナキズムの側も、単にバクーニンが主導する組織と運動があっただけで、彼らも自分たちを〝バクーニン主義者〟であるとか、〝アナキスト〟であるとは規定してなかったはずなんだ。ところが代替わりをする時に、ルーツが〝教典〟化するんだと思うよ。〝弟子〟筋はどうしても、それまでの経緯をまとめて〝教典〟化していくことになるからね。
 第二インターもマルクスの〝次の世代〟だし、黒色インターもバクーニンの〝次の世代〟でしょ。第二インターの創設を実際に主導したのはマルクスと同世代のエンゲルスだけど、だからそこで確立された俗に云う〝マルクス主義〟というものは実は〝エンゲルス主義〟なんだ。

外山 じゃあ同様に〝アナキズム〟と一般に見なされてるものも実は……。

千坂 〝クロポトキン主義〟なんだよ。つまり我々が〝マルクス主義vsアナキズム〟として聞かされて、そう思い込まされてきたものは、実は〝エンゲルス主義vsクロポトキン主義〟の対立なんだ。それはこの時期に両者がどういう論争をしていたのかを調べたら分かるよね。
 第二インター創設の前後に、マルクス主義者を自称する連中とアナキストを自称する連中が、どういう内容の論争をしてたのか。読んでいったら、それはもう完全に、エンゲルス主義者とクロポトキン主義者の論争なんだ。全然、〝マルクス〟と〝バクーニン〟の論争でも何でもない。

外山 要するにエンゲルスとクロポトキンが論争してる……(笑)。

千坂 所詮はね。その過程で自分たちの立場を正当化するために、それぞれが〝先祖〟を作るんよ。

外山 マルクスを引用し、バクーニンを引用して……。

千坂 そうやって歴史が作られていった。マルクス主義の陣営においても、〝マルクス主義vsアナキズム〟の対立が整理されて、それが〝正史〟として記されるようになるし、アナキズムの陣営でも同じことがおこなわれるわけだ。そしてそれらがあたかも事実そうであったかのように、文字どおり〝正しい歴史〟であるかのように、広まってしまったんだよ。だから今の人間が一般的に〝これがアナキズムや〟と思ってるものは、まずたいていクロポトキン主義でしかないんだ。プルードンでもバクーニンでもない。


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