真のアナキズム入門(千坂恭二氏に訊く)その2

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 この対談というかインタビューは、2014年12月4日に大阪でおこなわれ、紙版『人民の敵』第4号に掲載された。
 これを読まずに“アナキスト”など自称してると恥ずかしいことになる

 第2部は原稿用紙換算25枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその8枚分も含む。

     ※          ※          ※


 これまで出た“アナキズム史”は全部デタラメ

千坂 アナキズムを理解したいと思った時に多くの人が手にとるような本、例えばジョージ・ウドコックの『アナキズム』(62年刊・68年訳刊)なんかは今でもアマゾンとかで買えると思うし、そういうのに書いてあるようなことがアナキズムの教科書的な〝通史〟だと思うけど……。
 それは具体的には、まずアナキズムの〝先駆者〟としてウィリアム・ゴドウィン(1756〜1836)なんかがいて、その上でプルードンが史上初めて未来の理想社会について「アナーキー」という言葉を使って、「アナキズム」を自分たちの思想を指すものとして称した、というような記述になってる。だからプルードンが「アナキズム」のルーツであり、ゴドウィンは「アナキズム」とは称してなかったけれども、内容的にはプルードンと似たようなことを云ってたから、〝無自覚なるアナキスト〟で、〝先駆者〟にあたるんだ、と。まあゴドウィンは〝洗礼者ヨハネ〟みたいな位置づけだね。プルードンが〝イエス・キリスト〟みたいなものでしょう。
 それで云ったらバクーニンが〝聖パウロ〟みたいなもので、つまり〝運動体〟を作った。で、それらを継承したのがクロポトキンである、ということになってる。さらにそれらの周辺にはシュティルナーというちょっと変わった奴とか、トルストイ(1828〜1910)みたいな人もいて……という形でたぶん、「アナキズム」というものが理解されてるわけだよね。
 で、じゃあ「アナキズム」とそれ以外のいろんな……例えばマルクス主義との違いは何かと云えば、さっきも云ったように、アナキズムは理想社会に至る〝過渡期的な権力〟の存在も認めない、逆にそれを認めるような思想は「アナキズム」ではないのだ、と。マルクス主義の場合も〝プロレタリア独裁〟とか云って〝過渡期の権力〟を認めてるわけだから、「アナキズム」ではないんだ、ということになる。とにかく〝プルードン、バクーニン、クロポトキン〟という「アナキズム」の基本線があって、ブランキとかマルクスとか、そういうのはみんな排除されるという……そういうのがおよそアナキズムの〝通史〟に書かれている内容だよ。
 しかし本当にそうなのか、と。プルードンの時代と、バクーニンの時代と、クロポトキンの時代とでは、それぞれ「アナキズム」がどういうものであったか、実は全然違うんだよ。そのことはぼくも調べてみて、いかにそういう〝通史〟がデタラメというか、恣意的なものであるか分かった。それはある特定の時代状況の中で、ある特定の人物によって作られたものでしかなかったんだ。


 アナキストの代表格バクーニンはアナキスト失格?

千坂 まず「アナキスト」という言葉がどういうふうに生まれたか、調べていくと……。
 バブーフ(1760〜1797)ってのがいたでしょ。フランス革命の時にその精神をより社会主義的に継承して、バブーフが登場した。いわゆる〝バブーフの陰謀〟事件(1896年)だね。権力に察知されてバブーフの蜂起計画は潰されるんだけど、その時に権力はバブーフのことをどんなふうに批判したか。実は「アナキスト」と云ってるんだよ。
 ところがバブーフといえばブランキの師匠筋にあたる人物で、つまり〝公安秘密総裁府〟という地下組織を作り、それによって独裁政権を樹立するというのがバブーフの革命構想だったでしょ。だからアナキズムの〝通史〟ではバブーフは「アナキスト」として扱われていないわけだけど、ところが権力の側はバブーフに「アナキスト」というレッテルを貼ってる。もちろんバブーフの場合は自分で称してたんじゃなくて、あくまで〝他称〟だから、とりあえず「アナキスト」から除外してもいい、ということになるかもしらん。
 そのバブーフの一番の側近がフィリッポ・ブオナローティ(1761〜1837)で、彼の『バブーフの陰謀』(1828年)という本が次の世代に影響を与えて、ブランキ(1805〜1881)が出てくるわけだ。ブランキはバブーフのやり方に倣って、自分の結社を作る。
 ブランキは「我々が作ろうとしている社会は〝規則正しいアナーキー〟なのだ」と書いてるんだけど、これはどういうことかというと、〝無秩序としてのアナーキー〟ではなく〝秩序あるアナーキー〟ってことなんだと思うよ。しかしここで重要なことに、ブランキは他称ではなく自分の側から〝アナーキー〟つまり〝無政府〟という言葉を肯定的に使ってる。〝規則正しいアナーキー〟と形容詞をつけてるとはいえ、ね。
 実はプルードン(1809〜1865)もそうなんだよ。プルードンも単に〝アナーキー〟という云い方ではなく、〝アン・アナーキー〟とか云ってて、つまりそこには〝無秩序としてのアナーキー〟と自分の云ってる〝アナーキー〟とは違うんだ、という含みがあると思うんだ。……たぶんこういうことだよ。権力がバブーフに「アナキスト」という批判を浴びせた時に、それは〝秩序破壊主義者〟というニュアンスだったんだと思う。「アナキスト」というのは、政府をなくすことによって世の中を無秩序に混乱させようとしてるんだ、とバブーフを批判して云ったんだろうね。プルードンはそれに対して、政府権力をなくすというのは無秩序にすることを意味するんじゃなくて、別の秩序を作ることなんだということを、ちょっと形容詞をつけることで表現しようとしたんだと思う。ブランキも同じだよ。
 つまり、プルードンも自称してるしブランキも自称してるのに、普通のアナキズムの〝通史〟では、プルードンは「アナキスト」だけどブランキは違います、ということになってる。どうしてブランキは違うとされるかと云えば、ブランキは武装蜂起して革命派による独裁をすると云ってるからだよ。プルードンはべつに革命を起こすとか云ってないでしょ。だから「プルードンはいいがブランキはアカン」となるわけだ。
 次にバクーニン(1814〜1876)が出てくる。バクーニンはやっぱり、「国家権力を倒して〝無政府〟の社会を作る」と云ってるんだから、「アナキスト」だったということになってる。でもね、バクーニンの云ったことを詳細に調べていくと、実はバクーニンも〝独裁〟論者なんだよ(笑)。
 バクーニンは実際に「国際同胞団」とかいう自分の組織を作ってるでしょ。民衆による自然発生的な運動だけでは革命は勝利することができない、革命家による、バクーニンの使ってる言葉でいえば革命の〝教会〟組織を作らなきゃダメだ、と。革命の〝教会〟に属する革命家たちが民衆の運動の中に入っていって、〝アドバイス〟をしてあげなきゃいかんと云ってて、その役割についてバクーニンは〝参謀〟というような云い方をしてる。そこはたしかにマルクス主義の革命家の〝司令官〟的な役割とは違うんだ、という含みもあるんだろうけどね。しかし〝参謀〟は〝参謀〟で、やっぱり素の〝民衆〟とは違うわけでしょ。バクーニンの考えていた革命組織ってのはたぶん、「国際同胞団」にしても「社会ナントカ同盟」にしても、アナキストによる〝革命の参謀〟組織みたいなものだと思うよ。

ここから先は

7,166字

¥ 250

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?