真のアナキズム入門(千坂恭二氏に訊く)その1

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 “アナキズム入門”なんてものを誰かに書かせるとなれば、森元斎や栗原康なんぞではなく誰よりもまず千坂恭二氏だろう、という程度の見識もない連中が昨今の左派メディアを担っているわけで、アタマが良いことが唯一の美点だったはずの左翼の知的劣化はますます著しく、したがって左翼には負ける気がしない。自称アナキストたちに本当は広く流布されるべき真の“アナキズム入門”も、こうしてファシストのメディアに載ってしまうのである。
 この対談というかインタビューは、2014年12月4日に大阪でおこなわれ、紙版『人民の敵』第4号に掲載された。
 まあ、あえてクドクド云わない。これを読まずに“アナキスト”など自称してると恥ずかしいことになる、というだけである。

 第1部は原稿用紙換算31枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその9枚分も含む。

     ※          ※          ※


 ろくな“アナキズム入門書”がない

千坂 外山君の呼びかけもあって全国の大学に〝自称アナ研(アナキズム研究会)〟がいっぱいできたでしょ。しかしアナ研を名乗ってはみたものの、どう活動していいのか分からなければ、結局また〝鍋〟をやるとか、そういうことになりがちなんだ。そんなことでは〝アナキズム研究会〟にはならない。それなりの実体が伴わないと、そのうち飽きたらやめてしまうということにもなるでしょう。
 だからそもそもアナキズムとは何なのか、前にちょっと話をしかけたけど、改めて本格的に、何回かに分けてもいいし、整理して話したら面白いんじゃないかと思ったんだ。たぶん今、アナキズムについてまとまった文章を書いたり、話をしたりできる人間って、他にいないと思うんだよ。

外山 何年か前にも何とかって本が出てたけど、要は昨今のしょーもない文化左翼による〝アナキズム〟の解説本がほとんどですよね(後註.例えば「森元斎『アナキズム入門』“検閲”読書会」「栗原康『現代暴力論』“検閲”読書会」など参照)。

千坂 浅羽ナントカって奴が書いた本(浅羽通明『アナーキズム』ちくま新書・04年)にしても、やっぱり結局は大杉(栄)がどうこうっていう、これまでの類書とそんなに代わり映えのせんもので、アナキズムの思想や運動の現在を捉えるものではないでしょ。
 そこらへんをきちんとやろう思ったらやっぱり、68年、69年のアナキズムとはどういうものだったか、〝68年闘争〟に至るまでの戦後アナキズムはどうだったのか、さらに戦前はどうだったのか、日本に伝わる以前のヨーロッパのアナキズムとはどういうものだったのか、そもそもアナキズムって誰が始めたのか、一応「イズム」って付いてるけども「イズム」と呼ぶに足る内容が本当にアナキズムにもあるのか……。そういうことを一つ一つ跡づけていかなきゃダメなんだよ。アナキズムというとマルクス主義と対立してるイメージがあるけど、じゃあマルクス主義とアナキズムとでは何が違うのか。そういうことがまったく曖昧になってる。
 一応それらしい〝定説〟めいた話は、ジョージ・ウドコック(1912〜1995)その他の、これまでに出たアナキズムの解説書にも載ってるけど、ぼくが昔、自分のやってきたアナキズム運動を総括しようと思って、アナキズムをそのルーツまで遡って検証してみた時に、そういういわゆる〝定説〟化した言説が、いかに薄っぺらで根拠のない、インチキなものであるかが分かったんだ。

外山 あちこちの大学で〝アナキズム研究会〟を名乗った人たちが、仮にマジメに勉強する気になったとしても、ロクな参考書がないってことですね。

千坂 ないんだよ。例えば今、アマゾンで「アナキズム」で検索して手に入る本を読んだところで、いわゆる教科書的な知識が少し身につくだけだ。
 ぼくらが68年にアナキズム運動を始めた時にも、どういう運動をやるのがアナキズムなのか、どういう組織を作るのが〝アナキズム的〟なのか、よく分からなかったから、とりあえず手に入る本を読んだわけよ。そしたら、過去の運動史についても具体的なことはほとんど書いてない。「アナキズムは〝絶対的な自由〟を主張する」とか……そんなことは云われんでも分かってるんだよ(笑)。こっちは具体的にどうすれば「〝絶対的な自由〟を主張する」運動になるのかが知りたいんだ。
 例えば「自由連合」って概念がよく出てきて、「統制してはいけない」と云ってる。それは分かったから、じゃあ〝統制のない組織〟って一体どういう組織なんだ、ってことを教えてほしいんだよ(笑)。具体的なことは何も書いてないから、結局みんな手探りで組織や運動を作っていくことになるんだけど……。
 アナキズムの歴史上には、現実に運動を作った人と、作ってない人がいるわけだ。両者の間にはやっぱりちょっと落差がある。運動や組織を作るというのは具体的なことだから、生々しい問題が出てくるでしょ。例えば、命令系統・指揮系統をどうするのか、とかね。ところが運動を作ってない人間は、そんな問題に引っかからなくていいから、お題目を云ってれば済むんだ。
 とにかく具体的に運動をやろうとした時に、参考になる本が一切なかった。でも一応、68年から69年、70年、あるいは70年代前半という経過の中で試行錯誤して、それなりの運動経験の蓄積もできてるわけで、それらも検証されんといかんのやけれども、そのための資料もないし……。


 アナキズム陣営敗北のたびに「組織」問題が再燃

千坂 アナキズムの運動を具体的に形成しようとした人たちは、歴史上やっぱり常に似たような総括をしている。問題になるのは結局、組織を作るのか作らんのかってことなんだ。組織を作ること自体が「自由」の否定になるんじゃないか、しかし組織を作らずにどうやって運動ができるのか、と。もちろん最終的にはたいていの場合、組織を作るしかないんじゃないかという結論になってる。「自由」は将来の実現目標として、過渡的に「自由」を封印して組織を作る、とかな。結論はどうであれ、こういう議論は必ず出てくる。いつでもどこでも、アナキズムの運動が登場して、潰れて、どうすればまた再生させられるのか、って話になるたびに必ず「組織」問題が繰り返しテーマになってる。
 20世紀の革命と云えばロシア革命(1917年)とスペイン革命(1936年)だけど、まずロシア革命の過程で云うと、アナキズム勢力が一番ちゃんと運動を形成できたのは「マフノ運動」(1918年〜21年。ネストル・マフノ……1888〜1934)だったわけだ。そのマフノ運動も結局はトロツキーによって潰された。当然、総括が出てくる。どうして我々は対抗できなかったのか、と。
 マフノ運動の理論家はエイヘンバウムことヴォーリン(1882〜1945)と、ピョートル・アルシノフ(1886〜1937)だけど、ヴォーリンの方はむしろボルシェヴィキによる弾圧を告発する。ボルシェヴィキは反革命だ、と。一方のアルシノフは、そんなこと云うてもしゃーない、という立場で、「弾圧された、弾圧された」と云うけれども、我々がその弾圧をはね返せなかったことをこそ総括すべきなんだ、と。
 アルシノフの総括はやっぱり、「ボルシェヴィキに対抗できる組織を作れなかったことが問題なんだ」ということになる。ではなぜ組織を作れなかったかといえば、統一綱領がなかったからだ。なぜ統一綱領が作れなかったかというと、統一理論がなかったからだ。……こんなふうにヴォーリンの総括とアルシノフの総括を比べても全然違うでしょ。
 スペイン革命でもそうなんよ。スペイン革命の時のアナキストは「イベリア・アナキスト連盟(FAI)」(1927年結成)というのに結集してて、実はそもそもボルシェヴィキより大きな勢力だったから、スペイン革命の帰趨はアナキストたちがどう動くかってことで決まる、という情勢ができてた。
 革命が起きて、政府を倒したんだけど、そうすると権力が空白になるわけだ。ボルシェヴィキは少数派だったし、アナキストが権力を掌握することが求められてた。ところが伝統的な観念に呪縛されて、「アナキストが権力をとったらアカン」というわけで、権力をとらなかったんだよ。そこへ横からスルッと、ボルシェヴィキつまりスターリン主義者たちが権力をとった。
 スターリン主義者たちはソ連と連絡をとり合ってるから、それを背景にしてアナキストたちに圧力をかけてくる。そうなったらアナキストたちも妥協せざるをえなくなるわけでしょ。共産党系が〝人民戦線的〟に政府を作って、ソ連をバックに恫喝をかけてきたら、いかに量的に多数派であったとしても、孤立してしまう。それで仕方なくアナキストたちからも閣僚を出して入閣するんだけど、そんなのはもう、権力をとるよりもっとダメでしょ。

外山 権力の片棒をかつぐよりは、自分たちで権力を握ったほうがいいですよね(笑)。

千坂 そうそう。それで「ドゥルティの友」(1937年結成)や「アナキスト青年同盟」ってのが登場して、入閣路線を批判する。アナキストが権力をとって独裁をすればいいんだと云って、POUM(マルクス主義統一労働者党。1935年結成)というトロツキスト系の少数派の組織をオルグするんだ。トロツキー派と組んで、共産党系とFAIによって構成される人民戦線政府に対して武装蜂起するんだけど、ここにも結局、さっきから云ってるのと同じテーマがある。
 「ドゥルティの友」が云うには、アナキストはべつに党組織を否定しているわけでも、独裁を否定しているわけでもない、そんなことはアナキズム思想史を見れば分かるじゃないか、と。誰が〝独裁を否定するアナキズム〟なんてものをデッチ上げたのか、と問いただし始める。ただ彼らの運動は結局潰されたから、その声があまり表に出てこないというか、アナキズム運動史の異端として扱われがちなんだ。

ここから先は

8,779字

¥ 310

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?