余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その3)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その2」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2009年(つまり都知事選の翌々年)に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想記は結局、現在に至るまで書いていない
 もともとサイト「外山恒一と我々団」(当時は「ファシズムへの誘惑」)で無料公開していたが、2011年6月、中川文人氏が当時やっていた電子書籍の版元「わけあり堂」のコンテンツの1つとして有料化された。
 その後、中川氏が「わけあり堂」をやめて、読むことができなくなってしまったので、2015年3月に紙版『人民の敵』第6号に全文掲載した。

 第3部は原稿用紙換算30枚分、うち冒頭10枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその10枚分も含む。

     ※     ※     ※

  第二章 異端的極左活動家時代の選挙体験


    1.福岡県知事選に無届立候補


   「前衛芸術党・棄権分子」の公認候補

 いよいよ本来のテーマである私の選挙戦についてですが、さらにしつこく前置きの話をさせていただきます(笑)。ガマンして付き合っていただければ、結局それらの試行錯誤がすべて、後の都知事選へとつながっている、収斂していくということが分かってもらえるはずです。
 さきほど、〇五年十一月の〝霧島市議選・隼人選挙区〟への立候補が私の最初の選挙経験だと云いました。それはあくまでフツーの意味においてです。正確に云えば、実はそれ以前に二度、私は選挙に関係する活動をしています。
 九九年の福岡県知事選と〇〇年の鹿児島市議選です。前者は投票率ダウン・キャンペーンという活動の一環としての無届立候補、後者は友人のこれはマジメな選挙運動を中心的なスタッフの一人として支援したというものです。
 いずれも入獄以前、つまりファシズム転向以前の異端的極左活動家時代の活動ということになります。
 まず九九年の福岡県知事選。
 今云ったとおり、主旨としてはこれは投票率ダウン・キャンペーンです。活動のメインは、告示と同時に選挙期間中、棄権を呼びかけるビラを福岡市内のあちこちに、まあ電柱とか歩道橋の側面の壁とかにですね、とにかく貼りまくるというものです。
 その時のビラを一応、図版で見てもらいましょうか。

棄権ビラ

 見てお分かりのとおり、運動主体は「前衛芸術党・棄権分子」ということになっています。もちろんそんな政党はありません(笑)。この活動のためだけにデッチ上げた、実体のない団体名で、実際は私が一人でやってるだけです。


   他の陣営から苦情が出ています

 メインで使用したビラは三種類。
 まず「棄権せよ!」とそのものズバリ大書してあるものですね。
 それから「一票の軽み。」とあって、脇に「投票率ダウン・キャンペーン展開中」と添えてあるもの。この「一票の軽み」というフレーズは、後の一連の選挙戦でもたまに使用しているお気に入りです。前に話したとおり、都知事選などでポスターその他に使用したフレーズの大半は獄中で思いついたものですが、これだけはそれ以前、この九九年の投票率ダウン・キャンペーンで初めて使ったものです。
 そしてもう一枚、「めざせ投票率0%」とあって、脇に「私は大人です。私は、行かない。」と添えてあるもの。云うまでもなく脇のフレーズは喫煙マナーの向上を呼びかけるキャンペーン・フレーズのパロディです。投票率ダウン・キャンペーンはもちろん、政府やマスコミによる投票率アップ・キャンペーンへの攻撃的な当てこすりですが、私は近年ますますろくでもないことになっている喫煙者迫害にも当時から危機感を持っていて、ここでついでに軽く当てこすっているわけです。
 これら三種類のビラを、当時の日常的な行動範囲だった主に福岡市の南区と中央区の駅周辺や住宅街の電柱やなんかにゲリラ的に貼りまくった。
 で、さらに悪ノリして無届立候補というのをやります。つまり選管に立候補を正式に届け出ることはせずに、いわば勝手に立候補を宣言して、選挙運動を展開する。
 もちろん本当は立候補してないんですから、万が一これをマに受けて誰かが私に票を投じたとしても無効票になります。
 もっとも実際にやったのは、中心街・天神での街頭演説が一回と、あとは先ほどの三種類のメインのビラの他に一種類、私の名前と顔写真の入ったビラも作って同時に貼りまくっただけですけれども。
 私は親切ですから、そっちには投票用紙に「外山恒一」と書くと「めでたく無効票になります」ってちゃんと書いてあります(笑)。
 こういう無断のビラ貼りは、今は何か新しく規制の条例もできているようですが、当時はたしか軽犯罪法違反だかの罪でした。それもかなり緩い運用で、基本的には現行犯で貼ってる現場を押さえられないかぎりは検挙されないというのが活動家の世界ではマコトシヤカに云われていて、実際そういう検挙例しか当時は聞いたことがありません。撤去も、行政がせいぜい月に一、二回、頑張ってやってるぐらいで、だからいったん貼りさえすれば結構長く残った。たった十年ほど前なのに、今からすれば比べものにならないぐらい大らかで良い時代だったと思います。
 名前の入ったビラも貼ってるわけで、当然、私がやってるってことはバレバレです。一度だけ、私服刑事がアパートに来ました。案の定、二人組で。「あれ貼ってるの、あなたでしょう」って。「他の陣営から苦情が出ています」って云うんですね(笑)。もちろんトボけますよ。「いやー、面白いかなと思ってコピーして友達にいっぱい配りましたからねー。誰か勝手に貼ってるのかもしれませんねー」って。バレバレなんですけどね(笑)。それ以上は深く追及されなくて、「とにかくお願いですからやめてくださいよ」って云い残して、刑事たちは帰っていきました。


   〝愚劣な大衆のみなさん〟に街頭で訴える

 あと街頭演説の方は、これは演説原稿を全文掲載しておきましょう。

 愚劣な大衆のみなさーん!
 毎日あくせく働いていますかーっ!
 せこせこ小金を貯めていますかーっ!
 相田みつをはそんなにいいですかーっ!
 ♪満員電車に押しぃ込ぉまれ、言葉さえなくしていますかーっ!

 愚劣な大衆のみなさん。
 私は、このたびの福岡県知事選挙におきまして、「前衛芸術党・棄権分子」という政党から公認を受けまして、福岡県知事選に立候補していない、外山恒一です。
 愚劣な大衆のみなさん。
 県知事選の投票日、県知事選を含む統一地方選の投票日が、三日後に迫っております。
 愚劣な大衆のみなさんは、もう態度をお決めでしょうか?
 はっきり申し上げて、みなさんの一票は、木の葉のように軽いのです。木の葉より軽い。
 愚劣な大衆のみなさんが、愚劣なりに、一所懸命ない知恵をしぼり、誰を選べと云われても困るような幾人かの県知事候補の中から誰か一人を選び、その果てしなく軽い一票を投じたところで、選挙の大勢にはまったく影響はありません。
 愚劣な大衆のみなさん。
 みなさんに、この腐った世の中をどうこうできる力などありません。
 選挙管理委員会や、テレビや新聞をはじめとするマスコミは、投票率アップ・キャンペーンなどということを恥ずかしげもなく大々的に展開し、「一票の重み」だとか、「みなさんの一票が新しい世の中を作っていくことになる」だとか、そういうキレイゴトを云っておりますが、実際には、みなさんの一票など木の葉のように軽いのです。
 悔しいじゃありませんか。
 いや、愚劣な大衆のみなさんの一票が果てしなく軽いのは仕方がないとしても、どうしてこの偉大な私まで、愚劣な大衆のみなさんと同じ一票しか与えられていないのか。
 これが平等ですか!
 これは、民主主義の名を借りた、オレ様への大弾圧です!

 さて、愚劣な大衆のみなさん。
 このような茶番の選挙、一体どうしてくれましょう。
 みなさんは愚劣ですから、たいしたことは思いつかないに違いありません。
 そこでこの偉大な私が、愚劣な大衆のみなさんに、今回の選挙でどのような態度をとるべきか、今からその模範をお見せしたいと思います。

 これが何だかお分かりでしょうか?(と、棒切れの先にヒモで垂らした紙切れを提示する)
 これは先日、私の自宅に、選挙管理委員会から送られてきた一通のハガキであります。「投票所入場整理券」と書いてあります。
 この一枚の薄っぺらいハガキ、これがみなさんの、そして私の、そのまま一票の軽みなのです。
 この一枚のハガキはまさに私の一票です。この一票を、このようにすることが、愚劣な大衆のみなさん一人一人に今、求められていることなのです!
 私が、模範を、お見せします!!
 (灯油を口に含み、火吹きの芸で選挙ハガキを焼き捨てる)

 みなさん、投票日には断乎として棄権しましょう。
 ありがとうございました! ありがとうございました!
 福岡県知事選挙に立候補していない、外山恒一でした。
 頑張っていません! 頑張っていません!

 カッコして注釈してあるように、クライマックスで投票所入場整理券を火吹きの芸で焼き捨てるパフォーマンスをやった。投票日が近づくと選管から有権者一人一人に送られてきて、投票所の受付で提示させられるハガキです。あれを焼き捨てる。
 灯油を口に含んで、それを霧状に吹き出しながら口元にライターの火を近づけると火吹きができます。ガソリンとかは危ないから絶対やっちゃダメですよ。
 液体を霧状に吹くのは、我々の世代の男子なら結構みんなできるんじゃないですか? 小学生の頃、沢田研二が「カサブランカ・ダンディ」という曲の前奏だか間奏だかで、酒瓶から一口含んで霧状に吹くパフォーマンスがカッコいいっていうんで、みんなマネしてましたからね、学校の水飲み場とかで(笑)。
 で、いわゆるストリート・ミュージシャン、繁華街の路上でのギターの弾き語りで通行人から投げ銭をもらうことを、最初が八九年ですから十九歳の時から現在まで、私は主に生活の糧としてきたわけですが、その初期の相棒が火吹きが得意で、彼がまず火を吹いて通行人をビックリさせて立ち止まらせる。そこに私が例えばブルーハーツの「人にやさしく」とか、派手な歌い出しのナンバーをバーンと始める、なんてことをよくやってまして、それが面白かったんで、私も含めてみんな彼に火吹きの要領を教えてもらってですね、当時の私の周囲では、政治的な活動の仲間も含めてみんな、むやみに意味もなく火を吹いてた(笑)。アホですね、まったく。

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