世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2016.08.02「左も右も行き着く先は“反帝反スタ/反米反共”=ファシズム」(その2)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 おなじみ(?)日本どころか世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。
 2016年8月2日におこなわれ、紙版『人民の敵』第26号に掲載された。

 第2部は原稿用紙18枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその6枚分も含む。

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 左派はなぜ在特会に結局勝てないのか?

外山 桜井(誠)はもう、例えば区議選なら確実に通るし、もしかしたら都議選でも通るかもしれませんが、通っちゃうとむしろダメだと思うんです。決して当選することのないように、ああいう形で選挙をつうじて支持拡大をしていくという、それが彼が今後しばらく進むべき方向でしょう。おそらく桜井自身、それぐらいは分かってるとは思うんですが。

千坂 あるいは国政選挙だね。

外山 うん、国会議員になら当選しても運動的なマイナスは少ないかもしれない。在特会なら、独自に比例代表で候補を立てれば1人か2人は通せるような気もします。そんなことはしないとは思いますが、自民党の候補として出ては絶対にダメですね。あくまで在特会の候補として出なきゃ意味がない。

千坂 で、頑なにヘイトスピーチをやり続ける。たとえ国会議員になったとしてもヘイトスピーチをやり続けなきゃいけない(笑)。

外山 桜井はそういう政治センスだけは優れているような気はするんですが、どうなんでしょうね。“間違う”ことはないような気はしつつ、しかし今回の都知事選ではトレードマークの“蝶ネクタイ”はしてなかったし、意外としょーもない野心に足をとられるかもしれない。
 ……あとやっぱりリベラル勢がほんとに情けないですね。選挙期間中でも堂々とカウンターをかければいいんですよ。なのに“公選法違反”を恐れて自粛してしまった。その程度の情熱でしかないのかって話ですよ。仮にそれで逮捕されたってまさに勲章じゃないですか。これだから合法主義者はダメなんだ。
 “しばき隊”界隈は性懲りもなく今回も鳥越の応援とかやってましたけど、そんな無意味なことをやるぐらいなら、徹底的に桜井の選挙運動を妨害して回ればよかったのに。

千坂 シールズだの“しばき隊”だのってのが、いかにダメかということだね。世間一般の道徳感情に依拠した運動でしかない。一番分かりやすいのが、“ヘイトスピーチは日本の恥”というようなプラカードだよ。“恥”なんていう既存の道徳感情に依拠してちゃダメなんだ。運動というものを真面目に考えるんなら、“恥”であろうがなかろうが「潰すぞ」という姿勢でなきゃいけない(笑)。

外山 桜井的なポピュリズムに別のポピュリズムを対置しようとしているだけで、しかも桜井的なそれよりも強度がない。量的には“反ヘイトスピーチ”のポピュリズムのほうが多いのかもしれないけど、質的な強度で負けてるから最終的に桜井を潰すことができない。

千坂 既存道徳のポピュリズムだからだよ。桜井的なポピュリズムって、やっぱり既存道徳の脆弱な部分をなにがしか突いてるわけでしょ。だから現状に不満やルサンチマンを抱えてる連中が、いくら食い止めようとしたってそっちに吸収されていく。逆にシールズや“しばき隊”は警察とナアナアになってしまうような一面を持ってる。


 野間易通は“文化左翼”つまり“サブカル”でしかない

外山 初期の“しばき隊”には既存の道徳的制約からはみ出そうという志向があったけど、初期だけでしたね。

千坂 さらにシールズに至っては、“しばき隊”以上に警察とナアナアでしょ。

外山 シールズは完全にそうです。

千坂 その時点でまったくダメだよ。

外山 ぼくらなんか、現実政治とまったく無関係なところで動いてるくせに、ことさらに“反警察”的ですからね。ニセ選挙カーで街宣してて、白バイが原付を停めてるところに遭遇すると、「お巡りさん、今日も弱い者いじめ、ご苦労さんです」って必ず云いますもん(笑)。

千坂 そういえば、こないだ(7月11日)外山君は野間(易通)と対談してたね。あの時に野間が、「昔の運動のことなんか知らないし、興味ない」って云い方をしてたでしょ。ああいうところがダメだと思う。知らないということは、意識的に何かをやろうとする者には恥ずかしいことだ。ところが彼は、知らないことがまるでもっともであるかのように云う。
 68年の闘争というのは、国家権力と物理的に衝突した体験なんだよ。あれ以降はそういうことが、あれほどの規模では起きてない。いわばみんな、精神的に刀狩りされてしまった。しかし再び運動を起こすためにはやっぱり“刀”を集めなきゃいけないんだよ。68年について「知らん」とか云うのではなく、知って、超えなきゃいけない。68年の闘争を批判するなら、「彼らは権力との衝突の仕方が下手だった」というような批判でなきゃいけないんだ(笑)。権力を相手に闘争をすれば最後は結局、物理的な衝突になる。
 ……とにかく野間的なスタンスでいる限りは、本人がどう思っていようが、しょせんは“文化左翼”にしかならない。

外山 “文化左翼”でしかありえないというのは、つまりまさに野間サンが忌み嫌う“サブカル”でしかありえないということです(笑)。

千坂 仮に自分が実践しないとしても、68年的な物理闘争を肯定しなきゃいけない。


 グラムシ主義とリベサヨの違い

千坂 笠井潔が野間と共著を出したけど、笠井もグラムシ派(共産主義労働者党=構造改革派)でしょ。以前会った時にそう問いただしたら、「グラムシ(1891〜1937。イタリア社会党を21年に脱党し、イタリア共産党を創設。13年の社会党入党当初は、14年に除名されるムソリーニが主導した極左派に属した)の路線は一般的にイメージされてる構改派のものとは違う」と彼は云うんだよ。
 グラムシ路線時代のイタリア共産党は、武装した上で“構造改革”を唱えてる。既存の社会的枠組の中での改革を目指すんだけど、失敗したら武力に訴えるという(笑)、それが当時のトリアッチ(1893〜1964。ファシズム政権下で逮捕され獄死したグラムシを継いだ、イタリア共産党の指導者)の路線なんだ、と。

外山 単なるリベサヨと本来のグラムシ主義との違いですね。

千坂 うん。ところが今は……。

外山 グラムシ、グラムシ云ってる連中ですら、“武装した上で”というグラムシ主義の一番重要な部分を抜かして、単なるリベサヨになってしまってる(笑)。

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