世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2015.08.16「人民が笑顔で暮らせるファシズム社会」(その2)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 福岡でおこなわれた第3回「教養強化合宿」(2015年8月9〜15日)の最終夜ゲストに大阪からお呼びした世界最過激思想家・千坂恭二氏との、その翌日(2015年8月16日)の対談というか座談会である。紙版『人民の敵』第12号に掲載された。
 文中「山本」は山本桜子、「東野」は東野大地で、いずれも九州ファシスト党〈我々団〉の党員である。

 ( )内は紙版『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回入れた註である。他のコンテンツもそうだが、[ ]部分は料金設定(原稿用紙1枚分10円)に際して算入していない。
 第2部は原稿用紙換算26枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定はその8枚分も含む。

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 〝総会屋雑誌〟のしくみ

千坂 「大行社」っていう右翼団体が今もあるけど、あれはたしかそもそも北一輝の系列でしょ? 北一輝が死ぬ時に、清水行之助とか、何人か〝子分〟筋が残るわけだけど、彼らに自分の〝権利〟を譲ってるんだ。〝権利〟というのはつまり、三井財閥なんかからの寄付が入る口座。そこに今の貨幣価値で云えば年間数千万って規模のカネが入るわけだ。それを北一輝は弟子たちに遺したんだね。
 彼らの世界は一種の〝暖簾〟の世界なんだって。北一輝の〝暖簾〟は大行社に継承されてる(清水が大行社を結成したのは24年で、二・二六事件に連座して北が刑死する37年のはるか以前だが、北と同様、清水も19年まで孫文らの中国革命の支援に奔走、その過程で北と知り合い、〝親分・子分〟的な関係になったようだ)。〝筋目〟を継承していくというか、そういうところがあるらしい。その口座はたしか商法改正(総会屋対策での最初の大きな改正は81年)でなくなったみたいだけど、それまではずっとあったんだね。
 神兵隊事件(33年のクーデタ未遂事件)ってのもあるでしょ。津久井龍雄とか高畠素之の系統の人間がやった事件だけど、昔その流れを汲んでる奴の事務所に行ったことがあって、飯田橋のすぐ駅前の立派なビルに広い事務所を構えてる。あれもやっぱりどうもそういう〝戦前からの口座〟が生きてたってことらしい。だから戦後の右翼って、商法改正まではそれでやっていけたんだよ。戦前の右翼が主だった企業に全部、脅しをかけて回って、寄付用の口座を作っておいてくれたおかげで、戦後もみんなずっとメシが食えてた。

外山 商法改正っていつ頃ですか?

千坂 ぼくが大阪に帰ってきて以降だと思う。東京にいる頃はぼくは『現代の眼』(61年から83年まで現代評論社から発行されていた新左翼理論誌)とか、ああいう雑誌に文章を書いてたわけで、それはつまり商法改正前ってことだからね。

外山 あ、そうか。

千坂 ああいう雑誌は全部、総会屋がやってたんだからさ(いわゆる〝総会屋雑誌〟。総会屋は企業恐喝のツールとして、何らかのスキャンダルを掴んだ時に「雑誌に情報を流して追及することもできますよ」などと云うために、いつでも自分たちのために誌面を空けてくれる活字媒体が欲しいが、普段とくに書くべき内容があるわけではなく、〝普段の内容〟はどうでもいいからとにかく何か定期刊行されている雑誌があればいい。一方、書くべき内容はいくらでも持っているが、自前のメディアを立ち上げるほどの資金力はない新左翼イデオローグたちが大量に存在した。両者の利害が一致して、ブラックマネーで維持運営され、内容としては新左翼プロパガンダ誌、という奇妙な〝総会屋雑誌〟が60年代から70年代にかけて林立)。

外山 『現代の理論』(60年代初頭に日本共産党から排除された〝構改派〟系の論客らによって64年に創刊された左翼理論誌。89年まで刊行されていた)もそうですよね?

千坂 いや、あれは違うと思うよ。

外山 えっ? じゃあ合宿で学生たちにウソ教えちゃった(笑)。うん、たしかに『現代の眼』とゴッチャになったんだな。

千坂 構改派の雑誌でしょ?

外山 そうです、安東仁兵衛(27〜98年。『現代の理論』編集長)とかがやってた雑誌。なぜか1冊だけココの本棚にありますけど……。

千坂 (『現代の理論』をパラパラめくりながら)やっぱりあんまり広告が載ってないもん。〝総会屋雑誌〟って、もっと広告が多いんだ(笑)。『現代の眼』の他にも例えば『構造』とか『流動』とかってのがあった。とにかく妙に広告、とくに銀行の広告が多いの。三菱銀行とか住友銀行とか。本文では過激な新左翼の連中が「資本主義打倒!」「銀行を爆破せよ!!」みたいなことを書いてるのに、こっちの隅には「三菱銀行」とか(笑)。一体どうなってるんだっていう。


 右翼の企業恐喝とアナキストの〝リャク〟

山本 えーと……例えば戦前でも、銀行をテロる右翼と、銀行からカネを引き出す右翼がいたってことですか?

千坂 いやいや、こういうことなんだ。例えば朝日平吾(1890〜21年)っていう一匹狼の右翼テロリストが、安田財閥のトップの安田善次郎を殺して、その場で自決したよね。朝日平吾が北一輝を尊敬してた関係で、安田善次郎を刺殺して自分も剃刀で喉を切って死んだ時に着てた、血まみれの服が遺品として北一輝の手元に届く。
 「これは使える!」と北一輝は閃いて、それを持って大きな銀行を回るんだね。頭取か誰か、偉い奴が出てくると、ポーンと血まみれの服を放り投げるんだ。向こうは何だろうと思って、広げてみてギョッとするでしょ。そこへボソッと「ウチにもそういう無茶をやりそうな若いのが多くてね」とか何とか云えば、向こうは震え上がって、「北先生のお口座番号は?」って訊いてくるよ(笑)。

外山 安田財閥のトップが殺されたことをネタに、他の財閥の連中をユスって回るわけだね。そしたら彼らは、「なにとぞその〝若い連中〟に私を襲わせないように云って聞かせてください」って莫大なカンパをしてくれる。

山本 なるほど!

千坂 「おたくにも若いのが行くかもしれませんよ」と……。

外山 そういうふうには口には出さずに、「最近は何かと物騒ですなあ」的な〝世間話〟みたいにして、ただ黙って血まみれの服を相手に見せる。

千坂 すると「北先生、ぜひお口座番号を」って、翌月から毎月1千万ぐらいずつ自主的に振り込んでくれるようになるわけだ(笑)。

山本 へーっ!

外山 いい時代だなあ(笑)。

千坂 いいよね(笑)。だから戦後の右翼の間でも、とりあえず何か〝テロ未遂〟みたいなことをやって2年ぐらい服役してハクをつけて、それで銀行を回ったりするのが流行る(笑)。あくまで〝未遂〟にしとくのがミソで、ほんとにやると刑が重くなってしまう。
 具体的にはどうやるかというと、そこに狙う相手がいるとして、とにかく何か武器を持って近くまで行くの。で、もう少しというところで取り押さえられる(笑)。それは右翼の奴に聞いた。右翼ってのは、メシが食えない状況になると、手っとり早いのは〝テロ未遂〟なんだって(笑)。うまくいけばそれでもう一生メシが食えるようになるって云ってたよ。
 それで2年ぐらい刑務所に入って、出てくるでしょ。他の右翼連中からももう〝先生〟扱いになってるし、銀行からも〝寄付〟をもらえるし、悠々自適で〝黒幕〟生活。「ガハハ、あとは若い奴が頑張れ」って……ただ怠惰なだけだよな(笑)。
 似たようなことはアナキストの世界にもあって、〝リャク〟っていう、要するに〝略奪〟ね。

外山 戦前のアナキストの評伝を読むとよく出てきますね、「リャク」(笑)。

千坂 ちょっと名の知れた作家なんかがいれば、体のいい恐喝に行くわけだ。「何々先生にお目にかかりたいんですが」と訪ねて、向こうもそういうのが来たら、「いくら欲しいんだ?」っていうことに大体なってる。もちろん「いえいえ、そんなつもりではありません」と遠慮して、それでどんどん金額が釣り上がっていく(笑)。

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