世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2016.08.02「左も右も行き着く先は“反帝反スタ/反米反共”=ファシズム」(その3)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その2」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 おなじみ(?)日本どころか世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。
 2016年8月2日におこなわれ、紙版『人民の敵』第26号に掲載された。

 第3部は原稿用紙18枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその6枚分も含む。

     ※     ※     ※



 将棋に勝つのではなく将棋盤を引っくり返せ

千坂 こんな時代とはミスマッチである他ないよ。時代に合わせたら凡庸になる。時代が凡庸なんだから当たり前だ。で、“武装蜂起”の記憶を持っているのは68年世代しかいないんだし、それが今や高齢者になってて、あと10年か20年もすればみんな死んでいくでしょ。武装蜂起の記憶を持った世代がいなくなってしまった時にどうなるのか……。やっぱり何らかの形で継承しなきゃいけない。
 それはべつに今すぐ実際に武装蜂起しようとかいう話ではなくて、今やるかどうかはともかく“武装蜂起”というものは必要なんだ、という立場を維持することだよ。刀を抜くのではなく、“抜かない刀”であってもそれを持ち続けること。刀を捨てて時代に合わせるなんてのは“思想”の名に値しない。
 やっぱり“政治”にどっぷり浸かってしまうと“思想”はできなくなると思う。さっきも云ったように“政治”は“交渉”だから、どの程度の妥協で話をまとめるかという“政策主義”になってしまう。リオタールの云う「“大きな物語”は終わった」というのも、要するに“思想”の“政策”化ということだ。そうなるとアメリカの“思想”が跳梁跋扈しはじめる。
 アメリカ思想の根幹にあるのは“正義論”でしょ。“正義論”というのは「革命をやらなくても社会を変えることはできる」という議論だよ。それに対してこっちは、「“正義”なんてどーだっていいんだ、革命をやらなきゃいけないんだ」と云わなきゃいけない(笑)。つまるところそれは“軍事”ということになる。
 革命ってのは結局、軍事だと思う。問題は“政治か軍事か”なんだ。しかし68年闘争の軍事的な側面は継承されずに、日本赤軍や連合赤軍、あるいは東アジア反日武装戦線のような形に行き着いて、日本列島から消えてしまった。だからその後、“交渉”を旨とする政策主義が跳梁跋扈するに至った。それは軍事の崩壊であり、思想の崩壊だよ。
 思想というのはやっぱり既存の“政治”との対決でしょ。ただ口先で対立するのでは無意味で、どうしても最終的には物理的な対決が必要になる。思想そのものは言葉や観念によって作られるんだけど、その思想が力を持ちうるかどうかは、“現時点では存在しない物理力”をどれだけ自らのもとに引き寄せられるかにかかってるんだ。
 いざとなったら物理力を発揮できるかどうかが、思想の力を計る。いわば統合失調症みたいなもので、彼方から「決起せよ!」という声を聞いた者が思想を作るんだね(笑)。その思想が、思想的なものにアンテナを持ってる人間に伝染して、「そうだ、決起しなきゃ」と思わせる。マルクスが、「これまでの哲学は世界をあれこれ解釈してきただけだ。重要なのは世界を変革する実践だ」(「フォイエルバッハに関するテーゼ」)と云ったのも、要するに「大事なのは物理力だ」ってことだよ。

外山 “政治”の放棄、でもありますね(笑)。

千坂 “唯物論”ってまさに“物理力”ってことだし。理屈なんかどーだっていいんだ、っていう(笑)。さっきの将棋の話にしても、将棋に勝つ方法なんてのは“政策”の話であって、将棋盤を引っくり返す方法を考えるのが“軍事”だよ。将棋を指してる相手に将棋で勝つのではなく、まず将棋盤を引っくり返す。そしたら相手が怒る。それを飛びかかってヘッドロックして、「参ったと云え!」っていうね(笑)。

外山 もはや将棋ではなくしてしまう(笑)。


 右翼は華青闘告発を逆用して左翼を批判せよ

千坂 ……話は変わるけど、在特会なんかがダメなのは、左翼のことをバカのひとつ覚えで“反日”呼ばわりするところだよね。しかし日本の左翼の問題点は、実は“反日”どころか、華青闘(華僑青年闘争委員会)がいみじくも“告発”したように(70年、“華青闘告発”事件)、左翼がむしろ“右翼”だったところにあるわけだ(笑)。華青闘は、「日本の左翼はナショナリストだ」と批判した。とくに新左翼の革命派は、左翼ヅラして“国際主義”を云々してはいるけど……。

外山 “日本を中心とした世界革命”を考えてた、というね(笑)。

千坂 まるで日本の新左翼が世界革命の“司令部”であるかのような大言壮語な物云いをしてて、そこを華青闘にツッコまれた。

外山 “八紘一宇”とどこが違うんだ、と(笑)。

千坂 日本の新左翼は、良くも悪くも“ナショナリスト”だったわけだ、無自覚な。だから右翼は、新左翼を“日本の敵”のように見なすのではなく、“不勉強なナショナリスト”として批判すべきなんだよ。

外山 日本の新左翼は華青闘告発を契機に自らのナショナリスト性からの脱却を図り始めて、それで現在の姿になってるわけで、右翼はむしろ「華青闘告発以前の姿に戻れ」と左翼を誘惑すべきですよね。差別語狩りの風紀委員みたいになってしまった現状に、「こんなのを目指してたわけではなかったはずなのに……」と何か納得いかない感じを抱いてる左翼も多少はいるはずだし。

千坂 右翼は、華青闘の批判をそのまま引っくり返して左翼を批判すればいい。君たちの問題は、ナショナリストとしての自覚がなかったところにこそある。無自覚だったから問題なのであって、自覚すればいいんだ、って(笑)。
 で、新左翼の戦闘性を保持したまま、ナショナリストとしての自覚を併せ持ったならば、それはすなわち“ファシスト”ってことでしょ。すべての行き着く先はファシズムになる。だって選挙で鳥越をかつぐようなリベサヨと、ヘイトスピーチをやってるネトウヨみたいな連中って、どっちも冷戦体制の構造から1歩も抜け出せてないもん。それを打ち破れる立場はやっぱり“反帝反スタ”、“反米反共”のファシズムしかないよ。


 千坂氏、皇位継承問題を語る

千坂 ……逆に今の右翼に関して云えば、やっぱり“天皇”に関する理論を今なお持てずにいるところが足枷になってると思う。よく右翼が、“天皇に恋する”みたいなことを云うでしょ。

外山 “恋闕の情”ってやつですね。

千坂 “恋してる”とか、まあこう云ったらフェミニストは怒るかもしれないけど、女の腐ったような考えを云々するのではなく、つまり“天皇を好きか嫌いか”なんて個人的な心情はどーでもよくて、システムとしての“天皇”の価値を見るべきなんだ。それを“天皇に恋してる”だの何だの……。

外山 女々しい、と(笑)。

千坂 そんなことだから右翼はいつまでも勝てない。

外山 男は理屈だ、と(笑)。

ここから先は

4,623字

¥ 180

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?