世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2015.11.21「ファシズムと民主主義」(その3)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その2」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 おなじみ(?)日本どころか世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。正確には“対談”ではなく、外山ら「九州ファシスト党〈我々団〉」が“大阪ダブル選挙”に対置した“ニセ選挙運動”最終日の「外山恒一を囲んで飲む会」が、結果的として“対談”のようになっているものだ。
 2015年11月21日に、「トラリー・ナンド」という店だかギャラリーだかイベント・スペースだかでおこなわれ、紙版『人民の敵』第15号に掲載された。

 第3部は原稿用紙26枚分、うち冒頭12枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその12枚分も含む。

     ※     ※     ※


 天皇は君主ではなく神である

千坂 天皇のルーツはニニギノミコトでしょ。日本書紀によると、初代の神武天皇はニニギノミコトのお孫さんということになってる。
 ニニギノミコトは高天原から“天孫降臨“してきたわけだね。現実的に考えれば、どこか日本列島の外から船に乗ってやって来たということだろうけど、それが“天孫降臨“という、“外部“からやって来たという神話性を持ってることが大事なの。
 そんなものは神話にすぎないだろ、と云われるかもしれんけど、神話でいいんだよ。例えば現代のグラムシ派のようなシャンタル・ムフも、神話というのは“凝集力“なんだと云ってる。実証的な観点から否定すべきもんではないんだ、と。
 現代マルクス主義の最前線にいるシャンタル・ムフだって神話を否定してないんだから、神話でいいんだ。信じる神話ではなくて、凝集力としての神話だね。

外山 そういう神話と結びついたまま存続してるのは、日本の天皇家だけですもんね。

千坂 そうそう。

外山 たぶん古代の国家はどこでも大体そういうものだったでしょう。だけどそれらが日本の天皇家を唯一の例外として、他はすべて絶えてしまった。

千坂 もちろん今の天皇も、生身の人間だよ。だけどそれと同時に“天皇“でもある。じゃあ“天皇“とは何かと云えば、“外部“から来た人、ということなんだ。今のあの人が“天皇“であるというのは、そういう“外部“性を継承してるということなんだ。現代のグローバリズムの世界には、そこにしか“外部“はない。
 ところが左翼は今に至るもコミンテルンの“32年テーゼ“(ソ連共産党が主導したコミンテルン=世界共産党によって日本共産党に押しつけられた、天皇制を「君主制」と規定してその打倒を目指す、という方針)に縛られてて、“天皇制とは君主制である“という認識から抜け出せていない。

外山 ソ連がそういう規定をしたことに、“反ソ連“であるはずの新左翼ですら呪縛され続けている。

千坂 天皇は“君主“ではなく“神“なんだ、と云ってしまえばいいんだよ。

客B しかしそれは本当に“外部“なんでしょうか? 本当に“外部“として機能してるんでしょうか?

千坂 実際に今、機能していようがいまいが、構わないんだ。そういう神話体系がありさえすればいい。


 右翼や左翼には人々の幸福より大事なものがある!

客B 例えば天皇を、日本人の心の拠りどころのように云う人たちがいるけど……。

外山 それは保守派の天皇観でしょ? 千坂さんのはそれとは違って……。

千坂 うん、今云われたのは、天皇を“内部“化する天皇観だね。

外山 右翼の、というか、保守派とは違う本来あるべき右翼の天皇観は、やっぱり保守派のそれとは齟齬があるはずなんです。

千坂 左翼が日本で本当に革命に勝利しようと思ったら、天皇の“外部“性を自分たちのヘゲモニーのもとに獲得すること以外にないんだよ。

外山 保守派との境界が曖昧な大半のダメな右翼よりも先にそのことに気づかなきゃいけない、と。

千坂 右翼は多くの場合、天皇を“信奉“してる。極左にとっては、天皇は“担保“になるはずなんだ。だからコチコチの天皇主義者、“国民“を否定してでも“天皇“を守らなければならないと考えるような極右は、極左と意外に話が合う。

外山 その典型が、ぼくが“極左時代“から仲良くしてる数少ない“右翼の友人“である、福岡の藤村修君ですね。“皇室さえ安泰であれば日本なんかどうなってもいい“というぐらいの天皇主義者(笑)。

千坂 それは正しいんだよ。だって“保守“と“右翼“は違うんだから。保守派は天皇を“内部“化して、“国民統合の象徴“なんかに祭り上げて、いざという時には“天皇“より“国民“を選ぶんだ。右翼はそうではなく、たとえ“国民“を犠牲にしようとも“天皇“を守る、という立場であるはずなんだよ。
 それは極左にとっての“革命“も同じで、国民を幸福にしたいんであれば、革命なんかではなく“改革“とか“改良“をやった方がいい。革命というのは、国民の生活を良くするとか何とかではなく、とにかくすべてをガチャガチャにすることなんだもん(笑)。場合によっては“生き地獄“を実現することであるかもしれないんだ。

外山 革命の激動が収まった後はともかく、少なくともいったんは世の中を大混乱に陥れるのが革命ですから。

千坂 “生き地獄“になると思うよ(笑)。じゃあなぜそこまで分かっていながら革命をやらなければならないのか? それは簡単な話で、ニーチェなんかの発想と一緒だ。世界には“根拠“なんかないってことなんだよ。その“根拠のなさ“を肯定しなきゃいけない。そしてその“根拠のなさ“が“瓦礫の山“として立ち現れるわけだね。死体と瓦礫だらけの廃墟。

外山 それこそ世界の“真の姿“である、と(笑)。

千坂 そういうものを肯定すべきなんだ。保守派はそれにフタをしようとする。


 宿敵同士は互いに一番の理解者?

学生 こないだ札幌で鹿島さん(鹿島拾市。紙版『人民の敵』第2号第10号などの「秋の嵐」関連コンテンツ参照/後註.『全共闘以後』参照)の話を聞いてきたんですが、天皇をどう位置づけるかという争いが今後、保守派と右翼との間に生じるんじゃないか、というようなことも云われてました。

外山 ……さっきから、何度も会ってるはずなんだけど一体誰だったっけ、と思ってたんだけど、K君か(笑)。

学生 え? あ、そうです。先日はお世話になりました。

外山 8月に福岡でやった“学生向け教養強化合宿“の参加者だね(笑)。つい3、4ヶ月前に1週間も一緒に過ごした人の顔もぼくはすぐ忘れちゃうんだよ(笑)。たしか阪大生だ。北海道には鹿島君の話を聞きに?

学生 そもそも実家が北海道なんで、里帰りも兼ねて。

千坂 すごいね、九州に行ったり北海道に行ったり……。そう云えば、ぼくを今年じゅうに札幌に呼びたいと云ってる人がいるんだけど、もう12月になってしまうじゃないか。

学生 あ、Aさんですね。

千坂 そうそう。

客B 実は私、大学で同じクラスでした(笑)。

学生 また妙なつながりが……。実はココに来る前に酒井隆史さんや矢部史郎さんと飲んでたんです。外山さんに、矢部さんからは激励として「死ね」って伝言を預かってて、酒井さんからは「頑張れよ」とのことでした(笑)。

外山 ぼくは、矢部史郎を温かい目で見守ってるつもりですよ。もちろん憎しみはあるし、死ねばいいというか、革命の暁には本気で殺す予定でいるけど、矢部の一番の理解者はぼくだと自負してる。

学生 矢部さんも似たようなこと云ってましたよ(笑)。

外山 しかし最近また矢部は、かつてぼくに対してやったことと同じようなことをしてるみたいでね(と、この話は紙版『人民の敵』第15号で併載の藤村修氏との対談参照/後註.すでに公開済みの「しばき隊“闇のキャンディーズ”事件を語る」のこと)。矢部の転落人生は、ぼくの事件から始まってるとさえ云えるんだ。ぼくの一件が最初の大きな例だと思うけど、その後も運動界隈のいろんなイザコザに介入しては、そのたびに却ってどんどん評判を落としてるでしょ。一時は左翼論壇に地歩を固めそうな勢いだったけど、もはや一部のカルト的な信者以外に支持者はほとんどいないよね。それなのにまた似たようなことを今やってるようで、ほんとに懲りない奴だ。
 ……すいません、K君だと突然気づいて、話題がそれてしまいました。何の話でしたっけ?

千坂 まあ、いいじゃないか。

外山 成り行きに任せますか。

千坂 今日が最終日だし、他にもいろいろ話したい人もいるでしょう。

学生 あ、明日はやらないんですか?

外山 明日が投票日でしょ。原発推進派に対するイヤがらせと違って、“ニセ選挙運動“だと投票日まで何かやるモチベーションも湧かないんだ(投票日に投票所を回って「外山恒一に1票を」と“最後の最後のお願い“をしてもよかったな、とテープ起こししながら思いつく)。ほんとに立候補してるわけでもなし、選挙結果なんかどうでもいいし(笑)。

学生 ツイッターを見てたら、今後は“選挙に行こう!“運動なんかに、もっと徹底的に対決していく、というようなことを書かれてましたけど……?

外山 うん。K君が来る前にもちょっとその話をしてた。“投票割引“とか云って、投票に行くと飲食店で割引サービスがあります、というのをやってる連中の存在を知って、これは民主主義を愚弄するものだ、って民主主義者じゃないのに猛烈にアタマに来てさ(笑)。

千坂 食いモンで釣るという、東浩紀の云う“動物化“状況だね。

外山 “反民主主義“をいったん引っ込めて、“真の民主主義“を要求する立場に後退してでも、こういうのは粉砕しなきゃいかん、と。そもそもぼくだってかつては素朴な民主主義者だったんだしね。少しずつ極左化して、その延長線上でやがて、この醜悪な社会状況は民主主義によって支えられているという認識に達して、ファシズム転向して民主主義を捨てたわけだ。
 もちろん民主主義は必然的に衆愚制に行き着くという認識は今も変わってないんで、退却といっても“仮の退却“でしかないけど、世間の皆さんの理解を得るためにも、ここはひとつ“真の民主派“として“ニセの民主派=衆愚制推進派“と闘うってことを、“反民主主義“の闘争と並行して展開しようと思う。


 外山流ファシズムと千坂流ファシズム

千坂 でもやっぱり引き続き“九州ファシスト党“を名乗るんだろうし、ファシズムと民主主義とは両立するんだ、という理論が必要になる。そこでその先行形態としての“中野正剛と東方会“の存在が重要になってくる、と。東方会は自他ともに認めるファシスト団体だけど、東条体制に民主主義的な抵抗をした。

外山 千坂さんのファシズム解釈とぼくのそれには多少のズレもあると思うんです。ナチズムとファシズムはやっぱりかなり違って、最大の違いは、ナチズムは民主派だったというところだとぼくは考えてる。ムソリーニは反民主主義
 “自由・平等・団結“という、フランス革命で象徴的に掲げられた近代の3大価値があるけど、これを3つとも同時に実現するのはおそらく無理なんですね。どれか1つを放棄すれば、残り2つはそれぞれ相性がいい。“団結“を捨てて“自由・平等“で行くことにすれば、現状の、“資本主義と民主主義“の世界になる。“自由“を捨てて“平等“と“団結“の両立を目指したら、スターリン主義的な共産主義になるし、“平等“を捨てて“自由“と“団結“なら、ムソリーニ的な、アナキズムとも親和性のあるファシズムになる。
 しかしナチズムは、ファシズムの一形態であることをぼくも否定しないけど、本来のファシズムと根本的に違うのが、スターリン主義と一緒で“平等と団結“の組み合わせを選んでると思う。政治イデオロギーとしては、“自由“はもちろん自由主義、“平等“は民主主義ってことになるけど、カール・シュミットも、自由主義を否定して民主主義を徹底したものとしてナチズムを評価したわけですよね。

千坂 外山君の理解はそれでいいと思うし、ぼくの考えととくに齟齬があるとも思わないよ。ただムソリーニのファシズムはあくまでイタリアの事例だ。ここは日本だから、日本の歴史的現実の中に根拠を求めなきゃいけない。そういう視点に立った時に、民主主義とファシズムとを接続するというテーマに深く関係した存在として、中野正剛の東方会を見出すことができる。
 で、中野正剛もべつにイタリア・ファシズムを否定してないでしょ?

外山 そうですね。

千坂 だから外山君がイタリア・ファシズムを基本線として持ち続けること自体はいいんだけど、それをこの日本で現実的な運動として根づかせるためには、先行事例として東方会があるわけだし、東方会の事蹟をアウフヘーベンするという形で、自分たちの現実を作っていく必要があると思うんだ。

ここから先は

5,438字

¥ 260

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?