世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2015.11.21「ファシズムと民主主義」(その2)

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 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 おなじみ(?)日本どころか世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。正確には“対談”ではなく、外山ら「九州ファシスト党〈我々団〉」が“大阪ダブル選挙”に対置した“ニセ選挙運動”最終日の「外山恒一を囲んで飲む会」が、結果的として“対談”のようになっているものだ。
 2015年11月21日に、「トラリー・ナンド」という店だかギャラリーだかイベント・スペースだかでおこなわれ、紙版『人民の敵』第15号に掲載された。

 第2部は原稿用紙24枚分、うち冒頭11枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその11枚分も含む。

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 我々団の“分っかりやすい”民主主義批判?

千坂 今の政治は、とにかく難しいことを云っちゃダメなんだ。

外山 大衆に理解されませんからね。

千坂 分っかりやすいこと云って……。

外山 今日の東野君(東野大地。九州ファシスト党〈我々団〉党員)の街宣はとても分かりやすかったよ(笑)。大衆に選挙のくだらなさを分かりやすく説いてた。
 「百人の村があります。お昼にタイ焼きを食うかタコ焼きを食うか、議論が始まりました。多数決で決めたらどうなりますか?」って。そんなのそもそも投票で決めるような性質の問題じゃないから、民主主義論としてはピントがズレてるんだけど、相手は大衆なんだから分かりやすけりゃそんなことどうでもいいんだ(笑)。
 続きは2パターンあって、最初は「49人のタコ焼き派もタイ焼きを食わされてしまうんです。タコ焼き派のみなさん、そんなの納得できますか?」と云ってたけど、やがて「多数決で決めたらどうなりますか? 『ちょっと待ったー! 我々ラーメン派はどうなる。選択肢すら与えられていないではないか』。それが民主主義です。ラーメン派は、投票所ではなくラーメン屋に行ってください」って(笑)。

客A ツイッターで見ましたけど、それは傑作ですよね。

外山 ちょうど渋滞してノロノロ進んでる時に、横を自転車で2人乗りして並走してたカップルが冒頭からオチまで全部聴いてて、爆笑してたもん。

千坂 “政治“は今後もどんどん分かりやすくなっていくと思うんだ。だけど“思想“は逆に、そういう状況下では問題がいっそう複雑になるし簡単に解明できなくなるから、どんどん難しくなるはずだよ。“政治“と“思想“の分離が起きると思う。実際もう起きてるんじゃない?

外山 そうですね。

千坂 “政治“に関わろうとする人間は、ますます安易に流れていくだろうな。

外山 シールズとか、野間(易通)さんとか、どんどんバカになってるし(笑)。

千坂 そうだね。


 全共闘は政治運動ではなく思想運動

客B だけど、60年代とかでもいいけど、政治的な運動がきちんと成立した時代だってあるでしょ?

千坂 あれは思想運動なんだ。政治運動の場合は、具体的な獲得目標を立てて、具体的に交渉して、具体的に成果を勝ち取らなきゃいけない。しかし例えば東大安田講堂に立てこもって機動隊を迎え撃つっていう、あれは“政治“ではないよね。思想的行動なんだよ。

外山 何かを実現しようとしたわけではないですもんね。

千坂 いわゆる全共闘運動ってのは、あれは全部、思想運動なんだ。政治運動のような姿をしてるけど、よく考えてみたら、何も得てないし、そもそも得ようともしてない。

外山 今の社会には“政治“しかなくて、“思想“が消失してるんで、小熊英二みたいな奴は思想運動である全共闘をまったく理解できないわけでしょ。政治的には何も実現してないじゃないか、くだらん、単なる“自分探し“だろう、って話になってしまう。

千坂 ただ暴力ふるっただけだ、と(笑)。

外山 “政治“しか知らない連中はそういうふうに見てしまうんですね。

千坂 “政治“は具体的な成果を得なければならない。具体的な成果を得るためには、具体的な“現実“に入っていかなければならない。その“現実“の世界は、もはやグローバリズムで、有限なものになってしまってる。
 こういう世界では革命は無理なんだ。革命なんか起こしたら、世界が滅びるだけだよ(笑)。
 昔は無限の大地があって、無限の生命を育んでくれてた。人間がいくらモノを壊しても、大地が甦らせてくれるわけでしょ。それが今では、大地とかの“環境“は“保護“の対象だよ。それを革命で壊してしまったら、人間の住む場所がなくなるだけなんだ。
 だから今は“革命“は排除される。しかし、じゃあ“改良“で世界を変えられるのか?

外山 “変えられるか“というより、さっき千坂さんも云ったような“人間の業“というか、つい“本質“を追い求めてしまったり、千坂さんは“魂の飢え“と云ったかな、人間がどうしようもなく抱えてしまうようなそういう実存的な欲求が満たされるのか、ってことですよね。

千坂 “革命“は今はやっぱり蚊帳の外に置かれてしまってるんだけども、蚊帳の外に置かれてるから無意味なんじゃなくて、その“蚊帳の外“という場所を維持し続けることが大事なんだ。それが“思想家“の役割だと思うよ。一見“現実“に対しては無効で、政治的に何の役にも立たないんだけど……。

外山 地に足の付かない……(笑)。

千坂 そういう“思想家“がいなくなったら、世の中はいよいよダメになる。


 枢軸国側の新左翼運動

客B “革命“は“戦争“とどう違うんですか? “思想“があるかどうかですか?

千坂 今の世界では“革命“も“戦争“も一緒でしょ?

外山 どっちも“犯罪“の範疇ですから。このグローバリズムの世界では、例えばアメリカがやってるようなことは“戦争“ではなく“警察行動“なんです。そのアメリカに抵抗する側がやることは、これも“戦争“でも“革命“でもなく、ただの“犯罪“と見なされる。つまり“革命“とか“戦争“なんてものはもはや存在できない。

千坂 あるいはこうも云える。第二次世界大戦は、枢軸国側にとっては“革命戦争“なんだよ。というのは、戦争が終わった後に裁判をしたでしょ。ニュルンベルグ裁判をやって、東京裁判をやって、負けた側を“犯罪者“にした。
 普通の“戦争“であれば、“犯罪者“なんていないわけよ。単に“敵“と“味方“がいるだけだ。それは“善と悪“の問題とは違う。“敵“と“悪“は違うよね。
 だけど第二次大戦の後に裁判によって枢軸国側を“悪“にしてしまった。そうすると、たとえ現実に何をしたにせよ、枢軸国側は「負けて“犯罪者“にされた“革命家“」のポジションになり得る。連合国側は“警察“だ。

外山 事後的にであれ、そういう構図が成立してしまう。

千坂 枢軸国側が主観的にどう思ってたかどうかとも関係なく、少なくとも無意識的なレベルで“革命家“の素質を持ってしまうんだね。実際、枢軸国側がなぜ戦争をしたのかと云えば、“現存秩序を改変したい“ということでしょ。当時の言葉で云えば“新秩序を形成する“ということだな。

外山 英米中心の世界秩序を打破しようとした。

千坂 そうそう。

外山 でも負けちゃったんで、“英米中心の秩序“は却って世界大化したわけですが……。

千坂 で、面白いのが、新左翼運動の性質も枢軸国側と連合国側とでは全然違うんだ。

外山 60年代末の高揚が抑え込まれて、70年代に入ってからの展開がとくに違ってきます。

千坂 日独伊の極左は、武装闘争路線になる。日本の場合は赤軍派で、軍隊を作って革命戦争を起こす、と。日本に革命政権を樹立して、帝国アメリカと太平洋を挟んで対決するというのが彼らの路線なんだ。これはつまり“石原莞爾“だよね? 石原莞爾の“最終戦争論“をマルクス主義化しただけの話だ。

外山 たとえ赤軍派自身にそういう自覚はなかったとしても……。

千坂 ぼくがさんざんそういうことを云ってたら、塩見(孝也・元赤軍派議長)がどこかで、「そうか、石原莞爾か」と云ってたよ(笑)。

外山 千坂さんに云われるまで、石原莞爾の存在も知らなかったんじゃないですか?(笑)

千坂 彼らは首相官邸襲撃を念頭に大菩薩峠で武闘訓練をやってるところを捕まったわけだけど、あれは赤軍派版の“2・26蜂起“だったんだ、とも書いた。それを読んだぼくの友達が塩見にそのことを云ったら、喜んでたらしい(笑)。

外山 塩見さんは……ほんとにダメな人ですよ(笑)。都知事選の前の年ぐらいかな、雨宮処凛が司会のネットTV番組に塩見さんとぼくがゲストで呼ばれて、初めてちゃんと話してみると、もうほんっとにバカでさ(笑)。
 それでも最初のうちは、ぼくは日本の監獄制度に怒りを覚えてたんだ。塩見さんは獄中20年でしょ。長い劣悪な監獄生活が“赤軍派議長“をここまでダメにしてしまうのか、と。でも昔から塩見さんを知る人たちに云わせれば、もともとああいう人だったらしい(笑)。

千坂 ぼくの友人もそう云ってたよ。塩見は昔からボンクラだった、って(笑)。

客B そんな人がどうして議長になんか祭り上げられたんでしょうか?

外山 単に云うことが過激だったからじゃないかな。当時は各党派が過激さを競い合ってたし……。

千坂 あるいは、ボンクラだったからこそ指導者に祭り上げられたのかもしれないよ。


 全共闘運動の年長派と年少派

千坂 ……“68年“の闘争に参加した連中を、ほんとは4つに分けなきゃいけないんだ。まずノンセクトと党派活動家は違うし、そのどちらにも年長組と年少組がいる。

外山 同じ闘争を経験しても、当時すでに3、4年生、さらには院生、助手だったような人たちと、入学したての1、2年生、まして浪人生・高校生とかだった人たちとでは、その場での意識もその後の総括も、全然違うはずですもんね。
 大学が次々とバリケード封鎖されていくのは68、69年だけど、“冬の時代“と呼ばれた60年代半ばとかから運動をコツコツ担ってそこまで引っ張ってきた世代と、大学に入ってみたらすでにバリ封されてたような世代では、そりゃ違うでしょう。
 どっちかというと年長組の小阪修平(47年生まれ。批評家。元東大ノンセクト。07年死去。外山の都知事選での“高円寺駅前集会“にもその初期に来てくれた)も、回想記(『思想としての全共闘世代』ちくま新書・06年)でそこらへんに注意を促してました。

千坂 とにかく“党派・無党派“、“年長組・年少組“のそれぞれの組み合わせで4パターンある。個人個人の思想の内容なんかとは関係ない、メンタリティのパターン。そのことがこれまで云われてこなかった。なぜ云われてこなかったかと云えば、やっぱり年少派は当時まだ高校生であったり浪人生であったり……。

外山 “学“のない段階。

千坂 まだ勉強してないから、それをうまく思想的な言葉で云い表せないんだけど、“体験“だけ持ってる状態に置かれるわけだ。年少派が自分らの経験を総括も表現もできずにいる間に、年長派が彼らの視点で“68年“の闘争をどんどん語る。それが盛大に世間に流通するもんだから、後の世代の人間は、年長派の“68年“論をとおして“68年“を理解した気になってしまうんだ。そこには年少派の視点は最初から抜け落ちてる。

外山 もちろん年長派は年長派で、彼らなりに誠実に回想してるつもりではあるんでしょうけど……。

尾崎 小熊英二もその年長派の言説に依拠して、あのごっつい本『1968』新曜社・09年。上下巻で計約2千ページ)を書いた。

千坂 年長派はあくまでも理想主義者で、社会主義者なんだよ。年少派はニヒリストなんだ。

外山 “社会主義の理想“とかを年長派と共有してない。

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