炎を前に最後に残るもの
大学時代、もうだいぶ昔のことなのでおぼろげだが、ひどく心が揺さぶられた講義があった。
確か心理学の講義だったと思う。
教授のお名前も思い出せないが、なぜ今日その講義を思い出したかといえば、多分夏だからだ。
その教授のゼミは夏になると合宿としてキャンプに行くらしい。毎年必ずキャンプファイヤーをするのだと講義の中でお話ししていた。
キャンプファイヤーの前にゼミ生は「自分が大切にしているもの10個」を10枚の紙に書いてから参加するらしい。
教授は講義に参加している学生にも「目の前に火はないけれど、少し体験してみますか」と言い、各自ノートに大切なものを10個書き出すようにと言った。
大切なものとは物だけではなく、人でも考えでも趣味でもとにかく思いつくものを書くように言われ、当時の私も思いつくまま10個を書いた。
書き終わる頃、教授は教室の照明を落として言った。
暗くなった教室の前方には教授のパソコンとプロジェクターが光っているだけである。静まり返った中で学生達がペンを走らせる音だけがする。
その時、私は何を10個選んだのだろう。
全ては思い出せないが、親、友達、恋人、とにかく10個書いた大事なものを時間が経つごとに1つずつ燃やして行く。
当時の私は「そんな馬鹿なことを」と思えるほど成熟した学生ではなかったので、教授の声に誘われるまま1つずつ選んで手放し、その度に心が揺れた。たかがノートを斜線で消していくだけのことなのに、最後の2つから1つを選んで燃やしたつもりになる時は、心が痛んで仕方がなかったのを覚えている。
そんな話でその回の講義は締めくくられたように覚えている。
今の私なら何を大切に思い、何を10個書き出し、何から順番に手放して行くのだろう。迷いすぎて間違った選択をするかもしれない。
これを書きながら思い出したことがある。当時の私は10個書き出した「大切なもの」の中に「自分」を入れていなかったのだ。
今の私なら必ず「自分」を入れるだろう。
最後まで残す一番大切なものは、迷いようもなく「我が子達」であることも決まっている。
では、何が2番で何を3番に選ぶのか。何番目に「自分」を捨てるのか。静かな暗闇の中、木々に囲まれ揺らめく炎を前に。
想像したら、恐ろしくなった。
だが、もう私も若くはない。
人に言われるがまま大切なものを火に焚べることはせず、今はあえて答えを曖昧なものにしておこうと思う。