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真夏の関西 葉月ツアー③ 紀伊熊野後編

おはこんばんちわ
とうやんです。

すんごい遠出の記事ばかり書いてますが
7月30日の常陸ツアーから1週2週くらいの間隔で
ここ2か月の冒険報告は費やしてます。
なんてことw

この紀伊半島関西ツアーも
普通に指折りしたら23回も記事を分ける事になります。
なんとか9記事に収めたいものです。

熊野後編にむけて

早起きして
熊野本宮~玉置神社~
天河辨財天社~飛鳥坐神社を目指す!
強行スケジュールでしたが
呑んだらあかん肝臓なのに
呑んで呑んで二日酔い
あう・・・朝食サービスの大盤振る舞いなホテルだったのに
あー・・・
時間もチェックアウトギリギリまで寝込んで
あー・・・
これが旅よ。

2日目はどこまで進めるか不透明だったので
なんと宿泊先を抑えていません。
この大型連休になんと無謀なw
もう飛鳥坐は間に合わない。
天河も!?
いや、それはまずい。
御詣りできなかったら
あの山奥で空いてる宿をひっしこいて探すとか無理
一泊なんぼすんねん 絶対無理や。
これはなんとしても天河の御詣りはマストや!
いまから急ぐぞ!

玲佑倶楽部のお兄さんがB’z&洋楽ファンという事で
影響されて気分はTMG
大きな大きな熊野川を遡っていきます

熊野本宮大社 kumano hongu taisha

実は大社の左手に専用駐車場あったのに
気づかず 右手 川沿いの遠い駐車場へ停めてしまいました。

日本人なら一生に一度は訪れるであろう
東京タワー 清水寺 熊野本宮

嗚呼、字体が恰好良い。

出た、出ましたよ。
左手に祓戸四神と祓戸大神を祀る祓戸社
ここで穢れ(酔い)を祓います。

ここから先はSNS掲載禁止 という事で
割愛させて頂きます。
ご自身でぜひ拝んでください。

大斎原 ohyunohara

【公式から抜粋】
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある
「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、
楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。

江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、
参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、
着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、
神域に訪れたのです。

ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が
本宮大社の社殿を呑み込み、
社殿の多くが流出したため、
水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、
流失した中四社・下四社をまつる
石造の小祠が建てられています。

ここから先は撮影禁止です。
是非御詣りください。



実りの稲穂と鳥居 映えるなぁ
飲み物を買って車を進めます。
食事?何も食べません😤

玉置神社 tamaki jinja

あ! 巻きで先へ行かねばなりませんでした!
いそげ!
更に山へ山へと進みます。
途中川を渡ります。

んー!
熊野川
そこからすれ違うのが困難な山道をずうっと登ります。
ナビに頼らずとも通える地元民ですら
招かれていない人を同行させると辿り着けない謎
そんなふしぎ発見な場所が
熊野大社の奥宮として君臨する
玉置神社です。

確かに。
一度 「!?」迷いました。
が 辿り着けました。

この先を進みます

こちらが拝殿
こちらで御詣りします。

御祭神
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)

そりゃ強いはずだわ・・・

奥へ向かう途中に稲荷社などなどございます。
 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
 天御柱神(あめのみはしらのかみ)
 国御柱神 (くにのみはしらのかみ)

玉石社
ここが来る人を惹きつける場所です。

御祭神
 大巳貴命

すげぇ虫飛んでた。
ここは来る感動を奪うわけにはいかないので
玉置神社については秘匿とさせて頂きます。

ここへ辿り着けたのも
玲佑倶楽部(居酒屋)の皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
旅先の出逢いこそトレジャーではないでしょうか。

さぁとうやんのドラクエはまだまだ続きます。
次回 更なる過酷な山道が迫りくる!
一年振り
熊野高野吉野 三山の中心
天河辨財天社

橿原市に君臨するイタリアンの名店をお送りします。

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