ホームシックという病に加え

海外移住をしている人間にとって、避けて通れない病。
母国恋しき、ホームシック。

家族、友人、礼儀正しい人々、全てが綿密にオーガナイズされ至極便利な生活、美しい四季、清潔な住環境、日本食、日本が恋しくなる理由は数えきれないほどあるはずだ。

そんな私も、10月あたりから、胸の奥にもやもやが溜まってきており、それを分析するとこれまた例外なく、ホームシックという病に徐々に蝕まれているということ。

VISAの関係で向こう一年は帰省できないという事実が、更にこの病を進行させる。

じゃぁ、具体的に、私は一体日本の何が恋しいのか?

家族とは距離を保ちたいため、マレーシア〜日本の距離が物理的にも精神的にも最適。よって、家族シックではない。

日本食も、恋しいのは寿司くらいで、ここKLでは対価を払えばしっかりと質の良い日本食にもありつけるので、これも理由としては弱い。

便利な生活。
大概KLは日本並みに便利な上に、日本みたいな窮屈さは皆無で、みんな南国特有の細かいことに拘らない緩さがあって、生活に関して言えば一切ホームシックは無い。

四季はどうか?
あぁそうだ、絶対的に恋しき四季。
あの、夏の終わりの夕方の、秋の気配を孕んだ澄み渡った空気を肺いっぱいに吸い込みたい。
ひんやりした明け方にふと目を覚まして、ふかふかの布団をかぶりなおしてあさき夢見し眠りに落ちたい。
あとは、お気に入りのジャケットとブーツで、シャンとしたおしゃれをして飲みに行きたいのだ。
常夏国での生活はどこに行くにもビーサンで、おしゃれしてせいぜいヒールのあるサンダルがリミットとなっている。
仕立ての良い粋な皮靴を履いて闊歩したい。大好きなMMのブーツも今頃は実家で黴びてしまっているのだろう、涙。

さて、友人はどうだろうか?
言わずもがな、これが一番の理由であることはわかっている。
日本には、ここマレーシアでは未だ出会えていない、心から気のおける友人たちがいる。
もちろんオンライン上でやり取りはあるわけだが、しかし、しかし、デジタルに乗せたやり取りでは、到底、対面でのコミュニケーションの喜びの半分にも満たない。
そして、オンラインでのやり取りのあとは、いつも嬉しい反面、悲しさがつきまとう。センチメンタルとはこんな心情のことを表わすんだろうな。

文字じゃなくて、声だけじゃなくて、数秒のタイムラグがある映像じゃなくて、直接会って"バイブス"のある次元で話したい。あぁ、会いたいな、日本でのあの日々が懐かしい。
そんなわけである。

一緒にいて、自分が自分らしくいられる人がたくさんいるのは、この人生でこつこつ形成してきた、資産価値を凌駕する財産であることは間違いない。

ビリオネア級の財産を持っているのに、その財産は私の手元からは5千キロ以上は優にある。

あぁ、恋しいなぁわたくしの美しい母国、ニッポン。
考えないようにすればするほど、深まるのはホームシックである。


でも。なんなら日本だけじゃない、世界中に再会を熱望する友人たちがいる。ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国、未訪のアフリカ、中東、南米、オセアニア、あげればキリのない、散らばった宝石たち。

いつか、再会できる日は来るだろうか?

こんなふうに、人生は歳を取れば取るほどに、切なさの層が増しまして、その分深層ある人間に熟成されるのだろうか?

なんでも病名が与えられる昨今、この症状にもしかと名前を与えて治療の一貫として人を訪ねる旅に出たい。

ホームシックとフレンズシックのダブルコンボで、落ち込んだ日々に私を癒やすのは、これまたFRIENDSであるが、マシュー・ペリーが急遽した今、あのドラマさえ私の心を切なくさせるのである。

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