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■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(4/6)

■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(4/6)

(冒頭のイメージ画像 は、https://www.pinterest.jp/marekassti/wallpaper-japan/ より転載)

<注>当記事は「ブログ(↓20210110-toxandoria.hatenablog)」の内容を6パーツに分けたものの(1/6)ということです。お数ですが、当記事の画像は、下のURLでご覧下さい。 https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440 (前編)
https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801 (後編)

[当記事の目的]

Fiduciary (Fiduciary Duty)が「オミクス生命論の『自由の知』」へと、ある意味で必然的に深化しつつある欧米の流れ(歴史・現況・展望)の概観が、当記事の主な目的である。 特にフィデュ―シャリー(Fiduciary)に関連する部分については、随時、記事の中で詳述する。なお、「オミクス生命論の『自由の知』」(宇沢弘文の『社会的共通資本と不均衡動学』)については[6-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本』の共鳴]で詳述する。

<注>Fiduciary Duty とは?(ひとまずの意味)

・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。 https://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

・・・ここから(4/6)のはじまり・・・

4 「第一~第三の経済学の危機」について

4-1 第一~第三の経済学の危機の概要

(歴史的な❝経済学の危機❞の繰り返しが示唆する現行『資本主義』の限界)
具体的に言えば、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903-1983/ケインズ・サーカス(ケインズが一般理論の準備段階で、それを統率した5人の学者集団)の一員であるが、特にケインズ理論の動学化を率先研究した非常に先験的な英国の学者)の用語である「第一の経済学の危機」は1930年代にそのピークが現れた「大恐慌」前後の時期に起こった新古典派経済理論の機能不全(正確に言えば、静態均衡に偏重し動学均衡に殆ど無知同然であった新古典派経済学に因るリアル資本主義経済の機能不全)のことを指す。

周知のとおりその第一の経済学の理論はアダム・スミス以来の古典的な自由市場の経済論(特に、それは❝すべての財とサービス❞について殆んど静学的な均衡しか想定できなかった新古典派経済理論の当然の帰結!)であり、この「第一の経済学の危機」を救済する処方箋となったのが「ケインズ革命」(静学的均衡を超えたリアルで流動的な視座の導入、つまり本格的な動学"経済学"への契機となる理論)であった。

「動学と静学」は経済理論の手法についての二分法であるが、これによって純粋理論のうえでの革命的な経済学体系を最初に樹立したのはシュンペーター(Joseph Alois Schumpeter/1883 - 1950)の「静態と動態」(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449)である。また、より現実的な分析のための二分法を提起したのはポスト・ケインジアンの一人ハロッド(Roy Forbes Harrod/1900 - 1978)である。彼は、「経済成長率が一定の均衡経済を分析する手法を静学」、「成長率が変動する経済を分析する手法を動学」と定義した。

(現在もブレーク・スルーのヒントを与える、シュンペーターの『静態』と『動態』)

・・・シュンペーターの静態と動態の関係についての、その相互補完的な循環構造という理解の仕方は、後述する<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』と一体と見るべき経済理論/∵AとBは、前者A=動学、後者Bとして、相互補完的な関係にあると見える!から>であり、この両者は現代のグローバル世界で一強覇権的に跋扈する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?(資本主義経済理論の新たな希望の方向では?)と考えられる!

・・・つまり、プロンフェンブレンナーのクロノシステム(Cf.第1章-(7))ではないがシュンペーターの静態と動態の相互補完関係に対し、更にヒューマンスケールの生態学的システム論(オミクス生命論へ接近?)の視点を付加することで、新たな価値創造の可能性として潜性イノヴェーションの要素も取り込んだ全く新しい資本主義の方向が考えられるのではないか?と思われるからだ。・・・

(1)『静態』

シュンペーターの『静態』の意義は先ず「静学」理論で決まる全ての経済数量を『日常』の時間の流れからいったん切り離し(より正確に言えば、仮に切り離し)、それが年々、歳々に同じく繰り返され続けるという意味での「静態」を構想(思考実験)したことにある。だから、ヒトを含む生命個体または各企業等に関わるミクロなリアル時間は仮に捨象されている。そして、その「静態」を破壊(革新)し、リアル時間での「動態」を始動するのが、企業家のイノヴェーション(革新、新結合)の遂行である。

このことについて、根井雅弘は「シュンペーターが描いた「動態」イノヴェーションでの英雄的な企業家像に心酔し舞い上がる経済人は多いのだが、「動態」の前に、先ず「静態」の基礎がなければ、そもそも「動態」での「発展理論」を体系的に指示することができないから、その基礎には、シュンペーターがオーストリアン(農業経済論的な)から学んだ理論の一部が使われていることに注目したい。」と述べている(@根井雅弘『資本主義はいかに衰退するか』- NHKブックス-)。

だから、モデル概念(思考実験)とはいっても「静態」(恰も、ワンショット日常の言い換えとも見える)が全くの抽象概念であると理解するのは間違いだと思われる。老婆心で付け加えればハイエク、ミルトン・フリードマンらの市場原理主義は此の点を決定的に誤解していると考えられる。

更に言えば、いわゆる<市場原理主義>は、「現実=リアルな日常("原因の空間"と"理由の空間"のミックス」(フッサール用語で言えばノエシス意識/考える作用そのもので、考える対象となるそれを意識しているか、あるいは意識していないかの別は問わない)と「抽象論理="原因の空間"(同じく言えばノエマ意識/考える作用の対象となる概念)」を混同していることになるだろう(関連参照↓★)。だから<市場原理主義>とは、我われのリアルの日常を凝視しているのではなく、喩えれば「夢を見ているように空しい理論」と言えるのではないか?だから、いくら大格差が顕在化して、それが助長するバカリでも平然としている訳である。

D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」(非法則的一元論) → 第5章‐2‐(ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論を支持する背景)

・・・

それは、例えば医学における「人体解剖の意義」を考えれば良く分かるのではないだろうか。というか、そもそも資本主義の理論が成立するよりも遥か前から、資本主義的な経済活動は、れっきとした生命体であるヒトの「衣食住」等の歴史と共に存在してきたわけだからでもある。

例えば、死体となった解剖の対象は紛れもなく「静態」(死体の一部分)であるが、だからといってそれが単なる思考実験の抽象概念ではない。それどころか、確固として、その死の直前まで生命個体の一部であったものであり、その多角的(ミクロ・マクロの)な検証から、その死体(静態化した個体)の生前における生命活動の有り様がリアルに検証できる。

しかも、それに止まらず、場合によっては、その静態から今後のヒトの生命活動一般に関わる新たな発見や新たな知見(可能性、新たな知見のヒント)までもが得られるはずだ。

シュンペーターの「動態」における「最終需要財」と、「静態」(≒『日常』)における「生産」には深い関りがある。この様に入れ子的に“ミクロ⇔マクロ”で循環する考え方は、シュンペーターに限らず例えばミーゼスの均等循環経済など、メンガー以降のオーストリアンが特徴とする迂回生産論(ヒト・道具・機械らの生産手段を媒介させた消費財の生産波及効果を強調する立場)に加えて、彼らが共有する❝ある種の生命論的な空気❞の基調となっている。

つまり、『日常』の片側で(生命個体内の『日常』ではミクロな生命活動に支えられることによって)人々は生産財ストック(需要側から見れば消費財)の生産活動に携わっているというリアルな現実を見据えているからこそ、シュンペーターの「静態」モデルには重要な思考実験の意義があることになる。

すなわち、シュンペーターの静態と動態の関係についての、この循環構造という理解の仕方は、資本主義(生産・市場経済)の出発点であるシュンペーターの「静態」が、只の「抽象的・観念的」なものではなく生身の人間(個々の生命体)が生活する「日常」を第一義的に重視しつつ想定したものであると理解すべきであろう。

それ故、「静態」における生産要素は「労働」(生命個体であるヒト)と「土地」(エトノス自然環境)の所有(分有)者である「労働者」と「地主」しか存在しないとされ(18世紀ケネーの重農主義に近い考え方)、企業家(経営者)、資本家(金融業)、投資家(投資)は「動態」において初めて現れることになる。

だから、モデル概念ではあってもシュンペーターの「静態」(ワンショット日常の言い換えとも見える)が全くの抽象概念であると理解するのは間違いであることになる。

例えば、人間を含む個々の生命(その定義については、ひとまずマクロ・ミクロの別を問わぬ夫々が接触する諸環境との間の関係性としておく)では、動・植物の別を問わず「エネルギー通貨であるATP(アデノシン酸三燐酸)」(委細/下記★参照)を介した、生命活動(個体の成長を持続させるための新陳代謝/metabolism)が活発に行われており、同時にそこには外部経済(当事者以外に±の影響がおよぶエコロジー、エントロピーなど)の問題が必ず併存する。

★細胞内におけるオルガネラ(organelle/ミトコンドリアら微小器官)のATPに関わる機能分担“再配置”の如く動物と植物ではATP(アデノシン酸三燐酸/IUPAC命名法ではアデノシン5-三リン酸)の役割分担は異なる。・・・しかし、必ず個々の生命体の内部での『エネルギー通貨』(生命活動のためのエネルゲイア)の役目は共通しており、先ず、そのATPがひたすらリアル(日常の生命活動)を維持する仕事に専念しているように見える。

(参考)個体生命(真核生物)内における「エネルギー通貨(ATP)」の基本的な働き https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

1 ATP(高エネルギーリン酸結合/酸無水物による酸無水結合)には2つの高エネルギーリン酸結合があるが、生体内のエネルギーとしては末端の1つが主に利用されている。ATPはATPaseという酵素で加水分解されADP(アデノシン二リン酸)とリン酸になり、この時にATP1モル(グラム分子)当り7.3kcalの高エネルギーが放出される。 http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm 

2 ATPに蓄えられたエネルギーが放出され、生物の緒活動、例えば蛋白質等の合成、輸送、運動、発光、発電、発熱、発音などに利用される。一度ATPがADPとリン酸に分解・消費されると直ちに呼吸代謝系(光合成、呼吸・食物/+酵素(触媒))からエネルギー供給を受け、逆反応でATPが生成される。そのためATPは生体内での通貨に喩えられ、余分が生ずるとクレアチンリン酸などで貯金される。但し、この貯金(エネルギー物質)の割合は非常に小さいので、絶えず食糧(酸素、糖質、脂肪など)の形で外部からエネルギー源が供給される。http://y-arisa.sakura.ne.jp/link/yamadaka/animal-cell/gene/ATP-1.htm

3 ATP合成酵素については未知の領域が多く、無論、ATPアーゼ(アデノシン三リン酸分解酵素)」を人工的に作ることはできないが、特に複雑極まりないF型ATPアーゼ(分子量50万以上)はほぼ全生物に共通してATP合成に用いられる普遍的な酵素であることが知られており、そこには進化の痕跡が垣間見られない。https://numon.pdbj.org/mom/72

・・・

因みに、ケネー(Francois Quesnay/1694 -1774)に始まる「重農主義」(通商・交易(市場経済)の利潤ストックを重視する重商主義の対語)は、日本語で無理に「重農主義」と訳さず、そもそもの用語である「physeos kratesis(physiocracy/ギリシア語由来で、自然の秩序により統治する経済の意味)」で表記した方が、より正しくその意味が理解できる(できた!)のではないか?それを現代的に表現すれば「エトノス自然環境を重視する経済学」(内外の“潜性イノヴェーション”の世界をも視野に入れた経済学)ということに他ならないからだ。

(2)『動態』

『動態』についても簡単に要点を纏めておく。ケインズと同じくシュンペーターも、資本主義の本質を追求する目的で、絶えず「社会主義計算論争」(↓▼)を参照しつつ『静態』と『動態』の両側面への目配りをしていたと思われる。

▼社会主義計算論争とは?https://cruel.org/econthought/essays/paretian/socialcalc.html

シュンペーターは、先ず<誰よりも素早く新しい可能性を優れた眼で発見した者が「企業家」となり資金的な援助を「銀行家」から受けながらイノヴェーション(新結合)を実現することで「静態」の世界がは破壊され、そこで「動態」の世界が出現する>と述べる。また、<そもそも『静態』には企業家がいなかったのだが、イノヴェーションのまさにその瞬間に銀行家とともに企業家がリアル経済である『動態』のステージに出現し、その役割を終えればステージから企業家は消える>とも説明している。

つまり、シュンペーターの「企業家」を何時までも存在する<経済主体>と理解するのは誤りで、その「企業家」は機能面から理解すべきだということになる。そして、更に一歩踏み込んで考えると、実は、その「動態」の舞台における<経済主体>は、『日常』で生活する多くの人々、つまりそこで圧倒的な多数派である、ごく平凡な一般の人々(市場における持続的な経済活動を支持しつつ保証する、ある意味で"一定"に保全された固定的な多数派の日常生活の存在)こそが「動態」の<経済主体>なのだということになる。

4-2 ジョーン・ロビンソンが指摘した第二~第三の経済学の危機

(1)ジョーン・ロビンソンの先見性

宇沢弘文によれば「ベトナム戦争の時にほぼ重なる1960年代から1970年代にかけて「第二の経済学の危機」が世界を襲った」と、非常に先験的な経済学者であったジョーン・ロビンソンは説いた(@宇沢弘文『経済学の考え方』‐岩波新書‐)。

つまり、第一の危機から約40年を経た世界の資本主義経済は、再び、不安定と極度の不均衡による大混乱に襲われた。この時、第一の危機に対し有意であったケインズ主義(本格的な動学均衡の理論への序章)は殆ど有効性が失われたと見なされ、このようなベトナム戦争の大きなマイナスの余波を受ける最中に、ケインズ主義に変わり1970年代から本格的に台頭したのが新自由主義に由来する「市場原理主義」(錯誤の!あるいは、"ひたすら夢を見続ける"が如き<エセ動学均衡理論>とでも見るべき代物!)である。

そして、1980年代以降から現在に至る約40年間は新自由主義(非生命論的な超抽象論理に支配された市場原理主義)が資本主義のリーダーとして我が世の春を謳い続けてきたかに見えるが、その深層(実は、只の夢想ならずオミクス生命論理で持続するリアル経済社会、市民経済の『日常』)では「深刻な大格差」(極度な不均衡の現われ)が益々拡大しており、愈々、本格的なAI‐Web時代の到来が喧伝される昨今では、漸くのこと!新自由主義(市場原理主義)そのものの有効性を根本から疑わざるを得ない事態、つまり今や我われ人類が、「グローバル市場原理主義に呑み込まれた「AI機械高度生産性Vsヒト(ヒューマンパワー)生産性」がもたらす<本源的(根本的)ないしは本態的(原因不明)とも見える大格差>を更に過激に助長するという異常な状況に追い込まれている。

まさに、これは資本主義の経済成長理論(economic growth theory/持続的な経済成長の要因に関わる分析と説明を試みるマクロ経済学の一分野)の根幹に関わる、実に深刻な「第三の経済学の危機」の時代である。それは、いわば肝心のオミクス生命論に見合う真の不均衡動学が無視され続けている時代とでも言うべきであろう。しかも、そのタイミングで2021年の世界経済は新型コロナウイルスという「ブラックエレファント(黒い象)」襲われ深く傷ついている。

(2)[シュンペーター、『静態』と『動態』]の再発見による資本主義の新たな可能性

シュンペーターの静態と動態の関係についての、その「相互補完的な循環構造」という理解の仕方は、後述する[宇沢弘文A『不均衡動学』、B『社会的共通資本論』]とも通底すると見るべき重要な経済理論である。

それは、仮にAとBについて「前者A=動学、後者B=静学」と見立てるとすれば、この両者は明らかに相互補完的な関係にあると見えるからだ。言い換えれば、この両者は、現代のグローバル世界で、事実上、今や我が世の春とばかり、恐ろしく専横かつ傲慢な態度で君臨する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論体系として再認識すべきではないか?と思われるからである。

つまり、既に述べたプロンフェンブレンナーのクロノシステム(Cf.第1章-(7))で見たとおりシュンペーターの静態と動態の相互補完的な関係に対し「リアル・ヒューマンスケールの生態学的システム論」の視点を付加することで、更にその上に新たな価値創造の可能性として殆ど計測不能な「潜性イノヴェーション」の要素も取り込むことで、従来の発想とは全く異なる、例えば<オミクス生命論的な新しい資本主義の方向性>が考えられるのではないか?ということになる。・・・

・・・その具体的な内容は、以下の[第6章-「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見]そして[ネオ資本主義、真のフィデューシャリー(fiduciary)の時代]へ続く・・・

【参考】『コロナと資本主義 再生への道:「黒い象」 向き合う株主/感染症や気候変動 リスク直視20201130日経』より部分転載https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66775510Y0A121C2MM8000%E3%80%80

・・・株主第一主義への自省となれば本物だが!(toxandoria) ・・・

コロナと資本主義 再生への道(1)「黒い象」向き合う株主: 日本経済新聞 日本経済新聞の電子版。日経や日経BPの提供する経済、企業、国際、政治、マーケット、情報・通信、社会など各分野のニュース。ビ www.nikkei.com
・・・新型コロナウイルスの感染拡大で世界は深く傷ついた。死者数は140万人を超え(20201201現在)、経済は大恐慌以来で最悪の状態に陥った。感染症対策の貧弱さも露呈した。そうしたなかでも苦難を乗り越えようとする動きが始まっている。資本主義を強く、しなやかに進化させることが再生への力となる。・・・<注>世界の死者数は、(20210106午後8時時点)で186.9万人に達している!https://www.afpbb.com/articles/-/3322610

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因みに、黒い象(ブラック・エレファント)は、いつか起きるのが明白であるにもかかわらず、見逃しようがないほど大きな、しかし放置されてきたリスク問題を指すが、そもそもは米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンが著書『遅刻してくれて、ありがとう/日経出版』の中で地球温暖化などに関わる用語として造語したもので、それは想定外の危機を意味するブラック・スワン(黒い白鳥)から連想された(きょうのことば20201130日経  https://www.nikkei.com/article/DGXKZO66789230Q0A131C2NN1000)。

[所見/toxandoria]

敢えて関連性を持たせて併記した此の二つの日経記事(↑)は、新型コロナウイルスの感染拡大が、期せずして<非常に深刻な「第三の経済学の危機」の時代>をクローズアップさせたことを的確に捉えていると思われる。しかし、そこには<だからこそ、決して。今こそ見逃すべきでない!>と思われる重要な問題意識が二つ欠落している。

それは、(1)「市場原理主義(株主資本主義)の有意性の限界」と(2)「エトノス環境論(又はオミクス生命(環境)論)」という二つの新しい観点(切り口)である。これらの問題意識の委細は後述することになるので、ここでは箇条書(イ)~(ニ)での整理に止めておく。なお(1)「株主第一主義の限界」については、宇沢弘文が「経済動学の理論」で先験的にかつ詳しく触れている(『宇沢弘文著作集Ⅴ-経済動学の理論』-岩波書店-)。

-市場原理主義(株主資本主義、株主第一主義)の限界-

(イ)【株主資本主義の問題1/❝株主資本主義の有意性の限界❞】株主至上主義からステークホルダー資本主義へ見直しの機運高まる・・・[参考資料]質的変化を迫られる資本主義̶ステークホルダー資本主義への転換は進むか̶:三井物産戦略研究所、https://www.mitsui.com/mgssi/ja/report/detail/__icsFiles/afieldfile/2020/04/14/2004d_shimada.pdf

(ロ)●バイデンで株主第一が変わる鴨!株主第一・市場原理主義の見直しと女性重視の根源は、おそらく❝草創期❞米国史における自由を巡る民主・共和系両派の苛烈な葛藤への学びがある点も押さえるべき!「正統歴史観」を毛嫌う穴クロ❝君側の奸❞菅政権は他山の石とせよ! https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

<注>およそ❝草創期❞米国史の後半に当たる西部開拓・南北戦争ごろのアメリカは「制度学派(宇沢弘文が重視するS.ヴェブレンら厚生経済学)Vs限界学派(ジョン・ベイツ・クラークら新古典派経済学)」による経済論争の時代でもあった(Cf. https://www.princeton.edu/~tleonard/papers/Clark.pdf ほか)

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https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

(ハ)【株主資本主義の問題2/=新自由主義(市場原理主義)が敢えて(?)無視し、または見落としてきた】等閑視されてきた「計測不能な潜性イノヴェーション」の問題!・・・[参考資料/再録]新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

-エトノス環境論(又はオミクス環境論)-

(ニ)●「ブラック・エレファント(黒い象)とブラック・スワン(黒い白鳥)を対比する観点」の重要性・・・前者は主に「自然エトノス(オミクス生命(環境)論1)」、後者は主に「文化エトノス(オミクス環境(生命)論2)」と関係が深いと考えられる!

・・・

[参考]「市場原理主義の❝限界❞」から「水素エネルギー万能論なるモノポリー・リスク(結局、運次第となり得る独占の陥穽)を連想する(想像力を働かせる)ことの勧め

・・・【水素の色の問題】それは自然環境の多様性とエネルギー多様性(エトノス・オミクス、および潜性イノヴェーション)、水素の安全性確保(ブラック・エレファント)などの問題・・・[参考資料]↓★・・・

★2050年 水素の「色」とは? 1129朝日社説・余滴https://www.asahi.com/articles/DA3S14712972.html

★【水素の色】ドイツ政府は生成方法により水素を以下の4つの「色」に分類し、区別している。グリーン水素で世界の水素利用牽引役を目指すドイツ | 地域・分析レポート - 海外ビジネス情報 - ジェトロhttps://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/e8e7735fb91b5047.html

★ターコイズブルー (トルコ石のブルー):明るい青緑職- Bing https://www.bing.com/search?q=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b3%e3%82%a4%e3%82%ba%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc&qs=AS&pq=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b3%e3%82%a4%e3%82%ba&sk=HS1&sc=8-5&cvid=BB69CA2DF2A7418FBE2DD9CA2BCE6B83&FORM=QBRE&sp=2

★一方、「酒は百薬の長」の喩えもあるので脱炭素の主役たる水素に4種類の色分類があることにも似て、要はたしなみのプロセスに多様性を持たせるという、一種の心のゆとりをも意識すべきではないか?そして興味深いことに此のような着想は脱「市場原理(主義)」にも応用が可能では?https://twitter.com/tadanoossan2/status/1333040729396920321

★水素エネルギーとは?メリットや課題、将来性、企業の事例を解説! https://taiyoko-ch.com/knowledge/hydrogen-energy.html

★~特集~ 水素社会は本当に実現するのか?https://www.smfg.co.jp/responsibility/report/topics/detail108.html

★水素社会を意識するのであれば、グリーン水素の生成↓♨にこそ傾斜すべき! それは、例えば「天然ガス由来のアンモニア燃料❝加工❞の過程ではCO2が発生するうえ、その再利用CO2残を油田地下へ注入する(原油増産が目的)のでは、同時に❝減速&加速❞するという只の逆噴射となるから! →エネ企業、脱炭素の条件/水素社会担う決意を1129日経 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1333620626104279040

・・・ここで(4/6)はおわり・・・
(3/6)はコチラ↓にあります。https://note.com/toxandoria2/n/n817dde72962e



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