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冲方塾 創作講座4 質疑応答①

さて、ご質問はありますか?

Q:自由課題について。純粋に書き写すだけでもいいってことでしょうか? それとも一文ごとに意識し、感銘をうけたことを明らかにするにはどうしたらいいでしょうか? 何かそこに書き込むとか、先生にうったえるとか……

A:自分の中で明らかにすれば大丈夫です。大前提として感銘を受けた文章を選んで下さい。ご自分が具体的にどの文章に感銘を受けたのか、一文一文追いかけていって、あ、ここだなとか、これは別に共感してなかったなとか、いま読み返すと一番ここがおもしろいなとか、感じ続けてください。長く、だらだらとずっと書いていると、機械的に書き写してしまうので、そういうときは一回休むとか、書き方を変えるとかしましょう。縦書きの本を横書きにするとか、ちょっとした変化があると人間は意識を保とうとします。もしくは半分は手書きで、半分はキーボードで打ち込んでみて、最後のところは朗読しながら書いたりとか。
 ちなみに、朗読も大変効果的です。口に出しながら書くことで、手、目、頭、口、耳、すべてで文章を吸収することができます。

Q:持ってくると花まるいただけるとのことですが、日記帳とかノート的なものでも……

A:なんでもいいです。大学ノートでも画像でもメモ帳でも、証拠を見せたら花丸を書きます。これは他人に認めてもらう、という儀式です。この程度の単純な儀式でも、人間は意外にやる気になります。

Q:文法のところです。御前がおまえになったというのが、主語があって、お前は御前という意味もあって、お前という二人称の意味合いもあると。それをどちらかの意味合いに固定するには後ろの文章を設定しなければならないということでしょうか?

A:たとえば、「御前申すに~」という文章が、「いまあなたの前にいる私が言うのは」という意味か、「お前がそう言っている」という意味かは、前後の文脈がないとわからないということです。

Q:自由課題について、もっとも感銘を受けた作品が先生の作品だった場合は……

A:買ってくれた本なら嬉しいですね(笑)花丸を多めにつけます。冗談です。特に限定しません。誰の本であろうと、何語だろうと構いません。英語でも日本語でも、大丈夫です。脚本でも詩歌でもいいです。もちろん僕の本でもいいです(笑)。

Q:先生の場合は、筆写はどんなふうにされたんでしょうか? 丁寧に書いたとか、ばっと書いたとか、ノートでしょうか?

A:僕のは場合、大学時代ということもあり、キャンパスノートかルーズリーフが多かったですね。ルーズリーフにばーっと書いて、特に気になったというか、自分ならこういう風に書くと気持ちいいんじゃないか、と思った箇所は、別のルーズリーフに修正したものを書いて見比べたりしました。書き終わったものはどんどん溜めていって、あとでまた読み直しながら赤線を引いたり書き直したりしました。

Q:課題についての質問からは外れますが、さきほど冲方先生はキルケゴールの本を書き写したと仰っていましたが、今のご自分の文章、たとえばヴェロシティとスクランブルの文体ってけっこう違うと思うんですが、そういう文体をかき分けているなかでも、自分の根源になっている文体はどの作品から、どの作者のものとかお持ちでしょうか?

A:これは年齢によってどんどん変わります。自分の実力がわかると、それまでに読んだものの価値が変わります。これは人間が美を感じるとき、あるいは感動を感じるときの一番のポイントで、人間は感動した瞬間、違う人間になるため、結果的に、それまでの感動を味わえなくなるんですね。自分をリプログラミングし続けるようなものです。ある美的なもの、ある美しいものに感銘を受けた瞬間、その美しさを吸収した自分になるんです。すると、改めてその美しさと向き合ったとき、その美しさも変わるわけです。これがおもしろくて難しいところですね。それをご自身の中で常に見極め続けてください。僕自身も、毎日毎日それは変わっています。

Q:課題文で、書いたけど講評してほしくないとか、後ろの一文に書き足してもいいでしょうか?

A:講評してほしくないのに送ってくるっていうのがおもしろいといいますか(笑)、送るという行為に何か意味があってそれを目標にして頑張るけれども、人前に立ちたくないという、まぁ複雑な日本人の心もあると思いますので、そういう場合は末尾に「講評しないでください」と書いてください。

Q:自由課題について。主題と主語を意識しながら、おそらく自分でわかりきらない、前後の文を考えながら、それを何頁にもわたって書くとして、たとえばそのとき主語がわからなかったら「?」と書いておいて戻ってきたりとか、どういうふうに冲方さんみたいに、一文一文で完結させて終わったのか。書きながら最後にもどって拾ってやっていったのか。

A:何度も繰り返し戻って同じ場所を書いてもいいですし、特にわからないところは全部改行して書いてみるとおもしろいと思います。文章を途中であっても改行してしまう。一文一文、並列しながら書いてみると、なんでこの文章の次にこれがあって、この次にこれがあるのか、というのが見えてくる。そういうのが見えますと、これは自分の感性ではいらないなとか、この言葉の順番を逆にしたほうが自分は意味がわかりやすいな、といったことも見えてくると思います。

Q:感銘を受けたと思って読んでいたらいらないと思ったりとか、実は主語をひろったら全然勘違いしてたということも楽しみながら……?

A:もちろんです。発見がないと人間飽きてやらなくなりますので、ぜひたくさんの発見をしていただきたいと思います。

Q:自由課題の筆写で、特に感銘を受けた、主題がこうとか、明文化する必要は?

A:ないと思います。全部の文章を主語、主語、主語~とかやる必要ないと思います。

Q:自分が忘れないように書いておきたいというのはありですか?

A:すごいですね! もちろんです。大変かと思いますが、がんばってください。

Q:出版、翻訳について。外国の書籍は翻訳しやすいというお話があったと思うんですが、逆に日本の小説とかは外国でどう翻訳されているのか気になりました。

A:日本のアニメ、漫画が一時期とても注目されたにもかかわらず、壁にぶつかった原因の一つは、日本語が訳しにくかったためといわれています。たとえば「せんぱーい!」といった言葉を、どう英訳したらいいか? 英語には該当する単語がありません。
最終的な答えは、日本語の輸出です。「SENPAI」で理解してもらう。「SENSEI」「ONICHAN」で通す(笑)。いや本当に。それくらい日本語は翻訳が難しい。
一人称二人称三人称が本当に複雑で、しばしば主語を省くこともわかってもらって、やっと日本語が輸出できます。だから、外国の人たちが変な日本語の使い方をしても、めくじらを立てないことがとても重要です。
 余談ですが、アリアナ・グランデさんの七輪事件とか知ってます? アリアナ・グランデさんは日本語が大好きで、ご自分の歌の『7RINGS』にちなんで、自分の手のひらに七輪という漢字を入れた。そうしたら、それは調理器具のことだと主張する人々がいて、やたらと炎上した。で、結果的にアリアナ・グランデさんは日本語が大嫌いになってしまった。日本語の、ひいては日本コンテンツの輸出という点では馬鹿げた損失です。
七輪だって間違ってないんですよ。我々、五輪って言ってますよね。四輪、三輪、二輪、一輪と言ってるのに、七輪だけだめというルールはない。そもそも七輪という言葉のほうが誤用で、七厘という中に入れる炭の量が語源だ、なんて説もあります。
質問への回答に戻りますが、日本語は世界でも珍しいほど他の言語に翻訳するのが難しく、そのせいで輸出力が低い。その弱点を補うには、世界の人々に、自由に日本語を使ってもらうしかありません。
そもそも輸出されるものの品質が、どこまでいっても一定であるというのも日本的な考え方です。たとえば紅茶もシャンパンも、長い船旅の途中で品質が変化したことで、たまたま生まれました。
日本人は、海外のものを自分たちの勝手な解釈で好きなように変質させます。もう変なカタカナ語だらけじゃないですか。でも日本語が同様に扱われるのを、ものすごく嫌がる。
こういうところも、内向的なんですね。
英語は変質を繰り返しながら、世界中に広がりました。日本語も、ぜひそうなってほしいものです。


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