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冲方塾 創作講座11 講評③Q&Aで視点をはっきりさせよう

 さて、みなさま本日もよろしくお願いします。
 先に第四回のテーマを申し上げますと「定義する」、言葉で意味を説明する。
 言葉以外だと、信号の色とか標識とかいったシンボルによる方法もあります。そうではなく、言葉によって関係性や意味を説明する、ということを最終的な講義の内容にしたいと思っております。
 その前に復習として、視点の変化を日本語と英語で見比べてみましょう。

視点の変化 例① 『ハリー・ポッターと賢者の石』より

わしやペチュニアがかかわり合いになることなどあり得ない――そう思うと少しホッとして、ダーズリー氏は欠伸をして寝返りを打った。 (書き手がダーズリー氏になって心情を説明するため意訳している)
 ――わしら(主語入れ替え)にかぎって、絶対にかかわり合うことはない……。
 ――何という見当違い――(主語省略)

He couldn’t see how he and Petunia could get mixed up in anything that might be going on. He yawned and turned over. It couldn’t affect them…
How very wrong he was.


 大ヒットというのもおこがましい、一時期聖書より売れたんじゃないかと言われるほどの作品ですが、この日本語版と英語版を読み比べましょう。冒頭でダーズリーさんがハリーポッターにかかわりあいたくないな、イヤだなと言ってるところなんですけれど。

 わしやペチュニアがかかわり合いになることなどあり得ない。
 He couldn’t see how he and Petunia could get mixed up in anything that might be going on.

 mix upというのは、これまでちゃんとセパレートされて生活していた人たちとミックスされちゃうということ。きわめて否定的な意味での「関わり合い」です。あいつらと混ざりたくない。自分たちがポッター家みたいなあやしい連中と混ざり合うわけないじゃないかと言っている。で、次です。

 そう思うと少しホッとして、ダーズリー氏は欠伸をして寝返りを打った。
 He yawned and turned over.

 あくびをした。寝返りを打った。ここ、「そう思うと少しホッとして」って、これ原文にないんですね
 英語では、この前段にダーズリー氏が寝られなくてうーんとうなっているところがあるんですけれども、あいつらと関わり合いにはならないさ、と思った途端あくびが出て、ごろんと寝返りを打った。
 安心したんだろう、ということが、行動から推測されるわけですが、日本語版では、「そう思うと少しホッとして」という説明を加えているわけです。それまで作者が視点を担っていたわけですが、こうなるとダーズリー氏が作者に等しい。こういう視点の行き来をするのが日本語です。

――わしら(主語入れ替え)にかぎって、絶対にかかわり合うことはない……。
――何という見当違い――(主語省略)
It couldn’t affect them…
How very wrong he was.

 で、「わしら」とまた主語が変化します。原文はitです。状況を主語化している。
 It couldn’t affect them…ダーズリー氏の理解としては、ハリーに関するもろもろを含めたitは、affect(影響を及ぼすこと)ができない、となる。
 これが日本語になると、「わしらにかぎって、絶対にかかわり合うことはない……」、突然関わり合うのがわしらのほうになっちゃってるんですね。
ここまでは状況が自分たちのもとにやってくる前提でしたが、突然ダーズリーさんの側の行動になっちゃった。
 How very wrong he was.
 これは作者の視点です。基本、英語版の視点は作者だけで、heであるダーズリーさんのこうした考え方はすべて間違っていた、と言っている。
 日本語では、「何という見当違い」とある。誰が言っているのかわからない。作者ですらない空気が喋っている。
 日本語がいかに視点を変えていくか、おわかりでしょうか。
 せっかくなのでもう少し見てみましょう。

「いま申し上げましたように、たとえ『例のあの人』が消えたにせよ……」
‘As I say, even if You-Know-Who has gone-’

「『例のあの人』なんてまったくもってナンセンス(主語入れ替え意訳)。この十一年間、ちゃんと名前で呼ぶようみなを説得し続けてきたのじゃが(主語省略)。『ヴォルデモート』とね(前後の文脈をつなぐための「とね」)」
 マクゴナガル先生はギクリとしたが、ダンブルドアはくっついたレモン・キャンディーをはがすのに夢中で(書き手がダンブルドアになって意訳している)気づかないようだった(書き手がダンブルドアを推測する立場に戻っている)。
‘All this “You-Know-Who”nonsense – for eleven years I have been trying to persuade people to call him by his proper name:Voldemort’Professor McGonagall flinched,but Dumledore,who was unsticking two sherbet lemons, seemed not to notice.


「例のあの人」は原文だとyou-know-who あなたが知ってるあの人、と主語が明確です。「例のあの人」は実に日本語的な表現で、あれっぽいあれ、みたいに何も言ってない。何も言わないことが重要なのでこうなります。
 主語というものが日本語と英語でまったく違う使われ方をしているのがわかると思います。それに対してダンブルドア先生が反論しますね。
『例のあの人』なんてまったくもってナンセンス。
 原文を見るとAll this “You-Know-Who”nonsense。つまりyou know whoにまつわるすべてのナンセンスなことがら。これが一つのフレーズなんですね。「例のあの人なんていう呼び方をすること自体の馬鹿馬鹿しさ」という目的語です。
 それを分割するというか、まったくもってナンセンスだと思うダンブルドア先生を主語化している。主語を入れ替えての意訳です。
 この11年間、ちゃんと名前で呼ぶようにみなを説得し続けてきたのじゃが、とくる。ここは for eleven years I have been trying to persuade people to call him by his proper name 本当の名前で呼ぶべきだった、そう言っているのは「I」です。ダンブルドア先生ですね。
call him by his proper nameと対象をはっきりさせながら喋っている。誰を、誰の、誰が、ということを一切省かない。しかし日本語だと推測で読めてしまうので全て省く。
 『ヴォルデモート』とね。
 :Voldemort
ここ、英語だと単語をポンと出す。日本語だと前後の推測が難しくなる場合があるので、ここは「とね」とわざわざ語尾をつける。
マクゴナガル先生はギクリとした
Professor McGonagall flinched,
ここはどちらも客観的にそれとわかる動作を書いている。
しかしこの次。
ダンブルドアはくっついたレモン・キャンディーをはがすのに夢中で
but Dumledore,who was unsticking two sherbet lemons,
気づかないようだった。
seemed not to notice.
ダンブルドア先生が「夢中」なのかどうかは、ダンブルドア先生にしかわかりません。
ですから英語では、キャンディーをはがしている人としか書かない。
ですが日本語では普通にダンブルドア先生の中に入り込んで書いている。
しかも、「気づかないようだった」と、最後には書き手がダンブルドア先生から出ていって外から推測している。
マクゴナガル先生はびくびくしているが、ダンブルドア先生は堂々としている。そのことを表現するだけでも日本語では視点がいたるところに移動します。

 こうしたことを前提に、前回の課題、Q&Aの講評をしたいと思います。
 お気づきかと思いますが、Q&Aは視点ごとに語られ、主語がはっきりわかりやすいんです。
 自分が書いている文章の主語が混乱していると感じたときは、一回Q&Aに直してみると、自分が何を書こうとしているのか、主語はなんなのか、主題がなんなのかということがわかりやすくなります。
 お買い物に行くときに、メモを作っておけば、これとこれはこちらのお店にあるから、こういうルートを辿ろう、と自分の行動がはっきりする。同様に、Q&A形式で書きたいこと、書かなきゃいけないテーマを列挙しておくと、全体の文章の筋道を作りやすい。
 古代ギリシャ哲学では、こうしたダイアローグが哲学書の主要な形式でした。プラトンという哲学者はほとんどこの形式で書いているそうです。何も知らない者が質問して、それについてすべてを知る先生が説明してあげる。
これは現代にも受け継がれており、新聞記事、インタビュウ、ニュース、あるいはバラエティ番組なんかでもみられますね。人間が発明した最もわかりやすい理解の形式なんです。
 一方で、仏教というか、禅ではこれが逆になっています。
公案というのがあって、いわゆる禅問答ですが、師匠が質問して、弟子がなんとかして答える。この師匠が、不条理な質問をするんですね。片手で拍手をしたらどんな音が出るか? とか、犬は仏か? とか。
 心が凝り固まっている状態を自覚させるため、あえて非常識な質問をする。弟子を引っ張り上げるため、わかっている師のほうが質問をする。
 入学試験や就職試験なんかは、わかっている人間を振り分けるためにそうしますね。
 さて、このQ&Aでやるべきことは一つです。
 噛み合わせる。一対一にする。噛み合わない質疑応答が、主題を混乱させます。
 なぜ噛み合わないか。暗黙の常識が邪魔をするからです。
 大勢の人が協力し合う社会で、人は誰かの知恵に依存し、そのことを忘れてしまう。
 みな知っているはずだ、という「暗黙の常識」に支配されると、この質疑応答は噛み合わなくなる。お互いに知っているはずだという前提がずれると、途端にわけがわからなくなる。
 特に日本語はいろいろ省き、推測に頼るため、Q&A自体が曖昧になってしまいがちです。
 大事なことなので長く語りますが、じゃあどうすればよいか? 意識的に、正しい質疑応答、正しい自問自答を心がける。自己批評は、自問自答の繰り返しです。
 自分自身を、質問者と回答者に分けて考える。
 それだけで、主題の存在に気づき、自分自身の力を引き出すことができる。これができると、この講義の目標である「自己批評力」が身につく。自分の文章は果たして正しいのか、自分の文章はもう少し工夫できるんじゃないのか、とかね。
 正しいQ&Aというものに着目し、その思考法をきちんと身につけるのはとても大事。
 というわけで、お待ちかねの講評です。

講評1

Q.「焼きトウモロコシがポップコーンにならないのはなんでです?」

A.「それぞれ、材料になるトウモロコシの種類が違うからなんだよ。ポップコーン用のトウモロコシは、普通よりも皮が固いんだ。
粒の中の水分が熱せられて水蒸気になったとき、中身と一緒に膨らもうとするだろう? このとき、皮が固いほど、膨らもうとする力を無理やり押さえつける。すると、膨らもうとする力もまた、なにくそとどんどん強くなっていく。
そうして、外の皮がその力に耐えられなくなったとき、ポン、と弾けて、高熱の水蒸気が粒の中身をスポンジみたいに膨らませるんだ。
でも普通のトウモロコシは皮が薄くて、火にかけるとすぐに焦げてしまう。だから水蒸気が漏れてしまって、中身を膨らませられないんだよ」

屋台とかで売られているトウモロコシは棒でそのまま焼いているとき、なんでポップコーンにならないのか、という「why」を問うているわけですね。
その理由をしっかり述べている。「why」がはっきりしているから述べやすいんです。
まず端的に答えを言う。皮がどんな役割をしているのか。さらに水分が重要な役割を担っていると告げる。大変上手です。トウモロコシの視点で語れるともっとよかったですね。
 では次です。

講評2
Q:何故、水晶を使っているように見えない時計の事をクォーツ時計と言うのですか?

A:時計のデザインに水晶を使っているのではなく、重要な部品に水晶で作られた水晶振動子を使っているからです。

Q:水晶振動子とはどのようなものですか。

A:水晶で作られたU字型の部品です。水晶振動子は電気が通ると1秒間に32768回振動します。この振動は電気信号となり、電子回路、ステップモーターへ流れて歯車を動かします。歯車は、時計の針を動かします。

 クォーツというのは水晶ですね。なぜ? に対して、ちゃんと「からです」と答えている。さらに質疑応答の順番をしっかり整えています。
後半は「how」への解答。ただちょっと惜しい。振動のところが一足飛びで、歯車を動かすまでのステップを説明してほしかった。振動というものについて、もう一文、語ってもよかったかな。
では次です。今回は時計が多いですね。

講評3

Q.電波時計は何を基準にして計時しているのでしょうか?
A.普段は水晶素子(クォーツ)の振動を基準としています。クォーツには、交流電流を流すと1秒間に32768(2の15乗)回振動するという性質があります。集積回路によってこの振動から変換された1秒1回の電気信号が、針を回転させるための基準となります。

Q.それは「クォーツ時計」の仕組みでは?
A.はい。しかし電波時計もクォーツ時計の一種です。先述した通り、普段はクォーツを基準としていますが、定期的に標準電波を受信して標準時を参照することで、より正確な時間へ修正します。

Q.標準時はどのくらい正確なものなのですか?
A.クォーツ時計は一か月に15秒程の誤差が生じますが、標準時の基準となる原子時計の誤差は1億年に1秒程度に留まります。

最初の一文で質疑応答がやや噛み合っていないのと、クォーツの性質を説明してほしかった。電気信号が針を回転させるための基準となっていて、動力ではないんだと。
Q.標準時はどのくらい正確なものなのですか?
ここで違う質問を投げている。ここだけ「how」になっています。電波時計というものの有用性を語るための質問ですね。原子時計の誤差は一億年に一秒程度、だからこの時計を使っているんだよ、と。
 この標準電波、標準時の基準というものについての説明も絡められると良かったですね。
 大前提としてみんなが電波時計とクォーツ時計の違いを知っていると思って書いている。何も知らない人たちを前提にすれば、また違う書き方になります。
 では四つ目。

講評4

Q1.
電子レンジさん、あなたの用途は何ですか?
A1.
主に食品の加熱に使われています。

Q2.
どの様に使用するのでしょうか。
A2.
機器の種類によりますが、ボタンを押すだけで温め開始できるタイプと、つまみ式のダイヤルを回すことで加熱できるタイプが主流でしょうか。
食品ごとの温め加減の切り替えや、加熱時間の調整、凍った食品の解凍なども、簡単なボタン操作で可能なものが多いです。

Q3.
どういう仕組みで食品の加熱を行っているのでしょうか。
A3.
簡単に言うと、私たちは摩擦熱で食品を温めています。
食品の中には、水分が含まれていますよね。
私たちはマイクロ波という高い周波数の電磁波を照射することで食品の水分子を振動させ、分子同士を摩擦させています。

Q4.
電子レンジを使うと食器も温まりますが、これも同じ理由でしょうか?
A4.
いいえ違います。食器には水分が含まれていないので、マイクロ波は食器を素通りします。
食品と一緒に食器も温かくなっているのは、加熱された食品の熱が食器に伝わっているためです。

 今回電子レンジさんも多かった。日々よく見るものなんですかね。
 これはまず商品についてざっくり訊いてますね。あなたは何の役に立つんですか? と。
 全体的に、ひじょうにわかりやすいQ&Aで、親切な回答です。
ただ、ここ。要はどのように使用するのでしょうか? に対して、付加価値をつけた答え方をしている。実は質問の意図とは、違うことを答えているわけです。どのように使用するのか聞いているのに、使用することによってどれだけ便利かを解説している。
質疑応答が噛み合いにくくなる典型というか、このまま続くと、そもそも何の質問だったっけということになりがちですのでご注意下さい。
 ひじょうにわかりやすい文章だと思いますが、 「私たち」は電子レンジさんの立場で答えているわけですけれども、主語が単数か複数か、基準が曖昧です。ボタンを押すだけで温めできるタイプといろんなタイプがいますよということを語っているから「私たち」なのかな? と推測できますが、単数一人称への質問もある。単数と複数の根拠をはっきりさせると、よりわかりやすい文章になると思います。
 最後の電子レンジ特有の現象について、また別の電子レンジさんがいるのでご覧ください。
 
講評5

Q「あなた何の製品ですか。」
A「わたしは家庭用電子レンジ。」
Q「どんな仕組みで、食品を温めるのですか。」
A「わたしの中には、マグネトロンという電波を発生する真空管があるの。ここから発生するマイクロ波が、加熱を行っていくのよ。マイクロ波は、1秒間に24億5000万回振動する電波。だから、この波が食品にあたると、分子のレベルで振動がおきるの。この摩擦熱によって、食品があったまる。
でも、水分子の振動で加熱を行っているから、水分のない食品は加熱できないのが、わたしの弱みね。」

 何のための製品ですか、というところから始まるとよかったかな。質問をするほうが、電子レンジとは食品を温める道具だと知っている前提で語ってしまっている。電子レンジを知らない人には、ついていけません。
丁寧にやれば、電子レンジというのは食品を温めるものであると定義し、次にその仕組みについて語られるという順番になります。
 で、そのあときちんと主題が変遷しているのがわかりますね。わたしの中には真空管がある、真空管から発生するマイクロ波が加熱を行う、マイクロ波はこれだけ振動する。
 そして、水分子を振動させているんだと、一文にぎゅっと押し込んでいる。
 「how」を尋ねつつ、最終的には「what」も答え、できないことも明記している。
「はい」という答えの中にある、部分的な「いいえ」を説明をするのは、細かい情報になりがちなんですね。それをさらりとやっている。
本当にQ&Aというものを厳密にやろうとすれば、とてつもなく細かくなります。
アメリカの契約書とか商品説明書が膨大になる理由は、個別のケースがやたらと明記されるからです。
笑えるネタとしては、昔、ベビーカーの英語の説明書を読んだことがあるんですけれども、ありとあらゆることが書いてありましたね。
たとえば時速60キロ以上で走らせると壊れます、とか(教室・笑)。
あとは赤ん坊を乗せたまま折りたたむと、赤ん坊が怪我をしますとか。
ベビーカーについているタイヤを外して自動車につけると、壊れますとか。
何言ってんの? っていうQ&Aが山のようにあるんですけれども、お国柄でもあり、訴訟を起こされないための防衛でもある。もともと「ケース・バイ・ケース」を曖昧にせず、なんでも厳密にやる文化だからですね。
次にいきましょう。

講評6

 少年が急な坂のほうを指さして質問した。
「あの人が乗ってるの電動自転車でしょ? どうして坂道をキツそうに漕いでいるの?」
 肩で息を切らせながら青年が答えた。
「自転車のモーターを上手く働かせていないのさ。あいつを漕ぐには踏み込む塩梅が大事なんだ。坂道では特にね。乗り手ばかりが漕ぐとモーターが萎えて十分に働かないし、逆にハナから楽に漕ぐとモーターのやる気が回らない。あいつは必死に漕ぎすぎだ。坂をスイスイ登るためには踏み込むごとにモーターの声をペダルで感じ取って、そのつど足技であいつをその気にさせなきゃならん。それが互いに気持ちよく走るためのコツさ。幸いあの野郎は、俺の自転車とはまだ、良い関係を築けていないようだ」
「あなたの?」
「そう、だから取り戻さないと――」
 荒れた息を整えて、青年は走り出した。

 あいつというのは電動自転車のことで、青年がなんで走っているのかというと、自分の自転車を盗まれたからですね。そういうオチ付きなんですが、少年のほうが、青年の自転車だと理解していない質問が、ちょっと惜しい。オチを導き出すためにここで「あなたの?」ってあえて質問しているわけですが、こうなると少年と青年の関係がわかりませんね。たまたま通りがかったんですかね。お兄ちゃんと弟でもよかった気もします。あるいはそこらに立てかけられた自転車たちが話していてもよかったかも。説明自体はわかりやすいですね。
 では次です。

講評7

「ねぇ、スマホくん。君はなんで指で触っただけで操作できるの?」
「それは、君の指がぼくに触れた時に発生する静電気を感じ取っているからさ」
「でも君に触れてもバチッってなったことなんてないけど」
「別に静電気は物に触れたときに発生する電気ってわけじゃないよ。君の体は常に電気を帯びている。それが静電気なんだ」
「でも、その静電気をどうやって判断しているの?」
「ぼくのパネルの中には表面を静電気で覆ったいくつもの電極が並んでいるんだけど、そこに触れた物が吸い取った静電気をセンサーが感知しているんだ。子供の頃に磁石のペンで書けるお絵かきボードで遊んだことはないかい? 何度も書き直せるやつ。原理としてはあれに近いね」
「ふーん。小さい体の中はそんなことになっていたんだね」
「そ、スマートでしょ?」

これは「how」について聞いてるんですね。君の指、スマホとそれを使用している人という関係性がはっきりしているので、このあとの文章が読みやすい。
静電気といえばバチっとするものという日常的な認識について言及し、お絵かきボードのような具体例を出して、しっかりイメージしやすい回答を用意している。
これもオチがついています。公式サイトにのってそうな文章です。ひじょうに達者です。
 では次です。

講評8

「ねぇ蛇口さん、どうして捻ると水が出てくるの?」
「僕ら蛇口には、いつも浄水場から圧力をかけることで水が送られてくる。蛇口は水を出すのではなく、せき止めている。君が握るハンドルに軸が繋がっていて、その先にはコマ栓というパッキンがついている。一方的に送られてくる水の通り道を、このパッキンを押し付けることで塞いでいるんだ。ハンドルを緩めると軸が上がってパッキンが水圧でさらに押し上げられ、穴を解放する。パッキンと穴の隙間から水が出てくるんだ」
「ああだから蛇口さんが壊れると……」
「水を止める術が無い」

 最初の文、どうして「あなたのハンドルを」捻ると、と対象をはっきりさせたほうがいい。何を捻るのか説明がなく、水道じゃないかもしれない。
 「how」についてですね。ここに「僕ら」と複数一人称にしたことで、質問している人間と蛇口は一対一なんだけれども、僕と同様の存在が他にもいっぱいいるんだよという情報を出すことができているわけです。
君が握る「僕の」ハンドルとするとよりわかりやすいですね。パッキンというモノが何かはみんな知っているよねという前提で話しているわけですが、このパッキンについて、文章を二つにわけて説明してもよかったかな。
最後は、できなくなってしまう可能性についても言及しています。本来の質問から発展していって、別の情報も与えることができる。これもひじょうに理路整然としたQ&Aになっていると思います。
 次は前回のガスコンロさんですね。

講評9

ガチャ、ガチャ、ガチャ!
「ちょっと奥さん。そんな乱暴に扱ったら、わし壊れますワ」
「あんた、なんで火ぃ付かないのよ?」
「そんなん、わしに聞かれても…ほな、火がつく仕組みを説明するから、ちょっと順番に見てんか。まず…点火ボタンを押したら点火プラグから火花が出るはずなんやけど、それ確認してや」
「火花は出てるわ。次は?」
「ほな、炎検知器とかバルブのあたりやな。点火プラグのそばには炎検知器ちゅうもんがあって、その先端が火花で加熱されることで電磁石式のバルブが開くんや。この開いたバルブからガスが出て火が付くんや。だから、まず、こいつらの周りに汚れがたまったりしてないか、見てみてや」
「あら、随分汚れてる」
「ああ、この前奥さんが留守の間に旦那が連れてきた派手なお姉ちゃん、わし使ぅて料理作った時にエラい吹きこぼしてましたワ。その後は二人で…なんや、そのぅ…楽しんどったなぁ」
「きぃいーっ! あのバカ亭主――っ!」
「あ、いかん。こっちに火ィつけてしもた」

 通常どおり作動しないことをきっかけにして、機能と構造を説明していますね。
 上手いですね。Q&Aで、逆に質問し返している。こうじゃないの? と。
 で「あら、随分汚れてる」ときて、ガスコンロさんが持っている情報と、奥さんが入手できる情報がここで合体するわけです。
 そして原因まで言及している(笑)、なぜ汚れてしまったのか。
上手いですね、オチが(笑)。なんで火がつかないのよって言ってる奥さんのほうが燃えちゃったみたいな。
アンサーするほうが聞き返すパターンですね。こうじゃないですか? って。そうなるとまた別の情報が現れて、その情報が総合されて一つの原因に辿り着くというQ&Aです。
探偵モノや警察モノの質疑応答にこういうのが多いですね。逆に聞き返されて、いろんな情報が総合されて、ハッとなる。
ガスコンロさんのさらなる続篇が見たくなるような面白さですね。
さておき、ガスコンロさんを書いてくださった方から質問があるのでお応えします。
 
Q)前回の「万能主語」についての質問なのですが、上記文章だと、「楽しんどった」←二人が主語なので、本当に楽しんでいたのか断言はできない。どっちかはそんなに楽しんでなかったのかもしれない。のように、他人を主語にしているのに、動詞を、仮定形とか疑問形ではなく、言い切りの形で使うことができる言語のシステム(システムというより「決め事」と呼んだほうがいいでしょうか)を「万能主語」として定義している、という理解で正しいでしょうか?

A)正しいです。システムというか習慣ですね。「主語の万能化」であり「視点の万能化」ですかね。書き手の視点の万能化です。断定できないものごとを、あえて断定したほうがスムーズに次の情報を提示できるため、そういうことにする。なんでも主語にする。次にどのような主語を出してもいい。だから異なる視点が次々に現れる。
 たとえば、「みんなが怒って彼を咎めた。彼はおのれを恥じた。明らかに咎めすぎていたがみな止められなかった」とか。推測すべきことを断定している。こういう文章を、日本語ではすっと書けてしまう。英語でも成り立ちはしますけれども、もっと視点を固定させますね。

講評10

「どうして万年筆は紙の上にインクを引くことができるのですか?」

「万年筆は液体が管や繊維などの空間へ、より細い方へ移行する現象を利用しています。ペン先と紙が触れると紙の植物繊維にインクが引かれます。紙の原料はパルプです。パルプは木材などの原料から取り出された植物繊維でできています。その植物繊維は維管束に沿って成長した細胞が連続して形を整えられたものです。維管束は液体を運ぶことと植物体を支えることを役割としています。つまり万年筆内のタンクにあるインクがペン先の管より、紙の植物繊維の中に含まれているより細い管へ移り変わっているというわけです。これを毛細管現象と言います」

「how」ですね。液体は空間的に狭いほうにいってしまうわけですね。
僕が質問者だったら維管束ってなんですかと訊きますけれど(教室・笑)
食物繊維は維管束にそって成長した細胞が、積み重なり、連続して形を整えられたものです。受動詞になっているので、何が整えたんだという疑問が出ちゃうかな。それが植物の特徴なんだと語ってもよかった。
 紙は平面な物体ではなく、表面に細い小さい管がいっぱいあるんだよ、セーターの表面みたいなもんなんだよ、と説明している。
 この方は前回もそうだったかな? 説明自体は上手なんですが、どうも複雑な印象になってしまう。
 するする読めるようにするためには、もう少し分割したり、わかりやすい例を交えながら書けるといいですね。


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