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飛び立ってみた雛鳥、頭をよくぶつける

新卒で入社して二年目の初夏だった。
不動産の仲介屋のおねえさんが連れて行ってくれたその部屋は、二つ目の物件だった。都電荒川線がすぐ近くを通り、踏切の音が近い。三階のベランダから見下ろすと、夜、電車の明かりが過ぎるのがとても綺麗なのだとおねえさんは言った。気に入りそうだとおもって、と笑う。初対面で見抜かれた。今日はお試しのつもりだったのに、ここに住みたいとはっきりおもった。

親には契約してから電話をかけた。ずっと実家住まいだった。会社は家からも通えなくはない。でも働きはじめて一年を過ぎ、貯金はそこそこあった。
『もうしばらくうちにいて、お金を貯めたらいいのに』
突然すぎて母さんは戸惑っていた。
しかし、わたしは末っ子で超絶甘やかされて……いや大切に育てられた自覚があって、だから余計に早く自立していかなければならないという危機感がなぜかあった。
人生を大きく動かすときは勢いが必要だ。
一人暮らしに賛成してくれたのは意外にも父さんだった。「自分も昔、ひとりでやりたいと思ったときがあった」と母さんに言ってくれたらしい。『応援するよ』とメールが来た。

やがてあっという間に引っ越しの日が来た。家からの荷物は、実家のワゴン車の荷室に収まるほどしか持っていかなかった。物がまだすかすかの部屋で、これから新しい生活がはじまるのだと思うとワクワクした。
手伝ってくれた父さんたちもいなくなり、夜になった頃。
『これから家に帰っても町子がいないのだとおもうとさみしくなります』と帰宅した父さんからメールが入っていた。
まだ空っぽな部屋で、一気に親といる時間を減らす選択をした自分に泣けた。これから先は数えることができてしまう。もっと居てもよかったんじゃないか。もう少し後でもよかったんじゃないのか。でも、もうわたしは巣立つ力があって、飛んでみたかったのだ。

とはいえ、飛ぶには足りないものが山ほどあったのだ。
まず、わたしは家事レベルが1というよりかは0だった。
衝撃的なことに洗濯機もまともに回したことがなかったので、朝のブリーフィングで「洗濯機を回してきました!帰ったら干します!」と何気なく言ったら、「洗濯機の蓋を開けたらドブネズミの臭いがするよ」とチームの皆に総ツッコミされた。
料理好きな友人が泊まりにきて、「あるもので何かつくるよ」と冷蔵庫を開けて、飲み物以外ほとんど何も入ってないことに愕然とし、「どうやって生活してるの?」と曇りなき眼で訊ねたことは今となってはいい思い出である。

常識もなかった。
家賃を払う日をうっかり過ぎてしまい、申し訳なさのあまりちょっとだけ多めに振り込んだら、『多く入っていました』と大家さんから丁重な手紙とともに、超過分が振り込まれていた。はた迷惑きまわりない住居者だったとおもう。

この部屋を拠点にいろいろ生み出すのだと夢を見たが、実際は仕事ですっかり絞りとられたカスのようになって、電車やときにタクシーに揺られ、夢を見に帰るだけになった。
棚に入る分だけ本を買おうとおもったはずが、余裕であちこち積み上げられて雪崩れが層をつくる。
家で心配するひともいないので、ぼろぼろの姿をとがめられることもない。仕事は楽しかった。認められた。慕ってくれる後輩ができた。嬉しい、嬉しい。でもすり減る。すすけていく。土日は平日の分を埋めるように、寝溜めした。

たまに夜、窓を開けて、踏切を過ぎていく電車をぼんやりと見下ろした。隣の部屋のひとがベランダに出て行く音がして、わたしは部屋の中から息を詰めて、気配を消した。風でタバコの臭いが流れてくる。不思議と嫌じゃなかった。どんなひとだか見たことはないけど、たまに壁越しにいびきが聞こえてくる。性別は男だとおもう。夜を共有している感覚。やがてカラカラと窓を閉じる音がして、わたしも不自然でない時間をあけてから、窓をそろそろと閉めた。

ある日帰宅すると、部屋の机のうえに『不幸の手紙』と書かれた紙と箱が置いてあり、「不審者に侵入された……終わった……」とおもっていたら、当時付き合っていた先輩が疲れ切ったわたしを心配して置いた、『不幸の手紙……ではありません』という手紙と、ミニトマトの育成キットだった。ハートウォーミングなエピソードだ。やがて芽が出てきて、『芽引きしてください』と書かれていたので、一本残してほかを抜いたらその一本も枯れて、そのままミニトマトを見ることはなかったが。

やがてわたしはその先輩と結婚することになった。更新の日も近づいていたので、そのまま部屋を出ることになった。
最初はすかすかだった部屋も、その頃にはもう物で溢れていた。引っ越し準備をするうち、久しぶりに綺麗なフローリングを見ることができた。
ベランダに出れば、都電荒川線がまったくのろのろとしたスピードで町を過ぎていく。
カン、カン、カン。何度でも聞いた音が響く。
この部屋で大人になるんだとおもってたけど、あんまりなれなかった。きらきらするどころか埃にまみれてしまった。衣食住ちゃんと生きることは大変なんだなあと骨身に染みてわかった。
でも、できることは少しだけ増えた。家賃を払うこととか、洗濯して干すこととか、シチューをつくることとか。人参はたまに生煮えで固かったりしたけれど。
この部屋は居心地がよかった。いつでも、どんなときも。
その直感だけは間違っていなかったとおもう。

さよなら、友だちと『チームB推し』の合いの手を練習した夜。
さよなら、初日に母さんが置いていった酒・みりん・醤油の意味がよくわからなかった日々。
さよなら、安住の地を背に踏み出したはじめの一歩。

踏切の音とともに思い出す、はじめて借りたあの部屋の記憶。

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