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人と関わって、文章を書いて

2018.10.26.

大学も4年目にもなると、授業はほとんどない。不健康でよくないとはわかっているのだが、お昼になるくらいの時間にやっと起き始めて、よろよろしながら風呂場へ向かう。

ああ、もう10月がもう終わってしまう。
秋というのは、一体いつからいつまでのことを指すのだろうか。特に長野来てから、よりわからなくなってしまった。
最近は耳にする言葉から、季節を決めるのがいいような気がしている。
流行りにも世の変化にも疎い僕には、それくらいがちょうどいいと思ったからだ。

"キンモクセイ"というフレーズを何度も聞くようになった。
「秋になったということをこの人は言いたいんだな」僕は勝手にそう思ってしまう。
実を言うと、この"キンモクセイ"がどんなものなのかよくわかっていない。
きっとこれまで何度も目にしていたのかもしれないけれど、その本当の正体を知らずに22年経ってしまった。色は何色なんだろう。赤?黄?オレンジ?

シャワーが終わると、iPhoneに向かって「長野市気温」と話しかける。
一時間毎の気温が並んでいるのを見ても、何を着たらいいかすぐに判断できるほど、僕は賢くない。
別に自分のファッションに自信があるわけじゃない。高校生くらいになって、周りと自分を見比べてそんなことを考えるようになってしまった。

やっとの思いで準備が終わり、重いリュックを背負う。
外を数歩歩いたら、あれ?
「なんだよ!21℃って全然暑いじゃん!」って一人で勝手に怒る。
でも部屋に戻りはしない。時間はいつだってギリギリだ。

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そういえば夏休みの最後、東京・神奈川に5日間ほど戻った。
9月末の横浜はまだ暑い。服装間違えたな、また少し反省する。

その日程の中で、中学時代の友人が3人も会ってくれることになった。6年くらい会ってない人も、二人で会うのは初めての人もいた。
今回会ったのは、中学の頃すごく仲が良かったのに、卒業後あまり会えなくなってしまった人たちだった。
けれど、3人と僕の間には大きな共通項があった。

それは3人とも同じ恩師にお世話になっていたということだった。

同じ恩師がいることが、ぼくらの間で大事なことであってほしかった。

集合場所は、どの日も横浜駅中央北改札横のドトールだった。
東横線の下り電車で横浜駅に向かう。緊張しているのか、気づいたらiPhoneのインカメで自分の髪型を何度も見ている。
待ち合わせ場所へ向かう時間はどうしてもそわそわしてしまう。たとえそれが親しい友人であろうとも。まして6年ぶりに会う人や、初めて二人で会う人までいるのだ。気弱な僕が動揺しないわけがない。

僕より先に相手が集合場所に着いていることもあった。こっちから声をかけたのに申し訳なかった。
三日間ともお酒を飲むような場所には行かなかった。そういうことで、「お互い大人になったな」みたいな話をしたくなかったからだ。

料理を注文して、少しの時間料理が来るのを待つ。
卒業後、何をしていたか、どんな友達と関わっていたのか、どんな人を好きになったのか。聞きたいことは話せば話すほど増えていった。

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僕も含め4人とも、当時の記憶はほとんど消えていた。
残っていたのはわずかなピースだけだ。
新しく見つけるピースだってある。14歳の時知らなかったことを、今になって知ることもあった。お互い性格はだいぶ柔らかくなっている。恥ずかしかったことも言えるようになっているものだ。

けれど、その一つひとつのピースをどれだけ並べても、
パズルが完成することはない。
いつだって思い出は未完成のままだ。

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会話の中から、当時の自分と友人の姿が浮かび上がってきた。

今回会った友人の一人は、どちらかといえばクラスでおとなしい人だった。
彼女には、彼女にしかない落ち着きと、人を受け入れる懐の深さがあった。だからこそ、みんなから好かれる人だった。
僕にとって、彼女は中学に入って初めて話した異性だった。ずっと一緒にいたというわけでも、恋愛感情があったわけでもないが、3年間通して良好な仲だった。そういう関係が心地よかった。

中学2年の合唱コンクール。彼女は伴奏者だった。それも立候補ではなく、たしか誰かの推薦だった。本人はあまり乗り気ではなかったそうだ。
クラス全員の前で初めて弾いてくれた時のことを、僕は今でも鮮明に覚えている。

普段の落ち着いた姿から彼女は一変した。
全神経を集中させ、鍵盤に魂を注ぎ込んでいた。
その時も今も、あの演奏を何かに形容して言葉にすることができていない。
歌うことにあまり乗り気でなかった人たちも、聞き入ってしまっていた。

一瞬で曲もクラスメイトも、完全にものにしてしまったのだった。

夏休みは1日何時間も練習していたらしい。もちろん本番を迎えるまでも。
そのプレッシャーは計り知れない。それに人から相談されることが多いようなタイプだ。
誰よりも重荷を背負っていたのにもかかわらず、
不安を吐露する場所はクラスにはなかったのだと。
14歳の僕に、人の深い感情を汲み取ることは当然できるはずもなく、その事実を22歳になって知った。

「ピアノやって良かったよ」
その言葉を聞けて、今更ながらとてもホッとした。


一方、13,14歳のころの僕は、今では考えられないくらい、人の前に立って、「〇〇長」とか「〇〇リーダー」といったことをよくしていた。それも自分から。別に集団をまとめることが得意だとか、周りから信頼されていたとか、そういうわけではない。当時もそれは自覚していたし、自分でも、なんでこんなことをしているんだろう、と思うことも幾度となくあった。それにそういう自分が好きなわけではなかった。

なぜなら、当時の僕は「そうすることしか」できなかったからだ。
過度に正義感が強く、さらには恩師以外の全ての教師に対し反抗的だった。
そして僕には得意なことがなかった。それは今もそう。得意なこと、というより人を楽しませたり、明るく振舞ったり、そういうことができなかったのだと思う。

けれど、嫌われるかもなと思いながら、合唱コンのパートリーダーをしたことも、文化祭でショートムービーの脚本を書いたことも、2年のクラスが終わるときにスライドショーを作ったことも、今思えば本当にいい経験だった。

卒業時に、そのスライドショーをクラスメイトが人数分DVDに焼いてくれた。そういう優しい友人もクラスにいた。

そのDVDを見た彼女から、後日メールが届いた。
「スライドショー見たよ。すごい感動した。合唱コンの写真に、あたしの名前入れてくれてありがとう。嬉しかった。」

もう6年半も前のこと。
そうやって人からもらった言葉は忘れることはない。
僕が不器用なりに作ったものは、ちゃんと大切な友達に届いていた。

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2年ほど前から、文書を書くことに挑戦してみようと思うようになった。
別に昔から作文や感想を書くことが得意だったわけではないけれど。いろんなきっかけが重なって決心した。そう、ちょっとした”決心”だった。

別にこれを仕事にしたいとか、「ライターです」と言いたいわけでもない。
文章を書いていると言っても、noteに投稿することと、論文を書くことと、物語を書いてみることと、あとはほとんど誰にも見られない言葉をコツコツ残しているくらいだ。

夜中の1時を過ぎたあたりから、机以外の電気は全て消して、カーテンも締め切る。B5の無地のノートと、MacBookを机の上で開く。

自分の中にある感情や経験したことや学んだことを、もう一度自分で覗き込んで、なんとか人が読めるような形にする。

当たり前だが、文章を書くときは、いつだって一人だ。
なのに、いつもなぜか緊張してしまう。

「ちゃんと伝わるかな。勘違いされないかな。くどくないかな。面白いかな。」

こないだふと思った。


文章を書くことと、人と関わることって、あまり変わらないんじゃないか。


人と関わることが、あるときから自然なことではなくなっていた。それこそ中高くらいからだろうか。会う前は、緊張と不安が心に覆い尽くす。バイバイして一人になって、反省会が始まってしまう。

「僕が言ったこと、ちゃんと伝わってるかな。勘違いされてないかな。面白かったのかな。」

それに相手の言葉を一つひとつ聞いていくということも加わるから、なんせ大変だ。一人でいるときと誰かといるときの自分は明らかに違っていることに気づいた。

あまり賢くも、感受性が豊かなわけでもない自分と向き合って、
なんとか人に読んでもらえる(話してもらえる)形にしていく。

そして、いつだって不完全だ。

今になって思う。13,14歳のころの自分は、不器用なりに相手のことを考えて、人の前に立ったり、何かを計画したりしていた。「他の人にどう思われようが構わない」と思ったことは一度もない。
もちろん不愉快な思いをさせてしまった人もきっとたくさんいるんだろう。
けれど、頭の中には常に"誰か"がいて、その誰かに届けるためにガチガチな石頭を絞っていろんなことを考えて、行動していた。

他の人と違う個性的な色じゃなくたって、
誰よりも得意なことじゃなくたって。それでいいじゃないか。

コースで9800円もするフランス料理みたいに、真っ白な大きいお皿に乗っている、小さくて美しく上品な物じゃなくたっていいじゃないか。


完璧なわけでも、綺麗なわけでもないからこそ、
今日も、人と関わって、文章を書いていきたいと思うのです。


以上です。長々とすいません。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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