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【頭痛専門の誕生秘話】その時、歴史が動いた!成功か?失敗か?200名の患者さんが、いなくなり・・・運命の扉が開いた。

栄光の影にある挫折エピソード

整体院を経営しているあなたにもあるでしょう?いろんな失敗があるでしょう?私も例にもれずたくさんのエピソードを持っています。いつか映画化したいと思っています(笑)今では満員御礼の日々が続く日だまり整体院もあの頃は、右肩あがりの登り途中でした。

コツコツと積み上げていきましたが、波乱万丈のストーリーでした。

肩こり専門の整体院にして、チラシポスティングを中心に集客をし地元蒲郡市に浸透しつつあった開業8年目、今から10年前の出来事です。飛ぶ鳥を落とす勢いで肩こりチラシは大当たりで、ポスティングで月23名を集客し、売上も120万円を超えて予約もパンパンになっていた頃です。当時の売上を上げるのに値上げの道をとることにしました。開業して3回目の値上げをすることになりました。

もっと価値のある治療を提供するためにマッサージで癒す要素を無くして、短時間で痛みをとる本当の整体院に生まれ変わるターニングポイントに立っていました。その頃から頭痛の人を治すことをしていたので、肩こり専門の整体院から頭痛専門へポジショニング移行にカジをとる時でした。

患者さんの数は、200名を超えて単価6000円でやっていました。日だまり整体院の患者さんは、とても優しい心根を持った方ばかりになってきていて、この人たちを永遠に守っていきたい!と思っていました。介護士で朝から1日働いて毎週木曜日の朝9時の整体を楽しみに通っている山口さんという主婦の方、広島から出てきて蒲郡で旦那さんと出会い月一回、体に手を入れることを心待ちにしている岩田さん、蒲郡駅から毎週徒歩で30分かけて通ってくれてる高橋さんなど、みなさん毎日を頑張る元気の源として日だまり整体院を頼ってもらっていました。人間的にとても愛すべき人たちで大好きでした。

整体師に春のある日は訪れた。

3月の肌寒い朝です。優しい冬の日差しが春を少し感じさせて公園の桜の蕾もだいぶ大きくなってきていました。僕は、スーパー「フィール」の横の坂道を自転車で登り整体院に出勤します。白い息を吐いて、ペダルを漕いで見上げれば朝日が五井山のほっぺをあたためています。「今日もみんな、待ってろよ!」「僕は、人々の心に日だまりを作るんだ!」そう心に誓い五井山に手を振りました。左の細道に入ると我が整体院が公園の前にそっと佇んでいる。あれだけ人が来なかった整体院に今日も人がやってくる!ことが嬉しかった。辺鄙な場所にたくさんの人がやってくる!こんな毎日なら結構幸せでいいじゃん!と思っていた。

こうして手を振って迎えることもありました。

「どうして値上げするんだろう?」僕の心の中で自問自答が1ヶ月ありました。今の人たちを守るためには値上げは尚早じゃないか?と不安にかられる夜もありました。しかし、本当の整体院として、病院で治らない頭痛の人を請け負って本物の頭痛治療を提供するなら、一回1万円が妥当だと判断しました。しかし、現在6000円の単価から10000円は危険すぎてできない。ぶっつぶれる予感がビンビンしながら、やっぱり値上げは、頭痛専門がうまく滑りだしてからにしようか?6000円で頭痛の人を治して実績とともに徐々に値上げするが本流じゃないか?という思いもあった。


整体院に着くと僕は毎日、中央公園の神社にお参りするのが日課になっていました。(今でも毎朝、お参りは欠かさないです。)お客さんが全然来ないときから「新規一名さまお願いします!」と言って100円玉を放りなげて手を叩きお参りをしてきました。結構、確率良く新規が来るから賽銭マーケティングとのちのち呼ぶことになりました。でも、この日は、やけに気持ちがさわやかでこれからこんなことが起こるとは全然予想していませんでした。

「先生、今日で治療をやめます!」

神社の階段を70段つかつかと降りて、僕は整体院の準備に取りかかりました。今日の予約一人目は、太田洋子さんだ。豊丘町に住むとてもあったかい心を持った主婦の方です。バレーボールで肩周りを痛めており、日だまり整体院の治療でだいぶ改善して夜も寝れるようになって喜んでいました。お客様の対談動画にも出演してもらう超優良患者さんでした。初回来院から一年が経とうとしていました。僕も大好きな患者さんなので、とても楽しみに朝を迎えたのです。

待合室の時計の針が9時を指す少し前に彼女はいつものように登場しました。「先生、おはようございます!」いつも爽やかでハツラツとした声で入ってきます。きちんと待合室で靴を揃えて、「お願いします!」と頭を下げて施術室に入ってきます。いつものように体のバランスをチェックして、「今日の調子」を聞きます。「先生のおかげで本当に夜も全く痛みが出ないし、草取りまでやれちゃってびっくりです。普通、痛みが出るんだけど全然快調です。」と治療を進めていきました。

娘さんが結婚する話を聞き、人生が好転していくことに喜びを感じました。太田さんの人生が、痛みからの卒業と主婦として家庭がうまくいってることを象徴する出来事を教えてくれました。「よかったですね〜」「先生、旦那さんになる彼が、うちへ入ってくれるって言うんですよ」「へ〜そうですか。大した若者ですね。それだけ娘さんを愛してるんですね」「私もそんなに気を使わない人だからいいかな〜と思って・・」「よかったですね〜」そんな感動の話をしてくれて施術が終わりを迎えようとしていました。

「じゃあ、太田さんここに立ってください」

「いいですね。右肩甲骨周りもだいぶ動きが良くなってますね!」

「はい。ありがとうございます!スッキリです。」

「次回は、来週の一週間後でいいですか?」

太田さんの笑顔が止まって、ゆっくりと話を始めました。

「先生、今日で治療を一旦終了したいと思いまして・・・・」

太田さんは続けました。

「やはり主婦に8000円は高いと思うのと、来月から娘の結婚の準備とお金が入ってくることもあって・・・・家族で私だけが体にお金を使うのはどうかな?と最近思っていたところで、6000円でも考えていたので、8000円ではちょっと普通の主婦には難しいと思いまして」

「そうですか!よく通ってくれましたね。家族の柱になって頑張っている太田さんなので、また限界がきたらいつでも電話してください。」と真っ白になった頭をごまかすように優しい先生のセリフだけを伝えました。

「はい。ありがとうございます!本当に先生のおかげで痛みのない生活ができているのでウソのようです。ありがとうございました。」

太田さんは、ハツラツした声のまま整体院の扉を閉めて、世間の中に飛び出していきました。

真っ白な僕の頭の中と去っていくブラックワゴン・・・ありがとうございました!と心の中で頭を下げました。僕の整体院をここまで成長させてくれた患者さんが卒業して行きました。値上げという引き金によって、違う未来へ飛び出していきました。寂しさではない何かスッキリした感覚がありました。これから何かが動いていくそうゆう静かな風の音が日だまり整体院の窓から聞こえています。

次から次へと辞めていく患者さん・・・このままじゃ潰れる?

太田さんが日だまり整体院を辞めて数日のうちに200名いた患者さんが、たった20名になった。それは、売上お金がないことで初めて気づいたことだった。やばい!これってもしかして・・・・つぶれるんじゃないか!?カルテの枚数を数えて、値上げでやめた人を取り除くと残ったカルテ枚数は、30枚を切っている。どうしよう?

もう遅いか?

やっぱり時期尚早か?手紙を書いてよりを戻そう。すぐにハガキにメンテナンスの人は、6000円で固定にする話を書きましたが、時すでに遅し!誰からも返答のないまま時間だけが過ぎていきました。やっぱりダメだ。頭痛専門やれるか?今まで日だまり整体院を支えてくれた人を無残にも切り落として、何を始めるというのだ?大介!そこに愛はあるのかい?自問自答の日々が続きましt。

家に帰ると妻はいつものように笑ってくれていました。餃子を食べながら、「値上げ大丈夫?」と聞かれて、「あ〜大丈夫だよ」と平然を装ってビールを飲みました。ちょっと苦かったけど、奥歯を噛んで耐えました。「大介!もうダメだ!っていうところからお前は強いんだ!」そう言い聞かせて高いびきで寝たのを覚えています。

頭痛専門 日だまり整体院の誕生

とにかくお客もいないし、お金がなくなってしまいました。手元に10万円ちょっとあるだけの3月25日。27日には、カードの支払い、家賃全部が襲ってきます。整体院をやっている人ならわかると思いますが、月末の支払いを越えられない。新規さんがいない。太田さんのようにリピーターが次々と辞めていく中、血の気が引いていくのを感じました。地面に立っている感覚がありません。足元がくすぐったいような焦りでフラフラしていました。

とにかく今月は赤字だ!仕方ない!

「ここから全く新しい整体院として誕生するんだ!患者さんが全くいない方がやりやすい!こうなったら、新しく整体院を作るつもりではじめればいいんだ。」「頭痛患者さんだけを集めて、治しまくればあっと言う間に100万は稼げる。」

僕は、頭痛治療のシステムを徹夜で作り始めました。ダイレクト出版(日本で有名なマーケティング会社)から送られてきているシステム作りの本を隅からすみまで読み、それを参考に頭痛専門の通院システムを完成させました。頭痛患者がどういうプログラムだったら安心して続けて通ってもらえるか?を必死で考えました。

それが、現在使ってる【頭痛治療完全マニュアル】です。僕は、全国に悩む頭痛患者を一手にこの背中に背負うことを決心しました。偏頭痛を治せる治療家はあんまりいないようです。これを看板に病院で治らない人をことごとく治していこう!心の深い深い場所でそう決心しました。

神社の階段を登り、空を見上げました。4月の風は、桜の花びらを乗せて穏やかなメロディーを奏でてくれていました。「これでいいのだ!」僕には、何か確信があありました。この世でたった一人やれる気がしていました。神社のお参りから帰ると整体院の電話の留守電マークが点灯していました。

急いで、録音を聞いた。
「ホームページを見て電話しました。岡崎市の野村と言います。電話番号は、090ー・・・・」
僕は、成功を体中で感じた。本当に本当に嬉しかった。血の気が体内に戻ってきました。「これで俺は本物になれる!」そう心の根っこで思いました。
右手でガッツポーズしながら、留守電の野村さんに電話をしました。

野村さんは、今現在でも日だまり整体院に通う優良患者さんのお坊さんです。念ずれば現ずと師匠の野口先生が言っていました。「もうダメだ!」と思ったところから僕は這い上がりました。それから日だまり整体院の電話は毎日鳴り続けました
。嬉しい悲鳴と切ない鼓動が繰り返し僕の胸のうちで鳴っていました。

「行くんだ!未来へ」そう言い聞かせて治療を重ねました。売上は、毎月上がっていきました。3ヶ月後には頭痛患者さんだけで100万円を突破し、逆転を成し遂げました。半年後には、150万円の大台に乗り上げました。妻に初めて苦しみのトンネルの話をしました。失敗が笑い話になった瞬間でした。焼き鳥をビールで流し込んだ僕を見て妻は言いました。「いい仕事してるね〜〜!!!」

値上げには、理由があるものです。頭痛患者を請け負うために犠牲を払うしかなかったです。あの日の苦しみがなければ、今の僕はいません。普通の会社なら倒産していたあの日の風景を僕は忘れません。この大逆転物語を僕はいつも塾生に伝えたいです。

塾生たちに愛の仕事だと真剣に伝える。
太陽のような愛を持って


人を請け負うのだ。人生を請け負う仕事なのだ。
あなたも頭痛治療家になって僕と一緒に背負ってみませんか?


踊るお坊さん野村さんはこのブログ読んでるよ!ありがとうございます!
頭痛治療家 日比大介