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【第二頚椎】の調整が、「生き方」を変える!?

自分らしく生きていますか?

頭痛専門の整体をやって10年になります。きっかけは、20代の頃から自分自身の体調不良を元に首のつまりをよくすることで、「頭痛」や「だるさ」「うつ的症状」を改善できることを微かに(かすかに)知っていたことです。小学生の頃も肩こりがひどかったため、おばあさんに針に連れて行かれました。針の先生に「君は、頚椎2番が左にズレとるね〜」と言われて何のことだかわからず、「頚椎2番」という言葉と、ボコっと左に出ている首の骨をいつも思っていました。

風邪引くたびに、緊張するたびに、不良に絡まれるたびに、首がパンパンに張るものだから「おかしいな〜」と思っていました。首を自分でポキって鳴らして一瞬楽になるけどやっぱりダメでした。中学2年生の時に急に頭が激痛になり、市民病院に行きました。お医者さんに「自律神経失調症だね」と言われてショックでした。頭痛薬をもらって頭痛がよくなりましたが、それから「自律神経」という言葉が記憶に刻み込まれました。

それから、忘れたいたのですが、音楽活動を始めて親に反対されながらも東京へ家出して頑張っていました。あの毎日はいつも首や肩のコリや頭痛がして、夕方になると横になっていないとダメな状態な日が多くありました。ぐわーーって大きな塊が頭上に落ちてくる感じでした。

大都会のエネルギーに負けた私は、渋谷駅前をゾンビのように生きる気力を失って歩いていました。うつむきな目つきになっていました。アルバイトのトイレ掃除で鏡に向かって「おい!大介。大丈夫か?」と問いかけたのを覚えています。そんな暮らしが、ある出来事のおかげで夢の挫折を経験することになるのです。そして、苦悶の末、この整体の道にたどりついたのです。人生とは、不思議なものです。

頭痛の原因「第二頚椎のズレ」の発見

音楽時代も東京から帰ってきてからも、夕方になった時の「うつ的症状」が抜けなくて悩んでいました。「なんでこんなに落ち込みが強いんだろう?」と自分を疑っていました。雨の日や台風の日は特に強烈で、カラオケボックスに行って一人で寝ていました。そんな時、首がパンパンになって頭がガンガン痛くなってくるのを今でも覚えています。自分で首をいろいろ触って、「なんか詰まってる感じがするんだよなー」と首を触ってると、骨の出っ張りを見つけてそこをグイグイといじってると何かつまりがぬけてきて楽になるのです。私の第二頚椎は、左にズレてるのですが、これが私の頭痛治療の原点になります。

私の頚椎2番は、左にズレている。

その骨が、頚椎2番だとわかったのは、昔小学校の時に通った近所の針の先生が、「あんたは、頚椎2番が左にズレとるな」と言われたことです。そして、中学生になって一時的でしたが自律神経失調症になって、そのあたりの筋肉がパンパンに張ってきたことから、「これは何かが関係あるなー」と素人ながら感じていました。それから人生の中でいろんなドラマが起こる中で、イヤな人と会った時も天気悪いときも、雰囲気悪い店に行った時も必ずこの「頚椎2番周囲」が張ってくるのです。

今では、このポイントには、「センサー」が備え付けられていると考えています。

首を治すと、人生が変わっていく

整体院を開業したのが、今から16年前です。頭痛専門にしたのが、10年前です。マーケティングを学び、肩こりや腰痛の人を相手にしていても人が来なかったから決断しました。最初は、肩こり専門にしたり、首こり専門にしたりしましたが、

勇気を持って「頭痛患者を救うこと」にフォーカスしました。まさに生きるか?死ぬか?のバンジージャンプでした。

予想は当たり、肩こりからくる頭痛だけでなく、毎日薬を飲む偏頭痛患者、予防薬まで処方されてる頭痛患者、群発頭痛という激烈な痛みの頭痛をことごとく治していくことができたのです。自分でも治してる感覚と結果が一致しているので、とても嬉しかったです。患者さんの泣いて喜ぶ姿を見て、「やっと世の中の役に立てるぜー!」という自己重要感が体中にしみわたったのを覚えています。

それまで、お金を稼いでも、バイトだったり、サラリーマンだったり、50分4000円のマッサージだったり、他に代わりのいる誰でもできる作業に対してのお金だったのでイマイチお金を自分で稼いでるリアルな感覚が持てずにいました。

それが、人生の地獄にいる頭痛患者さんを救えていくシーンを目の当たりにすると、

これが天職だな!といつも思わずにいられません。

頭痛セラピーは、人生のブレーキ外し

そして、10年間「頭痛専門」でやってきてのべ2万人近くの頭痛患者を治療してきました。いろんな首があり、いずれの人も首の筋肉がパンパンに張っています。そして、頚椎2番の骨がズレています。そこで、とてもおもしろい事実が浮かびあがってくるのです。頭痛患者が、頭痛が治っていくと同時に「生き方」が変わっていくのです。頭痛がなくなるんですから、毎日が楽になっていっぱい仕事できて・・・ということ以外にもっと深いところにこの頭痛治療のテーマがあったのです。

それが、「自分らしく生きる」ということだったのです。

私もそうだったように、頭痛患者は、頭痛の裏にある「人生に対する納得のいかなさ」を抱えています。特に当院に来られる方の多くは、「こんなの私の人生じゃない!」という心の叫びが頭痛という痛みのメッセージとして出ていることが多いのです。だから、頚椎2番のズレを調整して頭痛を改善していくと、「生き方」が変わってくるのです。ある人は、離婚したり、ある人は転職したり、ある人は頭痛治療家になったり(笑)ある人は、子供との時間を増やしたり、ある人は、転居したり、ある人は、新しい趣味を始めたりいろんな変化が出てきます。

自分らしく生きられない世の中のテーマとは?

だから、治療してるうちに今まで抑えつけられていた感情が一気に溢れ出して、感情の起伏が激しくなったり熱が出たり、風邪をひいちゃったり、寝込んだり、体の中で大地震が起こります。これは、薬を長年飲みすぎた人に多いですが、「こう生きなくてはダメだ」と決めつけていた人ほど爆発します。今まで水流を止めていたバルブを開くのですから、すごい激流・濁流がやってくることになります。

頭痛の人の首は、まるで蛇口を閉められたように苦しい。

頭痛患者の首は、本当にカチカチになっています。あなたも隣にいる頭痛の人の首を触ってみてください。「うまく生きれない悔しさ」に耐えるたびに頚椎2番がズレることによって、その周囲の筋肉を硬くすることによって、感情のアクセルを止めていたのです。それが一気に崩壊します。「生き方」のねじれが、頭痛を生んでいるのです。

人間は、内側からくる魂で生きています。肉体や心はごまかせても、魂が納得していない状況に人は苦しみます。まるで、親に認められず自分らしく生きようともがいた路上ライブの青年のように、なんとか自分らしい生き方をしようともがいているのです。

頭痛薬は、魂の生き方を押さえつけるミサイルです。

頭痛薬がいっぱい売れています。ロキソニン・イブ・バファリン・ノーシンなどの市販薬からイミグラン・ゾーミック・デパス・マクサルトなど病院から処方される薬がありますが、どれも痛みの電気信号を消す鎮痛という役目の薬です。

頭痛の本当の原因を治すのではなく、痛みだけを消すものです。薬には、よく「抗」という字が使われます。抗うつ剤とか抗がん剤とか、常に敵に抗う(あらがう)ためのものです。冗談で病気は死んだ。でも患者も死んだということもある通り、考え方は、戦争なのです。反抗する勢力をミサイルで撃ち殺す戦争なのです。体に悪い部分があれば、撃ち殺す。頭痛の場合なら、頭痛という痛みを撃ち殺すという考えになっている。

せっかく頭痛によって今の人生や生活、仕事、パートナー、親との関係、過去との関係などが「間違ってる!」「イヤだ!」だと思っている感情をずっと押さえつけているのを教えてくれている。しかし、そのアラームに気づいていながら、頭痛患者は、生活の忙しさを理由に自分の本当に向き合いたく現実から逃げるのです。頭痛薬に逃げているのです。

社会も頭痛持ちというジャンルを作っています。「頭痛持ち」だからということでハンドバッグに頭痛薬を入れて諦めている人ばっかりです。もちろんたまの応急処置ならともかく、永遠にミサイルを体に打ち込んでるのは、やばいと思います。

頭痛整体は、「本当の自分」に気づくチャンスである

人生には、ターニングポイントがあります。今日も20名の頭痛患者が、当院にやってきます。自動車で2時間かけてやってきます。何を求めてやってくるのでしょうか?彼らの笑顔を見ればわかるでしょう!先日もある患者さんが私に「先生、蒲郡に来るのが楽しみになりました」と2時間以上かけてくる患者さんが喜んで話す姿を見ると、頭痛治しだけでなく、その人が本当の自分に気づく楽しみで来ていることがわかります。

私は、治療は儀式だと思っています。だから、患者さんに言います。

「本当に頭痛が治ってもいいですか?」


と聞きます。

その人が生きてきた歴史を支える生命の源泉「第二頚椎」を触らせてもらうわけです。

そのバルブを解除すれば、頭痛がなくなっていくだけじゃなく、裏側に隠された真実があらわになって人生が動き出していくのです。だから、本人が受けたくない場合は治療を断っています。それだけ、自分の人生と真剣に向き合う覚悟のある人に受けてもらうべき治療でしょう。


頭痛整体は、「本当の生き方」に目覚める治療法です。

あなたも早く自分の人生に目覚めた方がいいと思います。

頭痛治療家 日比大介