見出し画像

私が必死に閉じているもの

閉じているつもりは全くない。
けれど、無意識レベルでは、
きっと閉じておきたかったんだと思う。
私のどこかにある、頑丈な扉をね。

柔らかくピュアな「こころ」を
守りたかったんだよね。
「あ、守れた!」と感じたときは、
それがとても有効に思えた。

だから、
私はいつもそうしていよう、と思った。

でも、いつのまにかそれがクセになり、
閉じる必要のない時にも
閉じてしまうようになった。

そんなつもりは、なかったのにね。

一生懸命、がんばって閉じた扉。
いつしかそれは、
頑張らなくても閉まるようになった。

気がつけば、
その意思は無意識レベルに沈み込み、
溶け込み、いつのまにか
その存在すらわからなくなった。


なんとまあ。
そんなことがあるんですね、ほんと。
びっくりですよ(笑)。


それにしたって、
そんな奥底にしまって
存在すらわからなくなった「扉」、
今更思い出さなくたって
日常を生きていくには全く問題がないし、
むしろ傷つくこともなく、
安全に、無難に生きていられる。

そう、無難に、ね。
だから、そのまま
無意識レベルにいてもらっても、
全く問題はない。


だがしかし、なのです。
そうこうしているうちに、
私は気づいてしまったのですよ。

「その、心の奥底の
見えないところにしまった扉」を
開けない事には、

「天」と繋がる扉も
永遠に閉じたままなんだっていうことに。。


「天」とは、宇宙の叡智
そのものであり、守護神であり、
ハイヤーセルフであり、
本来の自分・・・でもあるのかもしれない。

すなわち「天と繋がる」ということは究極、
「本来の自分と繋がる」
ということなのかもしれない。

短い人生、
どうせなら「天」と繋がって
生きていきたいじゃないですか(笑)。

そのほうが、
人生、何十倍も生きがいが
ありそうじゃないですか(笑)。

そう思うんです、私は。

だからね。
そのサビついてしまったかもしれない
「扉」、開いていこうって。

いままで、私が必死に守ってきたものを、
大切に守ってくれた「扉」。

その「扉」のおかげで、
私の柔らかい「心」は守られたのだから。

感謝して、これからは開け放っていこうと。
そう思うわけです。


「言うは易く行うは難し」
かもしれませんがね(笑)。

そのプロセスそのものが、実は、
私の人生そのものでもあるのかもしれません。


最後までお読みいただき、
ありがとうございます♡


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?