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ろうそく出せ~七夕の夢

 山のふもとに、小さな神社がありました。その鎮守の森の草むらで、きつねの親子が休んでいました。食べる物を探して山を降り、人家の近くまで出てきたのです。車がたくさん通る道を渡ったり、離れ犬に追いかけられたりして疲れてしまいました。そのくせ、食べられる物はちっとも見つかりません。森の木の実が熟するまで、あともう少し。さわやかな秋の風が吹けば、山の木陰で何か見つけられるのに。お腹を空かせた子ぎつねは、それでも元気に虫を追いかけて遊んでいます。
 不意に砂利を踏みしめる音がして、母さんぎつねははっとしました。男の子がふたり、自転車に乗って通りがかったのです。母さんぎつねは子ぎつねを呼んで、木陰の後ろへそっと隠れました。神社の朱い鳥居の前に、ふたりは並んで自転車を停めました。太くて朱い鳥居の肌を手で撫でながら、ひとりが言いました。
「たっくん、今日、ろうそく出せ(注2)行く?」
「うん、行くよ。お菓子いっぱい集めようね」
と、もうひとりが言いました。
「袋、持って行く?」
「うーん。お母さんに聞いてみる」
 ふたりは参道を歩きまわって、小石を拾いました。時折黒い石をつかんでは投げて、割れたかけらを見つめると、
「見て見て、十勝石!(注3)」
と言ってポケットにしまいます。
 男の子が石を投げている間、母さんぎつねはどきどきしていました。以前、人間から石を投げられたことがあったからです。男の子達はポケットが石でいっぱいになると、また自転車に乗って帰って行きました。
 
 誰もいなくなった途端、我慢をしていた子ぎつねは参道へ走りました。子ども達が石を拾っていた辺りには、変わった物は何もありません。
「ねえ、何をしていたの? ねえ」
 母さんぎつねは首を振りました。
「ねえ、ろうそく出せって何? 何のこと?」
「そうねえ」
 母さんぎつねは、その言葉に聞き覚えがあるような気がしました。ずっとずっと以前に、好奇心で街まで出掛けて行ったあの日のこと。
 子ども達が大勢集まって、
「ろうそく出せ、出せよ」
と歌いながらねり歩いていた夜のこと。家々の戸口から笑い声が聞こえてきます。
 子ども達のまわりは、電灯でぼうっと明るくて、離れた所からでも、その楽しそうな顔が見てとれました。子ども達が手に持っている物は何? そんなに楽しそうなのは何故?
 笑顔に誘われて、ついだんだん近くまで行ってしまいました。子どもがアーンと開けたその口に、おばあさんが何か入れてあげています。
「おいしい。ありがとう」
と子ども達が言うのをみると、どうやら食べ物をもらっているようです。
 そのとき、
「きつね!」
と大きな声がして、何か投げつけられたのでした。背中に固い物が当たって、びっくりして、ありったけの力で走って逃げたのでした。
 母さんぎつねは思いました。ろうそく出せと言う子どもについていけば、この子も食べ物がもらえるでしょう。人間の姿なら。
 きょとんとした顔で、返事を待っている子ぎつねを見て、母さんぎつねは切なくなりました。
 もう何日もトンボとか、オケラとか、嚙んでは吐き出している子ぎつねは、きっととてもお腹が空いているでしょう。
 母さんぎつねは神社の本殿を仰ぎ見ました。祈って、考えて、忘れかけていた変身の術をやっとのことで思い出しました。術を使わなくても、ずっとやってこられたのです。でも、今日この子に何か食べさせてあげたい、その一心でした。
「いいかい?他の子ども達と同じようにして、決して目立ってはいけないよ」
と母さんぎつねは言いました。
「それから、御礼はちゃんと言うんだよ」
 道路の端に落ちていたビニールの袋をくわえてきて、今は人間の子どもの姿になっている子ぎつねの手に持たせました。
 
 夕暮れが近づき、遠くから、
「ろうそく出せ、出せよ」
と子ども達の歌声が聞こえてきました。母さんぎつねの心配をよそに、子ぎつねは何が起こるのかわくわくしてきて、
「ぼく、行ってくるね」
と元気に駆けだして行きました。母さんぎつねは少し離れてついていき、様子を見守ることにしました。
 
ろうそく出せ、出せよ
出さないとひっかくぞ
出さないとくいつくぞ
 
 元気な子どもの合唱が道々に響いて、玄関口からエプロン姿のおばあさんや、にこにこ顔のおじいさんが出てきます。
「どおれ、どれ、今年もよく来たのお」
と言って、ろうそくを二本と、お菓子を袋に入れてくれます。
 子ぎつねはろうそくというのが何かはわからないけれど、お菓子はにおいで食べる物だとわかりました。
「ありがと」
と、母さんぎつねに言われた通り、御礼もちゃんと言いました。
 夕日が沈んで暗くなってからも、子ども達の行進は続きました。家々の戸口で、元気な歌声が響きます。華やいだ雰囲気に、子ぎつねも声高らかに歌います。
 ずいぶん歩いて、袋が重くなった頃、ある家のおばあさんが子ぎつねを呼び止めました。
「ねえ、その袋、ちょっと破れているみたいよ」
 子ぎつねはびっくりしました。母さんぎつねに、他の子と同じようにしなければいけないと言われたのです。急いで子ども達を追いかけようとしたのに、おばあさんは前に立って顔をのぞき込んでいます。胸がどきどきして、変身がとけてしまいそう。もしかして、もうヒゲや尻尾が見えているのかな?
「この袋汚れているみたいだし、新しいのに取り換えてあげるわね」
とおばあさんが手を伸ばしたそのとき、自分でもびっくりするような大声が出ました。
「やだっ。これはお母さんがくれたのっ。車が来る危ない道から持って来てくれたのっ」
 おばあさんはびっくりした顔で見ています。子ぎつねはもう駄目だと思いました。ぎゅっと目をつぶっていると、おばあさんの温かい手がそっと頭を撫でました。
「そうかい、そうかい。ごめんねえ」
 頭を撫でる手は、とっても柔らかくてあったかくて、子ぎつねはそうっと目を開けてみました。
「ちょっとだけ、待っててね」
 そう言うと、一度家の中に入ったおばあさんは、新聞紙で包んだ物を持って来て、子ぎつねの手に渡しました。ほかほか温かくて、ぷーんといいにおいがしました。
「お母さんが持たせてくれた袋を汚れてるなんて言って、ごめんねえ。これはおわびの気持ちだよ。お家に帰って、お母さんと一緒にお食べ」
 みんなには内緒だよ、とおばあさんは片目をつぶって付け足しました。
 通りの向こうに行ってしまった子ども達の列を追って、子ぎつねは駆け出しました。あれっ、何か忘れてる、何を忘れているんだっけ? そう思いながら、列に追いつくのに必死でした。
 背後でおばあさんが、子ぎつねの姿が見えなくなるまで見送ってくれたことにも、気付きませんでした。
 少し離れた暗がりで、二つの赤い光が瞬きました。母さんぎつねです。子ぎつねはそっと列から離れ、ひとり山への道を登って行きました。
 おばあさんが新聞紙に包んで渡してくれた物は、ふかし芋でした。とっても柔らかくて、ホクホクしてて、母さんぎつねと一緒に仲良く分けて食べました。そしておいしい食事の後で、あの時の忘れ物を思い出しました。
「ぼく、おばあさんに御礼を言うのを忘れちゃった……」
 
 翌朝のことです。おばあさんは、あの子にひどいことを言ってしまったなあと気に病んでいました。それで少し元気なく、玄関の掃除をしていたら、隣の奥さんがほうきを持ってやって来ました。
「あら、お早うございます」
「ねえ、ちょっと。今、裏にきつねがいたわよ」
 奥さんは気もそぞろで、挨拶どころではないようです。ほうきを逆さまに持ち換えました。周囲を見まわすと、通りを挟んだ空き地の端に、大きなきつねがいるのに気がつきました。
「あら、あのきつね、何かくわえてる」
と、奥さんが言いました。大きなきつねは口元に山百合を一輪くわえていました。さっと空き地を横切って、こちらへ向かって来るきつねを見て、
「ひゃあ」
と、言葉にならない声をあげて、奥さんはほうきを振りまわしました。
 大きなきつねは山百合をそっとおばあさんの近くに置いて、風のように走り抜けていきました。生け垣に隠れていた小さなきつねは、その後を追って駆け出しましたが、一度だけおばあさんを振り返り、走り去りました。
「不思議なこともあるものねえ」
と興奮冷めやらぬ奥さんが言いました。
「その花、エプロンの柄と同じよ」
 そう言われて、おばあさんは自分のエプロンを見下ろしました。気に入っているので、いつもつけているエプロンです。山百合を手に取ると、山の清々しい香りがしました。とても幸せな気持ちになって、去って行ったきつねの親子に御礼を言いました。
 その山百合はお盆の間じゅう、おばあさんの目を楽しませてくれました。
 
(注1)   北海道の一部の地域では、七夕は八月七日とする風習がある。
(注2)   ろうそく出せ、とは子ども達が浴衣などを着て、各家にろうそくをもらいに行く行事のこと。現在はお菓子をもらいに練り歩くハロウィンのような内容に変化した。時代の流れでこのような行事が失われた地区もある。
(注3)   十勝石とは、黒曜石のことで、北海道ではポピュラーな呼び方である。十勝地方から多く産出されたからと見られる。ガラス質の石で割ると非常に鋭利な欠片となり、古代から矢じりやナイフなどに加工されてきた。

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