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カラーとモノクロ 10

絵を描くときに「画面を作る」ことを学校では指導されます。私はこれが苦手です。三角構図とか一点透視図法とか、黄金比など、聞けばなるほどなあと思うけれど、なかなか難しい。

 

風景を写生しているのに、ここの電柱は無い方がいいから描かないとか、小さくてなんだかわからない生活用品は省いて画面をすっきりさせるとか。画面を作るということは目に見える風景をそのまま描くことではないのだな、と思った。

 

それは絵の画面をデザインするということ。

 

余計なものがない美を追究すること。

 

そうなると、それは実際の画像を残しているわけではないのだなと少し混乱する。

 

しかし、優れた構図で描かれた絵が、過去から現代まで愛されている。

 

似顔絵やペットの肖像などを描くとき、どうなるだろうか。

 

昔から似顔絵には余計なシワやシミなどは描かず、影も濃く入れず、口角を上げて、ご本人よりも少し美人に描くようにと言われている。しかし、そのシワこそがその人をその人たらしめていることはままある。目尻のシワが優しさを現していたり、口元の絞まりが性格を垣間見せたりする。

できるだけ本人に近く、しかもかわいさや明るさ、美しさをプラスできて似顔絵として喜んでいただける、と聞かされてきた。

 

ペットの肖像画はなお難しい。飼い主さんに見えている姿と、他人が見ている姿は違う。家族としての愛情が魔法をかけているために、見え方が変わるのである。

だから、本当にそっくりに描けているとこちらが思ったとしても、飼い主さんがノーと言うことはある。

余計に可愛く描けていたとしても、それもノーのときがある。可愛く描いたつもりではいけない。飼い主さんがその子のどこが好きなのかというこだわり、それこそがもっとも大切なことであり、そこを押さえない限り「似ていない」という判断が下される。

 

こだわりは不思議なところに出てくる。うちの子は目が小さくつぶらではないところがいいのだ、という感じだ。ひげをはっきり、たくさん描くと、子犬が老犬みたいになってしまうが、実際はひげがあるのだから本人と違わず描いて欲しいという希望があったりする。

 

こうなってくると、画面を作る方法はモデルと相談しながらになってきて、難しいこときわまりなく、最後には画面が荒れてしまい、絵としての魅力が失われてしまうこともあった。

 

絵を描くのは作家、描いてもらうのはモデル、という構図ではなくなって、描かせているのはモデル、描かせていただいているのが作家ということになる。

 

ただ、この「描かせていただく」という、感謝の気持ちは持っていた方がいい。勉強のチャンスをいただいたのだから。絵のことばかりではなく、他人の思いを汲むこと、愛している家族にとっては妥協はないのだということを学ばせていただいた。

 

これらの件から、頼まれて肖像を描くということは大変難しいものであると感じた。その絵はシンプルに、こちらの思い入れ(かわいく、美しくなど)を入れずに描いた方がいいのだということも。

 

受け取る方さまざまに、感想も違うだろうけれど(可愛いほうがいい人もいるだろう)、これはキャッチボールのように相手との呼吸が合わなかったら、満足していただけないのである。

 

風景画も画面を作ってしまうと、「これが故郷の景色だ」と思う人もいるだろうし、「何か雰囲気が違う。何かが抜けているのではないか」と思う人もいるかもしれないし、それは見る側の意見として思っていただくのは自由。描く方は絵作りが大切なのだから、絵は絵として見るのがいいだろう。

 

展覧会に行くと他の作家の絵を見て、いろいろ考えます。同じように私の絵を見て考えてくださる方がいたら嬉しい。ただ前を素通りされてしまうような絵だけは描きたくないと思っています。

 

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