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このところの取り留めのない記録

私にはいくつかの私がいる。世界中の全ての女子が私よりブサイクであればいいと願う私 世界中の全ての人が自分で死を選ばなければいいと思う私 乗る予定だった電車が人身事故で遅延したとき、その路線は一生止まっていればいいと思う私 輝いている人のインスタのストーリーを鼻で笑いながら、自分を輝いている人のように見せたくてストーリーを更新し続ける私 小説が好きなことを誇らしく思う私、趣味と言える趣味が読書しかない自分が陰キャみたいで惨めな私。大人になるには、それらすべてをイコールで繋ぎ合わせるための鎖を手に入れなければいけないのだろうけど、結びついた先には何があるのだろうか、というのがこのところの私の問題である。私が尊敬する人々はそれらを山折り谷折り上手に張り合わせて、一枚の本のように完成させているイメージがあるけれど、私が同じように在るべきかははたしてわからない。
出会う人が差し出してくれる人生の一ページをめくる作業は、楽しい。それはきっと普通のことでは無い。幸いにも、私が出会う人々が皆、世間一般的な普通の人々に比べて沢山のことを考えたり悩んだり立ち止まったりして生きているから、ページをめくった先にまたなにか新しいページがあることを期待できるのだ。今の私は他者に自分をどう見せたいか、自分がどういう人間に映っているかばかり気にしているから、ページをめくってもめくっても同じ文章か絵柄が飛び込んできて相当退屈だろうと思う。早く退屈な人間を辞めたい。高校生を辞めればそれを辞められるんじゃないかって無根拠の希望に身を委ねているけど、高校生が終わっても辞められなかったら大問題である。
あるいは面白い人間にのみ価値があると信じ込む姿勢がそもそも、面白くないと考えることが出来るかもしれない。全ての人に大なり小なり面白い部分があって、それを見つけようとする人間にならなければ面白い人間にはなれないかもしれない。だけどどうしても面白くない人っている。一概には言えないけど、誰かが死ぬ気で書いた小説を自分の思想を振りかざすための道具にしたり、JKは大人に対してシニカルであるべきだと思い込んでいたりする一部の同級生のことはあまり面白くないと思う。面白くないけど、私もたまにそうした面白くない人達になってしまうことがあるから、理解はできる。
小説を書くのが好きだったんだけど、最近は上手に書けない。私の事ばかり気になって、誰かの、一人の人間の人生はとても手に負えないという気がする。自分でコントロール出来ない事や物への耐性が、日に日に失われている。操縦不可の最たるものは自然だと思う。自分を取り巻く全てのものが生きていて、一歩足をふみしめるだけで無数の生き物たちを殺しているようなあの感覚。海と山どっち派?というお決まりの質問があるけれど、私は正直どっちも大嫌いだ。大嫌いだけど、自然の中で生きられる人に憧れがある。それは強い人で、人間として生まれたことに驕っていない人だからだ。それに、紛いものの欲望に惑わされない人。今の私はきっと、欲望から目をそらすために、人間に興味を持っている。無数に浮かぶなりたい自分の偶像、その中には今でも二重の女の子だったり骨と皮しかないような女の子だったりハイブラを溢れるほど持っている女の子だったりするのが紛れ込んでいて、それらから逃げるために、もっともっと、色んな人を知りたがっている。地に足つけて真面目に生きている人。真面目とは言えないけど、何とか生きている人。面白い人間がいるのはいまの私にとって希望の光だ。私が面白い面白くないを選別するなんて傲慢だけど、AIに取って代わらない存在があることは私を救ってくれる。だから、今の私に出来ることは、できる限り多くの人に出会って、できる限り多くの話を交わして、自然を愛するように努力すること。それだけは疎かにせずいたい。

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